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萩原朔太郎 憂鬱なる青猫

1 :吾輩は名無しである:2005/07/23(土) 17:54:38
おわあ、こんばんは

2 :吾輩は名無しである:2005/07/23(土) 18:07:50
雲雀料理食った事ある?

3 :吾輩は名無しである:2005/07/23(土) 18:12:47
おだまきの花。

4 :吾輩は名無しである:2005/07/23(土) 20:10:02
稲垣足穂にオナニストづらしてるって書かれててワロス

5 :吾輩は名無しである:2005/07/23(土) 22:52:10
「猫町」が好きです。ああいう隠れ里みたいな温泉町に旅行したいなぁ


6 :吾輩は名無しである:2005/07/23(土) 23:40:41
清岡卓行の「萩原朔太郎『猫町』私論」は読み応えがあったな。
同じく彼の編纂した岩波文庫版の「猫町」は「猫町」以外にも
同じような詩情を持つ作品を集めてナイスな編集だった。

7 :吾輩は名無しである:2005/07/23(土) 23:48:20
>>4
面白いwそれ何に書いてある?

8 :4:2005/07/24(日) 00:01:20
>>7
「タルホ・フラグメント」って本。ずいぶん前に古本屋で買った。
大和書房。エッセイの表題は「朔太郎オナニスト」w

9 :吾輩は名無しである:2005/07/24(日) 11:22:35
大井町!

10 :吾輩は名無しである:2005/07/24(日) 16:21:33
ねこねこにゃんにゃん。

11 :吾輩は名無しである:2005/07/24(日) 21:02:43
のをあある とをあある やわあ



12 :吾輩は名無しである:2005/07/25(月) 01:48:44
このひと、犬と猫ですよね。「見しらぬ犬」とか「青猫」とか。

13 :紫苑 ◆asFxDSUhcg :2005/07/25(月) 01:56:15
おわあ、朔太郎スレできたんですね〜。

「おるがんをお弾きなさい おんなのひとよ」

って詩が好き♪

14 :吾輩は名無しである:2005/07/28(木) 02:35:56
朔太郎がタルホに面の事でああこう言われるとは。
面白そうだな。

15 :吾輩は名無しである:2005/07/28(木) 02:36:59
ゆううつなる青猫とゆうと、22世紀の溺死者型ロボットを思い浮かべてしまふ

16 :躁鬱なる阿呆猫:2005/07/28(木) 04:08:10
即死防止

17 :吾輩は名無しである:2005/07/28(木) 04:35:17
もうちょっと保守

18 :吾輩は名無しである:2005/07/28(木) 22:09:54
「猫町」の巻頭にショーペンハウエルの言葉が引用されてるけど、あれって
猫町の内容とどういう関係があるのかわからなかった。
蝿の現象がうんたらってヤツ。

19 :吾輩は名無しである:2005/07/28(木) 22:20:51
雰囲気です

20 :吾輩は名無しである:2005/07/28(木) 22:53:09
朔太郎のエッセイ読むと、ショーペンやニーチェとかを
相当読み込んでる感じだったから、あながち雰囲気とも思えんのだけど。
朔太郎はけっこうな数のアフォリズム集があるけど、
あれはニーチェの断章形式を意識してるらしいね

21 :吾輩は名無しである:2005/07/29(金) 20:53:49
朔太郎のアフォリズム集っていまあんまり売って無いよね

22 :吾輩は名無しである:2005/07/29(金) 21:08:17
人大杉だな。

23 :吾輩は名無しである:2005/07/29(金) 21:11:28
専用ブラウザ使えよ。意固地になってないでさ。

24 :吾輩は名無しである:2005/07/29(金) 22:43:34
>>21

入手しやすいのは講談社文芸文庫の「虚妄の正義」と筑摩文庫「朔太郎の人生読本」とかかな。
朔太郎のアフォリズムは散文詩としても読んでも面白いのがあるな

25 :吾輩は名無しである:2005/07/31(日) 17:45:33
講談社文芸文庫のも絶版か・・・

26 :吾輩は名無しである:2005/07/31(日) 21:37:33
>>18
意志と表象としての世界を読めばわかるよ

27 :18:2005/07/31(日) 22:07:23
>>26
「意志と表象〜」は昔読んでるんだけどね。
だから引用文の中の「物そのもの」=意志 
「蝿の現象」=表象を意味してるくらいはわかる。
疑問だったのはこの世界観と「猫町」の内容にどういう関係があったかなと。


28 :吾輩は名無しである:2005/08/04(木) 12:45:55
ねこねこにゃんにゃん。 どこでもにゃんにゃん。

29 :吾輩は名無しである:2005/08/04(木) 14:05:56
朔太郎の撮った写真集ってのが出てたね。
たしか新潮社のフォト・ミュゼってシリーズで。

30 :吾輩は名無しである:2005/08/04(木) 23:10:02
>>29
持ってる。それなりに「らしい」写真もあって興味深かったけど、
ステレオ写真が多く、ほとんど同じ写真を二枚並べてデカデカと
見開きで掲載してるのがなんだかなあだった。
ステレオ写真ってビューワーを使ったりして立体視しないと
面白くないんだよね。

31 :吾輩は名無しである:2005/08/15(月) 19:57:30
あげ

32 :吾輩は名無しである:2005/08/17(水) 08:43:34
アフォリズムに「歯をもてる意志」ってのがあるけど、あれなんかも
ショーペンハウエルだね。散文詩の「死なない蛸」もショーペン哲学が背景にあるな。

33 :吾輩は名無しである:2005/08/22(月) 21:40:13
朔太郎スレてあんまのびないんだね

34 :吾輩は名無しである:2005/08/22(月) 23:06:59
「私どもは時々、不具な子供のやうないぢらしい心で、部屋の暗い片隅にすすり泣きをする。

さういう時、ぴったりと肩により添いながら、ふるへる自分の心臓の上に、やさしい手をおいて

くれる乙女がある。その看護婦の乙女が詩である」   (月に吠える 序)

35 :吾輩は名無しである:2005/08/23(火) 22:41:44
れくれえむ!

朔太郎、高校のとき読んで耽美っぷりに感銘を受けて、
こないだ古本で詩集を買ったはいいが、また鬱っぷりに感銘受けちゃって、
友達に貸して、まだ返ってこないんだよな。。。
返ってきて、それを読んだら、またこのスレに来るネタができるかもしれない。

ずっと前だけど、「なんでも鑑定団」に朔太郎の手紙が出品されてたね。
バアだかカフェーのママに宛てたやつ。

36 :吾輩は名無しである:2005/08/24(水) 01:44:27
>>13
俺の知ってる女の人でやはりその詩が好きだと言ってる人がいたなぁ
ひょっとしてあなたKEIKOさん?


37 :吾輩は名無しである:2005/08/24(水) 22:51:09

「詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。
詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである」 (月に吠える 序)


38 :吾輩は名無しである :2005/08/25(木) 00:21:49
最近、猫町感覚を味わってない

39 :吾輩は名無しである:2005/08/29(月) 15:45:02
本日のメインイベント

 萩原密蔵VS萩原朔太郎

40 :吾輩は名無しである:2005/09/05(月) 17:43:40

ああ そのすべすべとみがきあげたいつぽんの指をおしいただき
すつぽりと口にふくんでしやぶつてゐたい いつまでたつてもしゃぶつてゐたい 

                             「その手は菓子である」

     

41 :吾輩は名無しである:2005/09/05(月) 23:27:15
高校のとき教科書で「自然の背後に隠れて居る」を読んだ。
良い意味ですごいゾクゾクした。秀逸だと思う。

42 :吾輩は名無しである:2005/09/17(土) 16:04:59
高校の教科書に「遺伝」が載ってたけど、
うまく理解できなくてテストでボロボロだったなあ…orz

43 :吾輩は名無しである:2005/09/21(水) 20:47:26
今日、川崎駅ビルの2階で古本市をやってたのでのぞいてみたら
朔太郎全集の端本が4冊ほどあった。1冊1500円。
重くてでかくて邪魔なので買わなかったけど。

44 :吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 07:01:45
全集は重くてデカいが、かなーりしょーもない詩の草稿とか
入ってて面白い。思いついたら、ちょぼちょぼ拾い読みしてる

45 :吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 01:50:46
にゃん

46 :吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 04:47:24
でたらめな人

47 :吾輩は名無しである:2005/10/07(金) 23:55:51
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

48 :吾輩は名無しである:2005/10/08(土) 01:23:33
>>47
それは中原中也敵だろw
といいつつ斉藤由貴の声で想いだしてみる

49 :吾輩は名無しである:2005/10/08(土) 04:12:02
コカインをやっていたのを知ってから興味がなくなった

50 :吾輩は名無しである:2005/10/08(土) 20:24:31
この人薬やってたの?
他にやってた日本の詩人っているの?

51 :吾輩は名無しである:2005/10/09(日) 20:25:21
>49
まぁボードレールに心酔してたし、多少はそういう遊びもやったとは
思うけど、でもそれと文学的才能は別でしょ

52 :吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 02:00:33
昨日に勝る恋しさの、が好きだなー。殺せかし!も良い。
(つまり自分は純情が好きってことか)

オチが煙草の広告だった、っていうやつ題名はなんだっけ?


53 :吾輩は名無しである:2005/10/10(月) 16:07:50
おわあ、こんばんは
おわあ、

スレの主人は病気です

54 :吾輩は名無しである:2005/10/13(木) 07:55:11
いいえ子供、犬は飢ゑてゐるのです

55 :吾輩は名無しである:2005/10/18(火) 23:30:55
太宰のドラマなんてやんないで朔太郎のドラマ作れば面白いのに。
顔が似てるのは三上博史あたりかな。

56 :吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 01:05:03
ああ、三上博史は似ているかもね。
でも朔太郎はテレビジョンでやるより映画か舞台で上演して欲しい。


帽子の下に、顔がある。

57 :吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 08:34:14
三上博史はチビだお

58 :吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 21:02:26
おさむ口調やめろよ(w

59 :吾輩は名無しである:2005/10/20(木) 08:29:58
おさむ口調って何だ?

60 :吾輩は名無しである:2005/10/20(木) 15:44:18
三上博史より佐々木蔵之助にイピョーウ

61 :吾輩は名無しである:2005/10/21(金) 03:26:37
及川ミッチーでもいいかもな。

62 :狂い屋が潜入:2005/10/21(金) 23:10:39
三好達治は朔太郎を評価して、中也には批判的らしいけど、
両者に近いものを感じるのはモレだけですか?

63 :吾輩は名無しである:2005/10/21(金) 23:19:40
三好の朔太郎詩集買ってきたぜ ぐへへ

64 :吾輩は名無しである:2005/10/21(金) 23:54:26
ダレガソコデ唄ツテヰルノ
ダレガソコデシンミリト聴イテヰルノ

65 :吾輩は名無しである:2005/10/22(土) 00:31:00
監督は前橋出身の小栗康平あたりで一つ。

66 :吾輩は名無しである:2005/10/22(土) 02:06:03
>>62
個人的には中也の方が庶民的な感じがしていて全然別物だと思っている。
朔太郎は幻想世界の住人だから。

67 :吾輩は名無しである:2005/10/22(土) 13:07:23
朔太郎と王朝和歌との関係について論じたものってないかな?
「百人一首は全てが絶唱だ」って言ってたらしいし(@大岡信『百人一首』)
象徴詩も好きだが古典詩も好きな人間としてはその観点から朔太郎を知りたい。

68 :吾輩は名無しである:2005/10/23(日) 01:34:58
朔太郎自身が和歌に関していろいろ書いてたよ。
全集にあたれば、けっこう和歌関連のエッセイがあったはず。
中年になって日本回帰したんだよね。
与謝蕪村に関する評論も岩波文庫に入ってた。


69 :我輩は名無しである:2005/10/23(日) 22:39:34
>>62

 音、音への興味だな。中也の場合は「リズム」って方にだいぶ傾いてるけども、
「ゆあーん ゆよーん」もあることだし。

 あと、郷愁っていうか、何か原初的感覚性への傾斜もあるかも(中也だとダダ、
朔太郎だとあの病的感覚)

 「故郷への複雑な感情」ってのはこの時代の詩人には大体ありそうだから、2
人の共通性と取るのは不適切かな。

70 :吾輩は名無しである:2005/10/26(水) 20:28:49
朔太郎はこちらの原初的感覚を直撃するようなところがあるけど
中也にそういうの感じないなあ
朔太郎はほとんど無恥なまでに自分の本能に忠実に書くところが好き


71 :吾輩は名無しである:2005/10/27(木) 22:17:04
その手は菓子である だな
フェチぶりがいいよね
ずっとしゃぶっていたいんだよ!


72 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 23:36:04
>>4
オナニストであるのは間違いない
「大砲を撃つ」って詩があるけど、ありゃ野外オナニーの詩だ
ヒッキーでニートで女にもてないボクチンが野原に行き豪快に掻きまくってるw

妄想のはらわたに火薬をつめこみ
さびしい野原に古ぼけた大砲をひきずりだして
どぼおん どぼおんと撃っていようよ

改めて読み直したら、孤独な変質者ぶりがたまらない
これはさすがに教科書に載せられないなw

73 :吾輩は名無しである:2005/10/31(月) 21:36:00
よく見たら どおぼん どおぼん だった。

どぼーん のほうが溜まりに溜まった精液がドバーっと豪快に噴出する感じで
いいと思うけど、朔太郎はオノマトペの天才だからもっと違うニュアンスが
込められてるのかもしれん

74 :吾輩は名無しである:2005/10/31(月) 22:24:08
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75 :吾輩は名無しである:2005/11/02(水) 19:38:06
のおあある とおあある やわあ

76 :吾輩は名無しである:2005/11/04(金) 17:08:21
お一、二、お一、二

77 :吾輩は名無しである:2005/11/05(土) 00:27:24
ざつく、ざつく、ざつく、ざつく

78 :吾輩は名無しである:2005/11/21(月) 01:24:11
恐ろしく憂鬱なる

79 :吾輩は名無しである:2005/11/22(火) 22:33:05
すべての娘たちは 寝台の中でたのしげなすすりなきをする
ああ なんというしあわせの奴らだ
この娘たちのように
私たちもあたたかい寝台をもとめて
私たちもさめざめとすすりなきがしてみたい。 「寝台を求む」

80 :吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 18:20:29
涙は人のためならで

81 :吾輩は名無しである:2005/11/26(土) 16:55:19
これは、そういふ種類の煙草です。

82 :吾輩は名無しである:2005/11/26(土) 23:35:52
このまっ白の寝台の中では
なんといふ美しい娘たちの皮膚のよろこびだ
なんといふいぢらしい感情のためいきだ
けれども私たち男の心はまづしく
いつも悲しみにみちて大きな人類の寝台をもとめる 「寝台を求む」

83 :吾輩は名無しである:2005/11/27(日) 17:29:45
蛙の死のラスト2行の真意が読み取れません(>_<)

84 :吾輩は名無しである:2005/11/27(日) 21:14:58
え、あれって

蛙を殺した子供たち

蛙が殺された今夜、空には月が出ている

月明かりの下、帽子を被った子供の表情は窺い知れない

という内容のやつだよね?(今手元に無いからうろ覚えの原文を載せるのは控えます)
あれは子供の表情を隠すことで不気味さを際立たせながら、
尚且つその残酷さの発生する所を提示して問うているんじゃないかと思った。
例えばそれは無邪気さなのか、暴力の衝動なのか、発達した感情の捻れなのか、とか。

85 :吾輩は名無しである:2005/11/27(日) 22:54:41
覚えてないから読み直してみたけど、
丘の上の人は子供じゃないと思う。
自分の読みとしては、

まずこの詩には「幼年思慕篇」って但し書きがついてる。
語り手は蛙を殺してる子供達を傍から眺めているだけでなく、
そういう子供時代の残酷さというものに自身の幼年時代を重ねるものがあり、
子供たちの一人に自分も同化し始めている。
この瞬間、語り手の意識は幼年時代の心象に退行してしまう。
月が出た、
丘の上に人が立っている。
帽子の下に顔がある。
顔があるという表現が怖い。逆に顔がないのっぺらぼうみたいなものを
想像してしまう。あるいは死人のような顔。
子供のときに怯えた人さらいのイメージもだぶる。
なんかそういう幼年時代へのイメージへ一気に飛躍した感じなんじゃないかしらん

86 :吾輩は名無しである:2005/11/28(月) 20:30:02
 俺も85氏と同様の読みだな。84氏がダメとかいう意味じゃなく、単に自分と同じ読みを
した人がいてうれしかったという、ただそれだけなので、スルーしてちょ。

87 :吾輩は名無しである:2005/11/29(火) 00:58:19
あ、丘の上の立っているのは子供じゃなくて人だったのか。
原文間違って記憶していた。ありがと>>85

88 :吾輩は名無しである:2005/11/29(火) 22:39:36
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ

89 :通りすがりの966:2005/11/30(水) 01:11:52
>>83
真意っていうのはどうかなあ。
ただ書いてある通りに受け取るべきだと思うけど。

俺も全面的に>>85氏の
「顔があるという表現が怖い。逆に顔がないのっぺらぼうみたいなものを
想像してしまう。あるいは死人のような顔。」
に賛成。
というか、「帽子の下に顔がある」という詩句の与えるインパクトの強さが
感じられなければこの詩を読んだ意味がないのだ。

帽子をかぷっていたら「帽子の下に顔がある」のが当たり前であって、
にもかかわらずわざわざそう書いたのが萩原の独創であって、
これが「帽子の下に顔がなかった」だったらただの怪談、陳腐なミステリーに
なってしまう。
「帽子の下に顔がある」の方がこの場合はるかに人の心に恐怖、戦慄を引き起こす。
この詩句に至って戦慄を覚えないとしたらその人は詩とは縁のない人だ。


90 :通りすがりの966:2005/11/30(水) 01:16:52
89の続き

「帽子の下に顔がある」という当たり前の事実を、何気ない日常語で表現
しながら、読む者の心に衝撃を引き起こす、これこそが萩原のマジック
であって、萩原朔太郎が日本の近代詩の代表者と目されるのはこの故なのである。

明治のなかばまで漢詩あるいは文語詩が幅を利かせていた状況で、口語
すなわち普通の日本語で詩を書くことが文学者に課せられていた仕事であった。
そして北原白秋や室生犀星の手によって、口語でも微妙な精神の領域が
表現できることが実証された。萩原朔太郎はさらにもう一歩深く微妙な世界に
踏み込んだ。「日本語の可能性の極限を開拓した」と評されたりするのも
同じ意味である。彼ほど日常の平明な日本語で精妙な感情とイメージの表現を
成し遂げた人物は近代以後見当たらない
(と思うけど、誰か異論があれば言ってほしい)。


91 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 01:23:01
  
    /゙ミヽ、,,___,,/゙ヽ
    i ノ       `ヽ'
    /  `●   ●´i、   おわあ、こんばんは!!
   彡,   ミ(__,▼_)彡ミ  
    ,へ、,   |∪|  、`\   おわああ、ここの家の主人は病気です!!
 _ / .___'  ヽノ `/´>  ) 
( (___)    / (_/
 ゝ.,__|        /
    |  /\ \
    | /    )  )  ニャア
    ∪    (  \   ニャア
           \_)

92 :通りすがりの966:2005/11/30(水) 01:42:00
しかし文学史とかで萩原朔太郎が「日本の近代詩の代表者」的あつかいを
受けているのは自分的にはちょっと違和感があるなあ。
朔太郎ってやっぱりマイナーな詩人でしょう。確かに鋭敏な感覚の表現
という点で独創的であり、日本語の可能性の極限までせまった人である
とは思うけど、あつかう世界は非常に限定されているよね。詩人の
代表として堂々と名乗りをあげるにはちょっとなあという感じ。

王道はやはり北原白秋、三好達治のラインでしょう。朔太郎はカルト的人気は
あるが、片隅でひっそりと暮すという役割の方が似つかわしいんじゃあるまいか。
本人もその方が幸せだろうし。彼が「近代詩の代表」的あつかいを受けている
ところに日本の近代文学のゆがみが出ているんでは、とか考えてしまう。

93 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 01:58:51
同意

94 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 02:32:28
誰かみすずから出てるやつ読んだ人いる?

95 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 02:35:45
>>92 
だって萩原朔太郎はアンソロジーが編める知識と、詩論が書ける批評力があったから。

96 :通りすがりの966:2005/11/30(水) 03:04:05
>>95
でもなあ。
萩原朔太郎って、なんか近代的批評精神とはそぐわない感じがしない?
感覚の鋭さはあっても(それと思い入れの強さはすごいけど)、バランスのとれた
客観的批評とか、近代的分析精神とかとはイメージが違うんだよね。
やっぱり大正の人で古い感じがする。モラリストであった点も古臭いイメージ。
大正の哲学青年(三太郎の日記?を書いた人みたいな)に毛が生えた程度にしか
感じられない。

小林秀雄が谷崎潤一郎について彼には批評精神がないと述べたのに対して、
谷崎は立派な批評を書いていると言って丸谷才一が批判してたけど、
立派な批評を書けることとその人に近代的批評精神があったこととは
話が別なのだ。

それと同じように、自分には萩原朔太郎に自分の自我さえ食い尽くす趣のある
近代的批評精神があったようには感じられないんですね。
小林秀雄、河上徹太郎以降の批評と比べると知的レベルの点で見劣りする。
詩論も感覚の鋭さを発揮した鑑賞の部分が秀でているのでは?

自分にとっては朔太郎は「月に咆える」と「青猫」の、感覚のずば抜けた
口語自由詩詩人で、批評家的側面にはあまり感心しないのだ。

97 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 03:11:00
小林秀雄にだって、そんな意味での「近代的批評精神」は無い。>>96
ってか、あんたの言ってるみたいなモノがどこにあったってんだよ?

98 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 03:17:22
>感覚の鋭さはあっても(それと思い入れの強さはすごいけど)、バランスのとれた
>客観的批評とか、近代的分析精神とかとはイメージが違うんだよね。

これって、丸っきり小林秀雄のことやんけ。それにも気づかないなんて、あほか。

99 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 03:23:55
>>95で言ってるのは、詩人どもは知識も無いし評論頭も無い愚鈍ばかりだから、
その中では萩原朔太郎が相対的に聡明さがあり頭ひとつ抜けてたってだけのこと。
今から見れば、凡庸だとしても。

100 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 03:38:53
>>90
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
……
山村暮鳥の前に、彼以上に「平明な日本語」で詩情のイメージを表現できた者が存在するか。

101 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 04:44:45
>>91
勢いのある朔太郎猫ワロタw

102 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 05:34:09
ダイソーで110円の詩集買った。高校の先輩なんだが、
地元で盛り上ってるだけで、
全国的にこんなに有名な人なんだとは知らなかったよ。

>>100の山村暮鳥も同郷

103 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 05:35:17
× 地元で盛り上ってるだけで、
○ 地元で盛り上ってるだけだと思ってて


104 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 07:34:05
>>102
悪いけどそのギャグ分からない。

105 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 11:34:07
>>102
前橋の人ですか?
地元で盛り上がってるっていうわりに朔太郎記念館しょぼかったなあ

>>94
みすずから出てるやつって?

106 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 17:19:47
朔太郎論でオススメの本ってありますか?評論とか評伝の類で。
「父・萩原朔太郎」は読んでます。あれは面白かった

107 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 17:53:12
>>105
飯島耕一による萩原朔太郎論みたいです。

108 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 18:50:47
色んな人が萩原朔太郎のこと書いてる本があったよね。
谷川俊太郎とか、、、、。
実家にあるけどどこにいったんだろう。

109 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 18:55:18
そういや今年、葉子ちゃん死んだね。
ttp://www.yomiuri.co.jp/book/news/20050704bk10.htm
パパの名前と環境と、母親へのうらみつらみで商売成立させてた
朔太郎の娘。

110 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 23:01:47
 朔太郎は確かにマイナーって言うか、偏りを感じさせる詩人だと思う。自作のなかで
「病気」「腐った」が頻出してるのは、自分でもそのあたりを自覚していたからだと思う。

 だけど、そういう「個性的」存在でありながら「詩人」として成立してしまった(支持された)
ってところが凄いところだと思うんだなあ、俺は。歴史的にも、これだけ「異端」(実生活で
の破滅振りとかでなく、作品の内容や美意識が異端、平たく言うと「普通じゃ気持ち悪い
と言われて終わり」な感性)で、それで詩人であった、というのはこの人が最初なんじゃな
いだろうか。いや、文学史詳しくないから自信はあんまりないけど。 「個性(異様なるもの)」
を「詩」で思い切り表現した、って意味では代表的に「近代」だという気がする。

 あと個人的意見だけど、この人がいい評論を書いたかどうか、批評精神があったかどうか、
更にいうと賢かったかどうか、ってのは詩人としての評価には関係ないと思う。

111 :吾輩は名無しである:2005/11/30(水) 23:46:23
歌野晶午のミステリー『死体を買う男』で
名探偵(?)役で出てきますね。

112 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 01:08:53
>111
あったあった。朔太郎探偵はぜったい誰かが書くと思った。

内田康夫の「萩原朔太郎の亡霊」ってのもあるね。こちらは読んでないけど
面白いかな

113 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 13:48:28
芥川龍之介は’萩原朔太郎は感性や感情のみで書いていて
文学の下積みがない、そこが彼の長所であり欠点だ’
というようなことを言っていたな。

でも朔太郎の批評はかなり厳しかったはず。ラジオで素人の詩の
選評をしていて朔太郎がかなりきついことを言うものだから
一般人が投稿しずらくなるようなことがあった。白秋っぽいものとか
ダレソレの亜流とすぐ分かるものには手厳しく批評したらしい。
それから娘葉子が何かの時「私が代わりに書こうか?」と言ったら
「葉子になんぞ分かるものか!!」とものすごく怒ったらしいしね。

114 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 15:29:18
>>110
>詩人としての評価には関係ないと思う。
それが関係あるから詩壇って奴は奇々怪々さ。
碌な詩が書けなくなっても、詩論が書ければ大御所として扱ってもらったり。

115 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 16:18:11
>>99
なるほど。そういうことですね。

つまり、詩はいうまでもなく、詩論の領域においても朔太郎が当時の他の詩人達を
圧倒していたので、自然に詩壇の「王様」的存在になり、それが結局「近代詩を
代表する人物」というイメージにつながった、ということでしょうね。

補足説明、ありがとう。

116 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 16:24:48
>>106
磯田光一の「萩原朔太郎」(講談社文芸文庫)があるけど、自分は
読んでないのでオススメかどうかは判断できない。

あと、どっかの文学のシリーズで萩原朔太郎の巻を大岡信が書いてなかったっけ?


117 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 16:28:39
>>115
>詩はいうまでもなく、
あれえ? >>92
「詩人の 代表として堂々と名乗りをあげるにはちょっとなあ」
とか言ってた癖に。前言撤回なら、ちゃんと自己批判(笑)すること。
都合悪い批判(>>97-98)を無視して取り繕ってもダメ。

118 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 16:39:44
>>117
あのね、自分は朔太郎を詩人として一流だと評価してるの。
ただイメージとして「代表」とか「詩壇のボス」とかは似合わないと
言ってるの。

119 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 16:42:13
なんか流れ的に答えにくかったんで待ってたんだけど、117からツッコミが
入ったから答えとこう。

>>97
自分は「近代的批評精神」を厳密な意味で使ってるわけじゃない。

でもはっきりしているのは、小林秀雄以降の批評とそれ以前の批評(萩原
朔太郎のそれも含めて)には越えがたい懸隔があるという感覚は打ち消し
ようもなく存在するということ。

どうもレスの趣旨が理解されていないようだ。


>>98
自分のレスは、小林秀雄以降の批評と萩原朔太郎ら大正時代の批評を
比べた場合の印象を述べている。あくまで相対的な話。

今の批評の観点からすると、小林秀雄の批評も「バランスのとれた客観的批評」
ではなく「思い入れの強い」ものとみなされるでしょうが。


120 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 16:47:38
こいつ、萩原朔太郎の昭和以降の評論を読んでないのか?
それに今だけでなく当時から小林秀雄は主観的批評だとされてたんだが。無知も大概に。

121 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 16:54:00
小林秀雄は印象批評の代名詞的存在なんだけど

122 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 16:54:12
>>120
へえ。じゃあ、朔太郎の評論のどこがいいのかすこし具体的に
語ってくれませんか。人をけなす1行ツッコミレスばかりしてないで。

123 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 16:56:56
>>100
あはは。そう来ましたか。

でもそれ、遊びツッコミ、ネタツッコミですよね。
マジレスするのも野暮だけど、念のため応えておきましょう。

確かに「いちめんのなのはな・・・」は「平明な日本語」で書かれてますけど、
自分の言う「平明な日本語で精妙な感情とイメージの表現を成し遂げた」、
つまり「平明な日本語」プラス「精妙な感情の表現、精妙なイメージ」の
二つの要素の両立はなされてないんじゃないでしょうか。

「いちめんのなのはな・・・」には「精妙なイメージ」が欠けています。
なにしろ「いちめんのなのはな」だけですから、色彩に乏しく、イメージに
奥行き、深さが生まれません。
もちろんこの詩が最初に現れた際の詩壇のおどろきは相当のものだったとは
思う。しかしこの手は一回こっきりのわざ。山村慕長はこの詩以外はごく
普通の詩を書いてると思う。

そういうわけでやはり萩原朔太郎の方が上でしょう。

124 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 16:58:35
>>102
>>108
なんせ日本近代口語自由詩の完成者と言われる人ですから、たいへんエライ人
には違いない。朔太郎の影響をなにかしら受けないでいることは以後の詩人に
とっては難しいぐらいのもんです。だから以後の詩人はいろんな人が朔太郎を
話題にする。

(以後の詩人にとっては朔太郎は「偉大な父親」的存在で、「父親越え」を
果さねばならぬというような使命感が無意識にあるかも)

でも、小説家と違って詩人はポピュラーじゃないから一冊本の研究書が
出ることは滅多にないね。
朔太郎は小説家でいうと漱石・鴎外ぐらいの偉さになるんだけど、
漱石・鴎外の研究書は巷にあふれているけど詩人の研究書なんかほとんど出ないよ。


125 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 16:59:13
>>122
ハテ? 誰か朔太郎の評論がいいなんて言ったか? 
>>99も、周りが馬鹿だから相対的に優れて見えただけと書いてるのだし。

126 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 17:00:32
割り込んでスマン。が966の小林の捉え方は変、に同意。

双方もうこの話は流しちゃえよ。水掛論にしかならん。

127 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 17:04:25
「通りすがり」の癖に粘着だなあ。
しかも固定ハンドルでよく間違って恥さらしだ。
山村暮鳥(慕長ってナニ?)は基本的に「平明な日本語」で書いてるんだが
もしかして「いちめんのなのはな」しか知らないの? >>123

128 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 17:11:03
関係無いけど詩人なら竹中郁もいいと思う。

129 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 17:16:45
612 名前:イラストに騙された名無しさん 投稿日:2005/11/26(土) 22:26:42 ID:iSB41juz
新4、挿絵のミモザコスのパステルはかなりエロいと思う。
よくギアに襲われなかったな。

130 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 17:19:25
>>125
あ。そうなの。じゃあ「こいつ、萩原朔太郎の昭和以降の評論を
読んでないのか」というのはどういう意味で言ってるんでしょう。

>>126
スレ違いだから小林秀雄の話はとりあえずもう出さないことにしよう。
文句がある人は別のスレに誘導してね。

>>127
「山村慕長はこの詩以外はごく普通の詩を書いてると思う。」と書いてる
けど。読めないの?
あなた、123のレスの趣旨が理解できないの?

なんかしょーもないツッコミばっかりするけど2ちゃんの文学板って
こんなレスしか返せないの?
萩原朔太郎について少しは語れないの?


131 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 17:21:17
>>110
>作品の内容や美意識が異端、それで詩人であった、というのはこの人が最初
>なんじゃな いだろうか。

んー。このへんは萩原がどの程度西洋の詩に触発されそれを模倣したかによる
でしょうね。作品が病的なものを題材にしたのは例えばエドガ−・アラン・ポー
やボードレールという先達がいたわけで。
(もっとも題材やテクニックを借りたら誰でも名詞が書けるわけではないので、
借りたからといって朔太郎の偉大さが減じるものではない)

「病的なもの」をあれだけ前面に出したのは日本ではたしかに朔太郎が初めて
かもしれない。

110氏の言う「異様なるもの」あるいは「異常なもの」を好んだポーが
いわゆる「近代文学」の始祖と目されたりしているので、
『「個性(異様なるもの)」を「詩」で思い切り表現した、って意味では
代表的に「近代」だという気がする。』というのは、なるほど、筋が通る
解釈ですねえ。「近代」の定義について勉強になりました。


132 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 17:28:47
>>130
>というのはどういう意味で言ってるんでしょう。
萩原朔太郎の批評や詩論は「大正時代」より昭和以降に盛ん。
その意味では小林秀雄以前ではなく同時代(齡は上でも)。それも知らない?

>スレ違いだから小林秀雄の話はとりあえずもう出さないことにしよう。
自分に形勢が悪い論点は避けるわけね。誤解を素直に認めれば一行で済むのに。

>「山村慕長はこの詩以外はごく普通の詩を書いてると思う。」と書いてる
だから何? 暮鳥が「平明な日本語」を基調とした詩人であると認めるのか認めないのか。

133 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 18:10:00
>>132
へえー。それは知らなかった。

でもそれは結局萩原の批評と小林秀雄以降の世代の批評とのあいだには
レベル的差があるように感じられるという自分のレスの趣旨にとっては
どうでも言い話ですね。

>スレ違いだから小林秀雄の話はとりあえずもう出さないことにしよう。
>自分に形勢が悪い論点は避けるわけね。誤解を素直に認めれば一行で済むのに。

あのね。スレ違いになるから場所を移動した方がいいでしょうと言ってるの。
だからレスを誘導してくださいと書いてあるのに。
もうほんとこんな、レスが読めない人間ばかりなのか、文学板は?

>「山村慕長はこの詩以外はごく普通の詩を書いてると思う。」と書いてる
>だから何? 暮鳥が「平明な日本語」を基調とした詩人であると認めるのか認めないのか。

あなた、ほんとに前の俺が書いたレスの趣旨が理解できないの?
もう一度ちゃんとレスの流れを読んでくれ。
暮鳥が平明な日本語を基調とした詩人であるかどうかが問題になってるわけじゃない。

なんかレスの趣旨を読み取れないか、レスとは関係のない部分で必死に
ツッコミをする人がいてなさけない。


134 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 18:15:15
筋の通った文章も書けない癖に、みなレスの趣旨が読めてないと怒る。
何と自分勝手な。これが、近代の病理ってやつかい?

135 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 18:22:05
>>133
あんた、さんざん萩原朔太郎の批評を小林秀雄と比較して別物にした癖に、
その小林秀雄理解が間違ってたわけだろ? 
スレッドと関係ある話題だし、そこがダメなら全部ダメでしょ。
それに朔太郎の批評も、その中心を占める昭和以降をロクに読んでないと。
それなら知ったかぶって口出す資格無いなあ。謙虚に質問したら?

136 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 18:43:54

>>132
念のためもう一度説明しましょうか。

萩原朔太郎の偉大さは「平明な日本語」を駆使して「精妙な感情・精妙な
イメージを表現できたこと」。
暮鳥の「なのはな」の詩には「平明な日本語」が使用されてはいるが、
「精妙な感情・精妙なイメージ」には乏しい。暮鳥の他の詩も一般に
平明な日本語で書かれているものの、上記の2点を考慮すると萩原朔太郎
の方に詩人としての評価で軍配を上げざるを得ない、という主張をこちらはしている。

暮鳥が平明な日本語を基調として詩人であるかどうかだけを問題にしているのではない。
暮鳥が平明な日本語を基調としていない詩人であるとは自分はまったく述べていない。

よっぽど私に暮鳥が平明な日本語を基調とした詩人であると認めさせたいようだけど、
最初から暮鳥が平明な日本語の使い手であることを前提として上でさらに
朔太郎の場合は感情とイメージの表現が精妙であることをもって朔太郎が上だと
言っている。

つけくわえると「なのはな」の詩よりももっといい詩が暮鳥には他にある。
「なのはな」の詩ばかりが取り上げられるのはどうかと思う。本人も不本意
ではなかろうか。

137 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 18:46:58
>>134
>>135
はいはい、2ちゃんらしい、中身の濃いレス、ありがとう。

138 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 18:47:41
>つけくわえると「なのはな」の詩よりももっといい詩が暮鳥には他にある。
ならば、それらが「平明な日本語」で且つ「感情とイメージの表現が精妙であること」も明らかなはずだが?

139 :通りすがりの966:2005/12/01(木) 19:00:53
>>138
でも総合的に判断して萩原の方が「精妙度」が上なのだと自分は思っているわけだ。
前のレスに出てる「帽子の下に顔がある」の詩とかその他の詩には
他の詩人には絶対まねができまいと感じさせるものが朔太郎にはある。
みんな大体そう思ってるんじゃないの?
だからこそ詩人のスレが少ない文学板にこのスレが存在するんじゃないの?

140 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 19:08:37
単に朔太郎ばかりが有名になって「代表的詩人」になってるだけ。>>139
それに異議を出してたはずなのに、自分の発言すら忘れて無責任だな。
小林秀雄や朔太郎批評を誤解してたのはもうわかったのかい、ボク。

141 :吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 23:33:14
そういえば山村暮鳥の「月に吠える」評があるね。

「これらの詩は皮をひん剥いた赤はだかの人間の、
人間といふよりは寧ろ生物(いきもの)の芸術である」

この「イキモノの芸術」ってとこに激しく同意。
朔ちゃんの言語感覚も独特だけども、原始的な本能みたいなものとか
内臓感覚みたいなものがモロに表現されていて、びっくりする。
たしかに病的なものもあるけど、感情移入できる病的さじゃないかな。
とにかくあそこまで生理が剥きだしになってる詩人って唯一無二。

ある意味、すごく無防備な書き手じゃないかと思う。
ここまで自分の恥部も曝け出すか?っていう。
朔ちゃんのそういう愚直さも好き。

142 :通りすがりの966:2005/12/02(金) 00:58:15

>>140
>単に朔太郎ばかりが有名になって「代表的詩人」になってるだけ。

すげー。この人なんで朔太郎が有名になってるのかわかってないみたい。
他より一頭抜きん出てすぐれた詩を書いたから有名になってるとは
思わないわけですか。

いやー。びっくりしました。

ここ見てる皆さんはどう思いますか。

>それに異議を出してたはず

はあ。なんか相変わらずレスの解釈がずれてるみたい。


143 :通りすがりの966:2005/12/02(金) 01:09:48
>>141
そうそう。そういう「朔ちゃんの愚直さ」とかがあるから、
「代表的詩人」だとか「ボス」みたいなイメージが似つかわしくないと
言ってる。自分をあからさまにださずあくまで古典的装いに身をつつんだ
北原白秋や三好達治ならこういった言葉を使ってもおかしくない。

実際に白秋や達治は「国民詩人」あるいは「国民的」詩人と評されている。

「すごく無防備な書き手」という表現にも同意。
だから朔太郎をあまり持ち上げずそっとしておいた方が
いいんじゃないかという趣旨のレスを前に自分はしたわけ。

なんかひとりだけ自分のレスを誤解して粘着してる人がいるようだ(笑)

144 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 01:30:52
>>142 「通りすがり」の癖に粘着だな。だから過去の発言も忘れる鳥頭なのか?

92 :通りすがりの966:2005/11/30(水) 01:42:00
しかし文学史とかで萩原朔太郎が「日本の近代詩の代表者」的あつかいを
受けているのは自分的にはちょっと違和感があるなあ。
[……]彼が「近代詩の代表」的あつかいを受けている
ところに日本の近代文学のゆがみが出ているんでは、とか考えてしまう。

145 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 01:44:26
>>141 >>143
萩原朔太郎のアフォリズムや批評を読んでたら、
愚直さなんて絶対に呼べないけどなあ。
詩ばっかり読んでるとバカになるよ?

146 :通りすがりの966:2005/12/02(金) 01:54:17
>>144
お、ご本人が即お出ましになりましたか。

それ、自分に都合にいい部分だけ抜き出してますね。
それ以外のところで趣旨を複数回説明してるでしょ。
もう一度読みなおしてくれませんか。
そこだけ読むとたしかに自分の表現に誤解を生じさせる余地があった
のは認めるけどその後のレスすべて自分は違ったことは言ってないよん。
すぐ上の143にも書いたし。
いつまでも粘着するのはすごいエネルギーだと感心するけど。

147 :通りすがりの966:2005/12/02(金) 01:58:07
おやおや。

>詩ばっかり読んでるとバカになるよ?

ほんとに2ちゃんの文学板ってすごいレベルだ(笑)。

148 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 03:02:31
>>147
自虐ネタ?

149 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 05:04:07
で、朔太郎のアフォリズムのどこが愚直だって? 読んでないだろお前。>>147

150 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 05:51:10
んーと愚直っていうのが違うなら、こっけいなほど馬鹿正直っていうか
そういう性格を感じるけどなぁ
「詩の原理」なんて読み始めて数ページで挫折したけどさ、詩の「原理」を書こうなんて
いう試み自体が朔ちゃんらしい愚直さの現れみたいな気がしたよ

結婚に関するアフォリズムとか読むとかなりミもフタたもないっていうかw
芥川のアフォリズムなんかはエスプリだけで書いてるって印象があるけど、
朔ちゃんは違う。詩と同じくはらわたまで曝け出してるって気がする。

151 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 09:09:30
アホコテハンは美香と馴れ合ってろボケ

152 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 09:40:20
朔太郎の文明批評的な評論って面白い?俺はたいてい退屈なんだが。


153 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 11:20:06
>>142>>147
「詩」や「文学史」的評価を崇め受け容れることを自明の前提にするのは、批判力が無いな。
だからもっと批評を読めと。
もっとも、小林秀雄の批評を客観的分析とか誤解する奴は、読んでも無駄か。

154 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 11:26:28
>>150 もしもし? ポオの「構成(=詩作)の原理」が前例だってわかってますか。

155 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 13:26:04
>>154
ポーの詩論は半ばふざけて書いているようにしか見えないのだが

156 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 13:35:06
ははあ、そいつぁ新説だね。
でも、ボードレールもマラルメも萩原朔太郎も真面目に受け止めたのよね、ポーの詩論を。

157 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 13:44:51
ポーの詩論がジョークってのは定説だぞ
それを新説って…絶句

158 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 13:50:25
「定説」ってだけでは、どこかの新興教祖みたい。誰の説だか出典挙げられる?
少なくとも、“The Poetic Principle”が冗談として受容されてこなかった歴史があるのは事実。
そしていまの問題は、萩原朔太郎がポーの詩論をおふざけとして読んだかどうか。

159 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 13:55:19
エドガー アラン ポー
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1077290855/l50

160 :吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 21:16:45
●婦人を虐待する者への教訓として

人は少なくとも、三人の妻を持たねばならぬ。
一人は性慾の対象として。
一人は家政婦として。
一人は優しげに、雨のうるおいをあたえる女性として。
支那では、ずっと貧乏のものだけが、一人の妻に三つの負担を要求する。

なかなかいいこと言ってるじゃないかw

161 :通りすがりの966:2005/12/03(土) 00:02:39
>>149
>>147はもちろんアンカーミスだよね。
でも150氏の「朔太郎は愚直」の形容には同意。

>>150
「詩の原理」は自分も昔読んで感心しなかった。
数ページで挫折はしなかったが、最後まで読み切ったかどうか憶えてない(笑)。
自分のそのときの印象は「すごい真面目だなあ」というもの。
融通が利かないというか。
だから何度も言うように、この真面目で融通がきかなそうな人が詩壇の代表者として
ふるまうよう要請される(詩人としての実力からいえば実際チャンピオンだから
ある意味当然だけど)のは痛々しい感じがするのだ。

「芥川のアフォリズムなんかはエスプリだけで書いてるって印象があるけど〜」
なるほど。朔太郎にはエスプリが感じられないね。


162 :通りすがりの966:2005/12/03(土) 00:04:31
>>153
「小林秀雄の批評を客観的分析とか誤解する奴」
これ、私のことを指してるんでしょうが、あいかわらず私のレスを
誤解してますね。わざと歪曲してるのかな。すでに>>119で答えてる通りなんですが。

どうも私が「小林秀雄を誤解している」のがあなたの唯一の心の支えに
なっているみたいですね(笑)。
面倒くさいですけどそのうち山村暮鳥のときみたいに再度くわしく
説明することにしましょう。

でも、
>「詩」や「文学史」的評価を崇め受け容れることを自明の前提にするのは、批判力が無いな。

これ、なんですか。これは、

『「詩」や「文学史」的評価を崇め、それを受け入れ、また、それを
自明の前提にするとは、批判力が無いな』

という意味ですか?
「もっと批評を読め」と人に忠告する前に、最低限ちゃんと人にわかる
日本語書きましょうよ。


163 :吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 00:05:11
自分に都合悪い批判は「アンカーミス」で躱すか。あさはかな知恵よの。

164 :吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 00:08:52
>>162 
意味、理解できてるぢゃん。なら問題無いな。そんな他人の揚げ足取る前に、
誤解だ誤解だと愚痴る必要の無い明晰な日本語で書けや。
ひとのふり見てわがふり直せ。な?
お前の>>119なんて>>120で見当外れだと指摘済みだぞ。読めないか。ん?

165 :通りすがりの966:2005/12/03(土) 00:18:50
>>163
>>164

さっそくの粘着即レス、いつもごくろうさんです。

166 :吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 00:22:05
反論できないなら無駄なレスすんなって。>>165

167 :吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 05:16:24
「朔太郎はギターがうまい。その他、昔のウイスキ壜には月世界旅行の
ラベルが貼ってあっただの、スープア氏の日露戦争のフィルムがどうなの、
『イナガキタルホはクリスマスの銀の星』だの、又、サポーターでキンタマを
緊め上げて自転車を走らすのは良い気持ちだとか、なかなかハイカラーなことを
云っていたが、彼の機械学は、軽気球とパノラマ館とを出るものではなかった」

稲垣足穂による朔太郎の人物評価だが、けっこういいとこ突いてると思う。

168 :吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 18:37:20
つーか、そもそも萩原朔太郎が詩壇の代表者として
ふるまうよう要請される乃至はされた事なんてあんのか
自らふるまおうとしてた気はあるかもしんないけど、それは初耳だ
詩壇の代表者ってのは春山行夫とか鮎川信夫とかああいう人達の事じゃないのか
第一、朔太郎には拠る同人誌すらないっしょ

169 :吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 20:27:04
「要請」はされまいが、代表と目されたことはあった。
で、『赤と黒』の岡本潤とかの若い詩人から突き上げを食らったエピソードがある。
あと春山行夫が詩壇の代表ってのはどうかな。雑誌作りはうまかったけど、
彼の論には誰もついていけなくて孤立した感じ。

170 :通りすがりの966:2005/12/04(日) 02:31:16
>>168
いや、周囲から自然にそうふるまうよう無言のプレッシャーがあるという意味です。

実力のある人の言動というのは自然どうしても影響力を持つから、その影響力を
利用しようとする人間、なんとか自分の側に引き込もうとする人間やらが
出てくる。義理は果さないといけないし、といってうかつな行動はできない。
そのへん、ストレスに繊細な朔太郎は耐えられたのかなと心配になる。

そんな立場がいやで逆に同人誌に参加しなかったとかいう可能性はないのかな。
詩壇や朔太郎の生涯について詳しく知らないのでなんとも言えませんが。

171 :吾輩は名無しである:2005/12/04(日) 04:35:31
ギターつうかマンドリンでしょ?

172 :吾輩は名無しである:2005/12/04(日) 05:24:51
大正14年6月、
「日本詩人」誌上で萩原の「郷土望景詩」を読んで感動した芥川龍之介は
寝巻のまま朔太郎の書斎を訪れた。
 
太宰治を突然訪ねた檀一雄が初対面で「君は天才だ、おおいに書け」と言った
逸話を思わせる。
 劇的な出遭いってあるんだな。つか、パッションが、凄いな。
今はメールで手軽なのに、お互い素直にオマージュ送ったりするだろうか…


173 :吾輩は名無しである:2005/12/04(日) 21:14:14
来年は確か生誕120年。
なにか本は出版されるかな?
筑摩の全集、文庫化してくれないかなぁ。

174 :吾輩は名無しである:2005/12/04(日) 21:50:30
最近は全集の値崩れが凄いよ
おれが買った筑摩の15巻セット、2万円しなかったもん
まあ文庫で買えるに越したことはないが


175 :吾輩は名無しである:2005/12/05(月) 17:01:35


176 :通りすがりの966:2005/12/05(月) 23:14:03
>>172
えぇー。あの冷静で礼儀正しい芥川が「寝巻のまま」、ですか。

朔太郎が室生犀星と初めて待ち合わせして会うエピソードも感動的だったと思う。
犀星の「わが愛する詩人の伝記」だったかにそのへんが書いてあったような。
自分の詩を理解してくれる唯一無二の人間と会うという感激で、まるで
恋人と待ち合わせをするかのようにワクワクドキドキしたとか。


177 :吾輩は名無しである:2005/12/05(月) 23:23:56
おいおい、お前は批判されて反論できないから逃げたのではなかったのか。
早く「通りすが」って、去れ。

178 :通りすがりの966:2005/12/05(月) 23:31:43
さっそく粘着1行レス、いつもごくろうさまです。

179 :吾輩は名無しである:2005/12/05(月) 23:39:59
行数も勘定できない人なの。

180 :吾輩は名無しである:2005/12/05(月) 23:43:22
>>176
家が近所だった。
朔太郎が引っ越してきた直後くらいの時期<寝巻のまま尋ねた

181 :通りすがりの966:2005/12/05(月) 23:49:48
>>180
あ、そうだったんですか。
芥川と朔太郎の家が近所!

すごい病的かつ神経的界隈(笑)

182 :吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 00:04:40
すでに死を決意してた芥川に朔太郎が最後に会ったときの回想も
ちょっと泣かせる感じだったね。
しかし郷土望景詩ってそんなにいい詩かな。敷島公園だったかの
記念碑にも刻まれてたけど・・


183 :吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 04:27:56
>>181
大正14年し4月
東京市外大井町6170番地(現・品川区)から
東京市外田端町311番地(現・北区)へ引っ越した。

近くには芥川だけじゃないぞ、室生犀星も居て、3人は頻繁に往来した。
同時期、堀辰雄とも知り合った。

184 :吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 10:31:33
田畑文士村って有名でしょ。知らない方が阿呆。

185 :吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 15:44:05
まあ国文とか、そのスジでは有名かもしらんが、一般的にはそれほど
知られてないっしょ。
近藤富枝の「田端文士村」は今でも手に入るのかな?


186 :通りすがりの966:2005/12/07(水) 14:36:24
あの「田端文士村」のことなのか。ふーん・・・


187 :通りすがりの966:2005/12/07(水) 15:33:02
ところで、
前に自分は「朔太郎の批評家的側面にはあまり感心しない」と書いた。
一方で、朔太郎の批評を高く評価する人もいる。

先日たまたま、朔太郎批評擁護派に明るいニュースを発見したので
お伝えします(笑)。

書店で手に入れた角川書店の自社出版物PR冊子「本の旅人」を
何の気なしにめくっていたら、「オール・タイム・ベスト・スリー」
という小特集があった。これまで読んだ本の中で最も好きな本3冊を
12名の著名人に挙げてもらうというもの。

なんとその中に朔太郎の「虚妄の正義」のタイトルが!


188 :通りすがりの966:2005/12/07(水) 15:33:48
これを選んだのは鹿島茂氏。ご存知の方も多いと思うけど、鹿島氏は
仏文学者で、今現在もっとも生きのいい書き手のひとり。切り口の斬新な
文学論やエッセイを発表している。その氏が「ラ・ロシュフコー箴言集」、
「寓話」(ラ・フォンテーヌ)とともに「虚妄の正義」を挙げているのだ。

むむ。鹿島先生がお薦めとは・・・
これはどうしても書店に足を運び、今一度朔太郎の批評を手に取らざるべからず、
とまあそういう心境になりました(笑)。

(しかし残念なことに、鹿島先生のコメントで朔太郎に触れているのは、
最後の一文「萩原朔太郎はその(ラ・フォンテーヌとラ・ロシュフコーのこと)
日本版である」とだけ。細かい点についてはまったく言及がないのであった)


189 :吾輩は名無しである:2005/12/07(水) 21:48:40
「虚妄の正義」はアフォリズム集だから普通の意味での批評というのとは
ちょっと違うとは思うが、詩を読んでるだけではわからない朔太郎の側面を
知るのにちょうどいい本だよね。朔太郎自身も書いてるように、散文詩としても
読めるものがけっこう含まれてるし。
しかし今読むと妙に力が入り過ぎてる文章が多いな。オッサンも少し
肩の力抜いたらって背中をたたいてやりたくなるw


190 :吾輩は名無しである:2005/12/07(水) 22:21:35
肩の力を抜いて書けるような人には朔太郎ような詩は書けないと思うけど。

191 :吾輩は名無しである:2005/12/07(水) 23:10:47
>>190
まったくだ。

妙に大まじめで融通がきかずコンプレックスの固まりで神経質だった朔太郎。
だからこそあの詩が書けたわけだよ。

明治以降の日本の詩をずーっと年代順に読んでいくと、白秋と朔太郎のところで
圧倒的になまなましく、オリジナルな詩が出てくる、という印象を明らかにうける。
特に朔太郎は、そういう読み方をすると、これはモノが違う、というのがはっきりわかるよ。

中でも鮮烈に印象に残るのが、「詩でしかありえない笑い」が、日本近代詩史上
朔太郎ではじめて現れるということだな。
白秋には戯れ唄はあっても、朔太郎のような根源的な可笑しさを生む力はない。

192 :通りすがりの966:2005/12/07(水) 23:11:52
>>189
>オッサンも少し 肩の力抜いたらって背中をたたいてやりたくなるw

まったく同意♪

193 :通りすがりの966:2005/12/07(水) 23:18:40
>>191
おっと、書きこみがほとんど同時だったんでびっくりした。

>「詩でしかありえない笑い」が、日本近代詩史上朔太郎ではじめて現れるということだな。
ふーむ。これは面白い指摘だ。
もう少し詳しくお願いしたい。

194 :吾輩は名無しである:2005/12/08(木) 00:26:52
>>193
「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」という詩は、ほんとうに画期的だと思う。
日本近代詩に突然出てきた上質なユーモアの詩。
他にも朔太郎の詩って、よく読むとなんともいえず可笑しい表現ってのにあふれてる。

「あるひとのごときはあまりに焦心し、まつたく合掌せるにおよべり。」とかね。

藤村、有明、白秋と辿って朔太郎に辿り着くと、詩法が突然現代的になる感じがするんだよ。
たとえば書き出し。

「春になって」「どこから犯人は逃走した?」「蛙が殺された」
「わたしは窓掛けのれいすのかげに立って居ります」「浅利のようなもの」
「兵隊どもの列のなかには」「わたしはくちびるにべにをぬつて」
こう月に吠えるから書き出してみても、非常にシンプル、そして端的な一行目。
形を作って歌おう、という意識がなくて、詩にしたいことにダイレクトに入ってゆく。

この詩法と生来のぶっとんだ言語感覚が、期せずして可笑しいという効果を生むんだよね。


195 :吾輩は名無しである:2005/12/08(木) 03:52:13
西脇順三郎にも「朔太郎の詩は全部笑って読んだ」ってのがあるね
西脇は朔太郎を読んで始めて日本語で詩が書けると思ったというエピソードも有名だね
もっとも、西脇の手にかかればボードレールも松尾芭蕉もTSエリオットも
ウェットで笑えるということになってしまうけど

196 :吾輩は名無しである:2005/12/09(金) 00:11:47
「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」を読むと窓から上半身だけ覗かせて
腰から下が見えてないのをいいことにポコチンをいじってる朔太郎の姿を
想像してしまう。変態のオッサンが冷静を装って言い訳してるみたいな詩だ。


197 :吾輩は名無しである:2005/12/09(金) 00:18:47
「そこで私をみつめてゐる」人物は、現実にはいないのだと思われ。
本質的には電波系のヤバい詩だよな。


198 :通りすがりの966:2005/12/09(金) 01:46:10
>>194
ふーむ。ぴんとこないけど、やはり人によって注目するところが違って
面白い。朔太郎の詩で「可笑しみ」というのは今まで意識したことがなかった。

そういえば、


よせくる、よせくる、
このしろき浪の列はさざなみです。

の詩句にもなにやら可笑しみが漂ってるなあ。
とにかく、レスありがとう。あらたな視点を与えられて刺激になる。


199 :通りすがりの966:2005/12/09(金) 01:48:15
>>195
西脇順三郎はまた独特ですね。まだキチンと読んでないけど、この人、
ポエジーとかイロニーとかの言葉を使って、ボードレールや芭蕉を
並べて論じてるところが非常に面白い。
学問的にはどうかと思うけど。


200 :吾輩は名無しである:2005/12/10(土) 09:14:56
のぉぉぉぉわぁぁる、と、200ゲット?


201 :通りすがりの966:2005/12/13(火) 00:48:22
前レスに書いた鹿島先生の「虚妄の正義」評が気になって、今日、
本屋に行ったとき捜してみた。
「虚妄の正義」(講談社文芸文庫)なし。磯田光一の「萩原朔太郎」もなし。
全集も見当たらず。

「欲しいと思って書店に行くと品切れ・絶版」の法則が発動されていました(笑)。
しょうがないから「猫町」(岩波文庫)を買ってかえる。これ、ずっとむかし
書店に注文したときは絶版だったんだよなあ。


202 :吾輩は名無しである:2005/12/13(火) 00:54:51
ついでに>>18の疑問についても考えてくり

203 :吾輩は名無しである:2005/12/14(水) 12:35:09
映画の「スイマー」を「泳ぐひと」と訳したのは朔太郎の影響か

204 :吾輩は名無しである:2005/12/14(水) 12:36:16
不幸せな犬、というフレーズがよく出てくるけど、自分のことかと
ドキッとする

205 :吾輩は名無しである:2005/12/14(水) 12:38:13
椎名林檎の「月に負け犬」は「月に吠える」から取った?
刑事ドラマ「太陽にほえろ!」も?

206 :吾輩は名無しである:2005/12/14(水) 19:32:45
この手に限るよww

207 :通りすがりの966:2005/12/15(木) 01:16:18
>>204
日常生活でよく

「なぜおれはいつもこれなんだ」

が頭の中に浮かぶよ !

208 :通りすがりの966:2005/12/15(木) 01:35:43
>>202
では、ご要望におこたえして。

あの引用は、本文の中で現象と実在というふたつの観念について
論じているから、その予備知識として先に提示しておこうという
感じじゃないですか。

引用文中の『蝿の「物そのもの」』=蝿の「実在」
ということで。

そして、本文では、美しい町であると同時に普通の町である U 町の
「現象」と、猫の住む「実在」の U 町が対比関係にある、と。



209 :通りすがりの966:2005/12/15(木) 01:37:54
作者である詩人は、自分の経験談を笑われても別にかまわないと
さらりと書く。なぜならば、自分の直覚にひそかな信をおいている
からだ。

本文から引用すると、

「しかし宇宙の間には、人間の知らない数々の秘密がある。(途中略)理知は
すべてを常識化し、神話に通俗の解説をする。しかも宇宙の隠れた意味は、
常に通俗以上である。だからすべての哲学者は、彼らの窮理の最後に来て、
いつも詩人の前に兜を脱いでる。詩人の直覚する超常識の宇宙だけが、
真のメタフィジックの実在なのだ」

作者である詩人は、こういう「実在」を直覚する詩人の能力にひそかな
プライドを持っているのである。

詩人が、いわば、物事の本質を直覚的に掴む力を所有していることに
ついては、朔太郎の後の世代でありながら朔太郎より早くこの世を
去ったもうひとりの詩人、中原中也もたしか似たようなことを述べていた
と思う。中也はまた、社会における詩人の役割についてはっきりした
見解を持っていた。
両者の「詩人観」について詳細に比較検討すると面白いかもしれない。

210 :吾輩は名無しである:2005/12/15(木) 03:02:17
馬鹿馬鹿しい。「猫町」はブラックウッドの翻案だよ。

211 :吾輩は名無しである:2005/12/15(木) 03:06:59
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/sf/1089282813/l50
文学板の方が程度が低いんでは困るね。

212 :吾輩は名無しである:2005/12/15(木) 12:03:13

>>208
>美しい町であると同時に普通の町である U 町の
>「現象」と、猫の住む「実在」の U 町が対比関係にある、と。

猫の住む町のほうが「実在」として扱われてたっけ?
たしか三半規管の故障かなんかで見た幻想だったみたいなオチがついてた
ことしか覚えてないや
もっかい読み直してみる

213 :通りすがりの966:2005/12/15(木) 23:36:40
>>210
>>211
レスの趣旨がよくわからないんですが(笑)。

いちおう念のために言っておくと、自分の>>208>>209のレスは、
あくまで>>18>>202の「ショウペンハウエルの言葉の引用と本文が
どういう関係にあるか」に対するレス。

自分が買った岩波文庫「猫町」の解説には詳細にブラックウッドとの
関連が書いてあった。でもそれは今の問題点とは無関係だから
ブラックウッドについてはまったく触れなかったわけです。

「ショーペンハウエルの言葉の引用と本文がどういう関係にあるか」と
「朔太郎の猫町がブラックウッドの翻案であるかどうか」とはなんの
つながりもない。なぜいきなりブラックウッドの話になるのだろうか。

>>211氏がどういう意味で「文学板の方が程度が低いんでは困るね」と
言うのかわからないけど、

・レスの趣旨が読み取れない
・まともな日本語が書けない
・「〜はバカ」、「〜は駄目」、「〜は糞」等の一行レス、「根拠のない中傷」
レスだけしか書けない

こういう人が溢れているようですから、そういう意味では「文学板のレベルが低い」
という意見にはまったく賛成です(笑)。

214 :通りすがりの966:2005/12/15(木) 23:37:57
ちなみに、ブラックウッドの件について述べると、岩波文庫の清岡卓行氏に
よる詳細なブラックウッドの作品紹介から判断したかぎりでは、細かい表現
まで同一であるわけではないようだ。

ならば、ただ着想あるいは物語の筋を拝借しただけかもしれない。
そしてそうであるならば、とりたてて問題にすることでもなさそうだ。

シェークスピアの作品で、伝説や過去の他人の作品から着想や筋を拝借
していないものはほとんどないし、ゲーテの「ファウスト」は有名な伝説を
下敷きにしている。森鴎外の「山椒太夫」、柳田國男の「遠野物語」も
同様。だからといってこれらの作品が偉大な文学作品であることを妨げはしない。

朔太郎の「猫町」は、朔太郎独自の小宇宙を形作っている。
これが日本文学の優れた作品のひとつであると言うのに自分は躊躇しない。

「ブラックウッドの翻案だ、パクリだ」などという言葉にまどわされて
読まずにすませる人がもしいるとしたら、その人は掌編ではあるけれど
日本文学の実に魅惑的な宝石を手に取る機会をのがすことになるだろう。

215 :通りすがりの966:2005/12/15(木) 23:40:17
>>212
ぜひ読みなおしてください。
出来ればご意見を。

216 :吾輩は名無しである:2005/12/16(金) 00:17:22
>>214
着想はブラックウッドが下敷きなんだから、
それに対して詩人の直覚云々は後付けの理窟に過ぎない。
そんなものを大げさに取り立てるのは笑止。
朔太郎の批評を認めてなかった癖に、その批評文に騙されてるとはな。

217 :吾輩は名無しである:2005/12/16(金) 18:47:34
>>215
もっかい読み直してきた。ショーペンの引用は>>208>>209の解釈が正しいと思う。
しかし、その辺を念頭に読み直してみても、あのエピグラムは本編で作者が経験した事件と
そこから引き出される洞察にマッチしてない観は拭えないとも思った。

そういう意味では>>216の「詩人の直覚云々は後付けの理窟に過ぎない」って
云いたくなる気持ちもわからなくもないか。

ただ今回読み直してみて思ったのは、猫町の話に入る前に、ちょっとした
考察的エッセイがあって、それから体験談に入るという構成が、ポーの短編の
形式によく似てるんじゃないかと思った。猫町の着想にブラックウッドがあったか
どうかは確かなことは云えないけども、構成に関してはポーの短編を念頭に置いてた
可能性があるんじゃないか。
そう考えると、最初にちょっと難解な哲学的引用を持ってきたのもポーの流儀の
真似だったって思えなくもないかなあ

218 :通りすがりの966:2005/12/17(土) 01:10:36
>>216
>朔太郎の批評を認めてなかった癖に、その批評文に騙されてるとはな。

おやおや。あいかわらず面白い人だなあ。
あなたには朔太郎の「猫町」が批評文に思えるんですか ?

ひょっとして、あなたには、「現象」とか「実在」とか観念的な言葉が
2語以上あったら批評文に思えるとか ? (笑)

自分は依然として朔太郎の批評はそんなに高くかうつもりがないけど、
「猫町」は批評文じゃなくて「散文詩」あるいは「詩的散文」、つまり
批評じゃなくて詩の領域に属する作品と思ってるもんで。


219 :通りすがりの966:2005/12/17(土) 01:12:25
>>217
>あのエピグラムは本編で作者が経験した事件とそこから引き出される洞察に
>マッチしてない観は拭えない

うん。マッチはしてないかもね。
だから、「その予備知識として先に提示しておこうという感じ」と前レスに
書いたようにあくまで軽い気持ちでここでは置いたんだと思う。


>「詩人の直覚云々は後付けの理窟に過ぎない」って云いたくなる気持ちも
>わからなくもないか。

朔太郎がニーチェやショウペンハウエルの思想に強く共鳴していることは
周知のことでしょう。だから「現象」と「実在」の問題は朔太郎の切実な
関心事であったはずで、とってつけたような浅薄な、人からの借物的なテーマ
ではなく、自らの中心的なテーマだったのでは ?。幻想的な物語を裏から
しっかりと支えるものになっていると感じるけど。


>猫町の話に入る前に、ちょっとした考察的エッセイがあって、それから
>体験談に入るという構成が、ポーの短編の形式によく似てるんじゃないかと思った。
>最初にちょっと難解な哲学的引用を持ってきたのもポーの流儀の真似だったって
>思えなくもないかなあ

なるほど。言われてみればそうですね。
特に「難解な哲学的引用を持ってくる」のは、ポーのよく使う衒学趣味、
気取りであって、これは一種の文学的「あそび」ですよね。
朔太郎もこの手でちょっとあそびたくなった、ということでしょう。

220 :吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 03:19:54
>「現象」と「実在」の問題は朔太郎の切実な関心事であったはずで、とってつけたような浅薄な、人からの借物的なテーマ
>ではなく、自らの中心的なテーマだったのでは ?

うん。それはそうなんだけど、ショーペン哲学でいう「物そのもの」ってのは
普通は「実在」とは云わず「意志」って云うよね。この場合の「意志」は
現象の背後に働いている盲目的な「力」みたいなものでさ、U町の裏側に
「実在」している猫町という洞察とどうしてもうまく噛み合わないって思うんだよね。

詩人が直覚するビジョンこそが世界の実在に触れるという言い分自体には特に
反論はないけども、猫町の体験と、ショーペンの意志の形而上学はどうも
しっくり来ていないんじゃないかなあ。朔太郎はショーペン的な意味での
「意志」を本来的な意味で使ってる作品もあるから、もちろん理解はしているんだろうけど、
猫町にそれを適用したのは、ちょっと無理矢理だったっていう印象が拭えないって
感じかな。

221 :吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 03:39:11
まあ猫町に限ったことじゃないけども、朔太郎が詩人の使命とかを語り始めると
どうも大言壮語的な感じになって鼻白むことが多いね。
自分にとっての猫町の魅力の大部分は山奥の中に忽然と現れた幻想の町の
佇まいとか、空間の雰囲気に対する朔太郎の美的感受性の鋭さの部分で、
実在がどーのメタフィジックスがこーのっていう部分でないことは確かだな

222 :吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 08:11:58
詩人の哲学理解なんて半可通ですから、残念。小林秀雄のベルグソンと一緒。
そんなもんに重きを置く方が、あほ。
「猫町」は批評的エッセイを混ぜた小品で、借り物の着想を磨いてはあるが、
エピグラフその他は取って付けの飾り、気の利いた意匠にすぎない。


223 :朔太郎:2005/12/18(日) 16:35:50
そんなことよりさ、みなさんは女の子を可愛いと思いませんか

224 :吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 18:26:21
蛇のやうな遊びしたい・・

225 :通りすがりの966:2005/12/20(火) 02:01:00
>>220
ほうほう。なるほど。

最初からそういう内容を書いてくれてもよかったのに。ひょっとして私に
「かまをかけた」のかな ? (笑)
いや、別にいいけど。久々に歯ごたえのあるレスでうれしい。

ショーペンハウエルについては自分は詳しくないから、そのへんは厳密に
判断できないですね。残念ながら。

たしかにおっしゃる意味では、うまく噛み合ってない気がしますね。
これ以上は自分にはお手上げなので、どなたか別の方のご意見があれば
いいのですが。

226 :通りすがりの966:2005/12/20(火) 02:02:34
>>221
>朔太郎が詩人の使命とかを語り始めるとどうも大言壮語的な感じになって
>鼻白むことが多い

同感です。なんか右翼が街宣車でどなってるような雰囲気を
感じないでもない(笑)。

ただ「猫町」に関しては、自分は特に違和感はなかった。
語り手の経験と思索がうまく溶け合っていると感じる。
実在を直覚する詩人の能力と社会におけるその使命を語り手が信じるその
真剣さが伝わってくる。そういう点で単なる怪奇たん(←漢字が出ないよ)
にはなっていない。

>自分にとっての猫町の魅力の大部分は山奥の中に忽然と現れた幻想の町の
>佇まいとか、空間の雰囲気に対する朔太郎の美的感受性の鋭さの部分

ここも一部同意。
『「山奥の中に忽然と現れた」町』というのは実に魅力的な舞台設定ですよね。
「桃源郷」の話を連想させます。民俗学では「隠れ里」とかいうのかな、
この類の民話、伝説は数多いですよね。
朔太郎は「猫町」の中でも「胡蝶の夢にわれとなりしか、われの夢に胡蝶と
なりしか」の荘子の文章を引用していたし、詩でも老子を引いたものがあった。
そういう伝統的な、中国由来の東洋的イメージも、ショーペンハウエルや
ブラックウッド(?)、ポー、ボードレールなどの西欧人から与えられた文学的
イメージとともに忍びこんでいるのではなかろうか。
桃源郷や隠れ里の見地から「猫町」の解釈を考えてみるのも面白そうだ。

227 :通りすがりの966:2005/12/20(火) 02:03:53
>>222
詩人の哲学理解が浅いからといって、それは必ずしもその詩の文学的価値とは
関係がありませんよ。
批評家が批評文を書く際に哲学を援用して、その哲学理解に問題があった場合は
批評文の価値に影響するでしょうけど。そういえば、小林秀雄は途中で自分の
失敗に気付いて「ベルグソン」の執筆を中断したんでした。

「あのエピグラムは気の利いた意匠にすぎない」というのは、前レスで自分が
書いた「衒学趣味、気取りであって、これは一種の文学的「あそび」ですよね」
と同趣旨で、これには同意。

228 :吾輩は名無しである:2005/12/20(火) 05:49:23
その程度の気の利いた意匠を、ご大層に受け取って論じてた癖に?

229 :吾輩は名無しである:2005/12/20(火) 13:42:32
>桃源郷や隠れ里の見地から「猫町」の解釈を考えてみるのも面白そうだ。

最初に猫町を読んだときはそういう素敵にコージーな瀟洒な町を一度は
垣間見れたものの、二度とは再訪できない、一種のユートピア願望の話かと
思いつつ読んだんだけど、町の人が猫に変貌する瞬間の凶凶しさを見ると
そういう理想の桃源郷という枠にも収まらない要素があるんだよね。
ブラックウッドの作品みたいに自分も猫になってそのユートピアの住人に
なりたいっていうような願望があるわけでもないし。

清岡卓行が解説で書いてるように、一種の時代の不安みたいなものが影響してるのか、その辺は
よくわからないけど、伝統的な桃源郷伝説の系譜のように甘美なイメージだけを
求めて読めないアンビヴァレントさがあるんだな。その不安定さがどこから来るのか
清岡の解説を読んでも実は今ひとつピンと来ない。

「青猫」収録の「閑雅な食慾」って詩もスケールは小さいものの、同じような夢を描いていると
思うんだけども、猫町はああいう幸福感で終始しない難解さがあると思う。


230 :吾輩は名無しである:2005/12/20(火) 20:42:28
>>229 
単に作品としてまとまりがなく、磨き上げ不足、仕上り不十分と見てはいかんのか。
朔太郎が書いたってネーム・ヴァリューに瞞されて過大評価してはいかん。
飽くまで「ちょっといい感じ」の小品だろ。

231 :通りすがりの966:2005/12/21(水) 01:14:03
>>229
うーん。「桃源郷」のイメージがバラ色すぎて違和感があるというのは
わかる。では「異次元の世界に迷い込むという体験」と言い直してもいい。
いずれにしても魅力的な設定ですよね。
谷崎潤一郎の短編にもそういった趣のやつがあったと思う。

清岡さんの解説って、朔太郎に与えたショーペンハウエルの影響についても
あの引用の件についても、本文中に複数回出てくる「現象」と「実在」の
観念についてもまったく言及がないんですよね。
どうも一般読者に不親切な解説だなあと思う。

なるほど。「閑雅な食慾」と共通点がありますね。
これについてはまた別に書きます。

232 :吾輩は名無しである:2005/12/21(水) 01:43:56
魅力的な設定? たしかに、設定はな。
着想したその設定を実際の文章でどこまで生かし切れたかが問題。
しかも設定はブラックウッドの借り物だったし。

233 :通りすがりの966:2005/12/22(木) 23:31:22
>>229
「猫町」に漂う「不安」、「不安定さ」は、しかし、朔太郎本来の持味だと
思って、別に気にならなかった。そのボルテージは「猫町」で多少高いとしても。
逆に自分は「閑雅な食慾」に漂う「幸福感」あるいは「奇妙な明るさ」の方が
例外的だと感じる。
朔太郎には「月に咆える」の時から、病的感覚、腐乱、失意等を歌った詩の
一方で、「亀」、「盆景」、「天景」などの奇妙に精神の平衡がとれた
明るい詩も同居している。これが以前から自分にはひとつの謎でした。
だから229さんとはちょうど逆の印象を持っていることになる。
自分には、「同じような夢を描いている」「閑雅な食慾」ではなぜ
「猫町」と違って「幸福感」が漂っているのだろうかと思うわけです。


234 :通りすがりの966:2005/12/22(木) 23:32:28
いずれにしろ
岩波文庫「猫町 他十七篇」を読んだのは今年の収穫だった。
「猫町」以外の所収の作品では他に「詩人の死ぬや悲し」、「虫」、
「この手に限るよ」、「坂」、「大井町」等の詩的散文が心に残った。
随筆のパートでは「老年と人生」に驚倒しました。


235 :吾輩は名無しである:2005/12/23(金) 12:24:43
猫町は朔太郎の脳内に作られた映画のオープンセットなんだな。
そこでは建物の美術や通行人などがすべてある美意識によって
厳しく統制されていて、ちょっとした失態一つでバランスが崩れて
崩壊するような舞台装置みたいな感じ。
黒澤明の撮影現場なんて、監督の「よーいスタート!」でこんな極度の
緊張が走るんだろう。
けれど、そういう一つの美意識によって統制された完璧な理想世界の装置は
どのみち長くは維持できないわけで、監督のカットがかかるまでか、だれかの
ちょっとしたミスでNGになるかしかない運命なんだな。
(「海」や「坂」の散文詩でも開放的なビジョンや幸福な夢想が一瞬しか
続かないのも似たような原理だろう)

「猫町」の不安定さと張り詰めた極度の緊張は「閑雅な食慾」よりも
維持するのが大変なセットのスケールの大きい幻想だったからなのかもしれない。


ところで人が猫に変わるってことに関してなんだけど、
清岡卓行が解説で長々と説明してる大戦への時代的危機感とかっていうのは
実はぜんぜん関係なくて、あの舞台の均衡を破るくせものが
一匹の鼠のようなものだったってのがポイントだった気もする。
吸血鬼の町に迷いこんだところ、それを知らずにちょっと鼻血を出しちゃった途端、
血のにおいを嗅いだ町の全員が一瞬吸血鬼の顔に戻ってしまったっていうようなもので、
猫町の書かれた時代背景とかではなく、均衡をやぶる鼠、それに釣られた人間の皮を
かぶった猫の住人っていう、その変貌はあくまでも物語的な必然だったって解釈していいんじゃないか。

236 :吾輩は名無しである:2005/12/24(土) 04:12:59
「クリスマス」

クリスマスとは何ぞや
我が隣の子の羨ましきに
そが高き窓をのぞきたり。
飾れる部屋部屋
我が知らぬ西洋の怪しき玩具と
銀紙のかがやく星星。
我れにも欲しく
我が家にもクリスマスのあればよからん。
耶蘇教の家の羨ましく
おるがんの唱歌する声をききつつ
冬の夜幼なき眼に涙ながしぬ。    

237 :通りすがりの966:2005/12/25(日) 00:49:35
>>236
それは朔太郎の作品?

238 :通りすがりの966:2005/12/25(日) 00:51:06
>>235
>「猫町」の不安定さと張り詰めた極度の緊張は「閑雅な食慾」よりも
>維持するのが大変なセットのスケールの大きい幻想だったからなのかもしれない。
そうかもしれません。
その緊張感あるいは詩的凝縮性は最初から終りまでずっと維持されて
いるように感じる。前レス>>214で「朔太郎独自の小宇宙を形作っている」と
書いたのはそういう意味。「猫町」が傑作だとする理由のひとつです。

清岡卓行氏の「時代の反映」説は自分もあまり感心しません。
いかにもなるほどと思わせるけど、なんか高校の現代国語の授業で
生徒に対する解説用におあつらえ向きの論だなあと。
それに異論があるわけではないが、そういった「時代の反映」説はあまりに
安易に思えるのだ。朔太郎の他の、「幸福感」漂う、「奇妙に明るい」詩が
書かれているのはどう説明するつもりなのだ、と言いたくなる。


>その変貌はあくまでも物語的な必然だった
うーむ。これも興味深い説ですね。

239 :吾輩は名無しである:2005/12/25(日) 02:35:02
>脳内に作られた映画のオープンセットなんだな。

それってつまり「書き割り」ってことやがな。
嘘っぽく安っぽいって意味で、絵や小説に対しては罵倒語やんけ。

240 :吾輩は名無しである:2005/12/25(日) 05:28:25
>>237
朔太郎の作品だよ
全集に収録されてる。

241 :吾輩は名無しである:2005/12/25(日) 18:27:14
>書き割り

俺は、この言葉は肯定的な響きに感じる

242 :通りすがりの966:2005/12/26(月) 00:43:48
>>240
レス、ありがとう。
ひょっとして朔太郎をまねて>>236氏が自作したのかもと思った。


243 :通りすがりの966:2005/12/26(月) 02:35:21
朔太郎の冬の詩といえばこれ。

乃木坂倶楽部

十二月また来れリ。
なんぞこの冬の寒きや。
去年はアパートの五階に住み荒漠たる洋室の中
壁に寝台を寄せてさびしく眠れリ。
わが思惟するものは何ぞや
すでに人生の虚妄に疲れて
今も尚家畜の如くに飢えたるかな。
我れは何物をも喪失せず
また一切を失い尽くせり。
いかなれば追わるる如く
歳暮の忙しき街を憂い迷いて
昼もなお酒場の椅子に酔わんとするぞ。
虚空を翔け行く鳥の如く
情緒もまた久しき過去に消え去るべし。

十二月また来れリ。
なんぞこの冬の寒きや。
訪う者は扉(ドア)を叩(の)っくし
われの懶惰を見て憐れみ去れども
石炭もなく暖炉もなく
白亜の荒漠たる洋室の中
我れひとり寝台に醒めて
白昼(ひる)もなお熊の如くに眠れるなり。


244 :吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 08:15:01
>>241 どうかしてる。書割って、奥行きがなく薄っぺらって意味だもの。

245 :通りすがりの966:2005/12/27(火) 00:41:00
前の方で岩波文庫「猫町 他十七篇」所収の随筆「老年と人生」を
読んで驚倒した、と書いた。というのは、次のような文章があったから。
(自分の若いときには真に楽しかったという記憶がほとんどない
という文章のあとに続く)

「何よりも苦しいことは、性欲ばかりが旺盛になって、明けても暮れても、
セクスの観念以外に何物も考えられないほど、烈しい情火に反転悶々する
ことだった。しかもそうした青年時代の情慾は、どこにもはけ口を見出す
ことができなかった。遊女や売春婦等のいる所へは、絶対に行くことを
禁じられていたし、第一親がかりの身では、そんな遊興費の銭を持つこと
ができなかった。〜」


246 :通りすがりの966:2005/12/27(火) 00:42:02
また、少し後の方でも、50歳を越えた現在の心境を説明して、
「何よりも気楽なことは、青年時代のように、性欲が強烈でなくなった
ことである。青年時代の僕は、それの焦熱地獄のベットの上で、終日
反転悶々して苦しんだが、今ではもうそんな恐ろしい地獄もない。」
とも書いている。

いやあ、凄い。ここまで性欲の苦しみについてあからさまに述べた
詩人がかつていただろうか。朔太郎を「愚直」と前の方で>>141=150氏が
形容してたけど、まったくこんなに「愚直」なまでに正直な人とは
思わなかった。

上記の文章を念頭におくと、前のレスの>>72氏や
>>196氏と>>197氏の詩の解釈は、(細かい部分で同意できない
ところはあるけれども)急所を捉えた読みだということがわかる。


247 :吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 08:10:48
それに感心してる方がよほど愚直に見えるね。

248 :通りすがりの966:2005/12/30(金) 01:05:11
それにしても「老年と人生」や詩集巻末に付属の年譜なんかを読むと
朔太郎ってけっこうダメ人間だったんですね。
中原中也なんかと違ってもう少しまともな人物かと思ってた(笑)。

中也が、酒に酔って人にからんだり喧嘩を売ったりする積極的破滅型
とすれば、朔太郎の方は、ぐずぐずと自堕落に落ちて行く消極的破滅型
といえばいいか。結局朔太郎は「気の弱いおぼっちゃん」なんだろうなあ。


249 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/30(金) 06:45:46
朔太郎が谷崎に関して書いてるエッセイで、同じロマンティストでも
谷崎は自分よりもずっと大人っていうか、ふてぶてしい現実主義者としての
処世術を持ってたことを賞賛しながら、そこが小説家と詩人としての資質の
分かれ目だみたいなことを書いてたね。

朔太郎には気質的にとても共感する反面、生き方を見てるとたしかに
歯がゆいっていうか、やっぱり甘ちゃんだったのかなあって思うことも多いけど
しかし自堕落とはいえ、全集15巻に及ぶ著作を残しているわけで、
内容の是非はともかく「詩の原理」のような野心的な作品を完成させたり、
物書きとしてはけっこう勤勉な努力家だったって思うようになった。

250 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/30(金) 20:24:34
>明けても暮れても、セクスの観念以外に何物も考えられないほど、
>烈しい情火に反転悶々することだった。

散文詩「死なない蛸」なんて読むと、女に飢えるあまり自らの肉体をむさぼり尽くしちゃって
肉体を持たない性欲の怪物となって蹲ってるようなスサマジサを感じる。

ああいう自分の性欲を「老年と人生」で赤裸々に告白するのも朔太郎らしいけど、
それを鬼気迫る詩作品として表現したことに朔太郎の真骨頂があると思う。

251 :通りすがりの966:2005/12/31(土) 00:56:11
>>249
たしかに谷崎と朔太郎は対照的ですね。

>「詩の原理」のような野心的な作品を完成させたり
詩を本当に愛していたということかな。
詩がダメ人間の自分の唯一の存在証明だからかもしれないけど(笑)

252 :通りすがりの966:2005/12/31(土) 00:57:40
>>250
>それを鬼気迫る詩作品として表現したことに朔太郎の真骨頂がある

そのとおり。「月に吠える」、「青猫」は性衝動を完璧な芸術表現に
昇華した文学作品の金字塔です(笑)。

253 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/31(土) 04:36:48
>詩がダメ人間の自分の唯一の存在証明だからかもしれないけど(笑)

たしかにそういう我田引水的な自己肯定もあるだろうけど、
朔太郎にとっての詩は、ダメ人間が感情を吐露するための唯一の表現方法といった
消極的な意味合い以上のものがあったと思うけどな。

うまく云えないけど、ニーチェが自分の「認識」の多くを詩的アフォリズムで
表現したのと同じ事情が、朔太郎にとっても当てはまるような気がする。

それは小説などの散文的な物語で表現するよりも、詩やアフォリズムで伝えるのが
もっとも相応しいやり方だったっていうような。


254 :通りすがりの966:2006/01/03(火) 00:43:54
>>253
もちろん朔太郎が詩を自分の表現形式に選んだことについてはなんらかの
理由があるに違いない。
朔太郎だけでなく、中原中也も宮沢賢治も最初は短歌をつくることから
始めた。(そしていずれも石川啄木に強い感銘を受けてのことだった)
この3人がなぜ短歌を捨てて詩に転向したのかは興味深い問題だ。

255 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 01:46:13
なんらかの理由?・・・そんな基礎知識もなしに
語ってんのかダラダラと。
阿呆共だな。くだらん

256 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 02:07:09
短歌も定型詩の一種じゃ?

257 :通りすがりの966:2006/01/03(火) 02:14:47
>>256
それは結局なにが言いたいの?

258 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 02:46:04
40過ぎても、パパとママがおらな生きていかれへん人

259 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 02:48:23
>>257
「短歌を捨てて詩に転向(>>254)」
って書いてあったからさ。「詩歌」って語もあるくらいだから、
詩と短歌って同じようなモンじゃないかと。
「詩歌」も、「河川」「児童」「金銭」みたいな語の造りかと。
揚げ足取るわけじゃなくて、朔太郎もミヤケンも中也も
「短歌を捨てた」という意識は別に無かったんじゃ

260 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 23:22:56
郷愁の詩人与謝蕪村っていうくらいだから朔太郎にとって
詩と短歌はそれほど大きな区別はなかったのかもね。

ところで上記の蕪村論読んだ人いますか?岩波文庫はすぐに
なくなっちゃうので一応買うだけ買ったけどまだ読んでない。
蕪村にはあまり興味ないので、朔ちゃんらしさが随所に感じられるような
エッセイだといいんだけどな


261 :通りすがりの966:2006/01/04(水) 01:22:05
>>259
なーんだ。「短歌も詩も似たようなもんじゃねーの。どっちでも大した
違いはないでしょ」ということか。聞き返すんじゃなかった。

でも、ある人間は短歌を作り始めて生涯短歌一筋だ(歌人や俳人は普通詩を
作ったりはしない)。北原白秋のように短歌も詩もずっと両立させていた
人間もいるけど例外的な存在とみなされている。
朔太郎も宮沢賢治も中也もいったん短歌から離れたあと二度と短歌を
詠んでないと思う。つまりそこにはある程度意識的な選択が働いていた
と考えられそうなわけだけど。ま、いいや。

262 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/04(水) 02:15:05
いけね。蕪村は短歌じゃなくて俳句だた

意識的な選択っていうより、短歌では自分の資質を開花させることができず、
詩という形式ではじめて才能を発揮できたって考えちゃダメなのかな。


263 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/04(水) 05:55:39
七五調は窮屈だけど、そこまで定型的じゃなければ何とか書けるってことか?
「詩人になれなかったヤツが小説家になる」と言ったとか、
ジャンルによる序列の意識が朔太郎にはあったんだろうか?

264 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/04(水) 13:30:06
ジャンルの序列はないと思うけどな。白秋の「思ひ出」と「桐の花」を
同じように評価してたみたいだし。朔太郎も白秋のように詩と短歌の
両輪でいければよかったんだけど、白秋ほど器用じゃなかっただけなんでは。

朔太郎の詩の中には七五調のリズムが生きてるのもあるから、定型というものを
完全に捨てたということはないんじゃないか

265 :通りすがりの966:2006/01/05(木) 01:27:08

朔太郎の与謝蕪村のタイトルが「郷愁の俳人〜」ではなくて「郷愁の詩人〜」と
なっていることに意味があるんですよ。
すなわち、朔太郎は、蕪村のなかに「詩人」、それも「近代的な詩人」を
見出したわけです。蕪村の俳句に近代詩と共通するポエジーを発見したんです。

これは逆に言うと、朔太郎にとって蕪村以外の俳句には魅力が
あまり感じられなかったことを意味する。

266 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 01:31:40
全集収録の「アフォリズム拾遺」に「人境」という見出しで
次のような断章がある。

猫が人間のやうすをして、家の中に座っている。(幻想風のものとして)

これは清岡卓行も岩波文庫の解説で触れてないよね?

この断章がどういう意図のもとに書かれたのかはわからないけど、
これが「猫町」を書くためのアイディアノート的書き付けでないとすれば、
「人が猫に見える」というのは朔太郎にとって一種の固定観念になってたのかもしれん。

267 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 01:31:40
          ,へ                      \     |    /     ,ハ百
         \ \                   \   |  /      ム.只
         /へ/)                    ./ ̄\
    ∧_∧∩  )(            ‐ ‐ ‐−──( ゚ ∀ ゚ )──−‐‐ =夫=_
    .(*・∀・)7   (  !      ______ノ'""ゝ. \_/       フi三iヽ
   ゚ .冂つム゚_」   Y       (_   ____)    ':;  |  \      '─'
  ゜ ム_」」」」ゝ   人    ___) (__∠__   \|    \
   (,_,,ノ `ー´   (  ';   (__________)   ~':;,,.     \
   ,' . / .'     ヽ (_        ,,;::'~            ~':::;;,,,_
  / / '        \ヽ.  __,,,,-‐''"~     ∧_∧   ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
   '0      __,,..l⊂Z_).⊃!         ( ´∀` )    ̄ ̄ ̄ ̄) (二二二二二......  0
  0Π0- ‐‐'''""   |;;:.:. ヮ . .:::;|        ,べヽy〃へ  ( ̄ ̄ ̄             0Π0
  HΠH       ∩.∧_∧∩    ∧∧/  :| 'ツ' |  ヽ  ̄λ_λ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧∧ ̄ HΠH
 EEE      匸(´∀`;)フ   (,゚Д゚,). o |=宗=! o |  ( `ー´) ヮ    (゚ー゚*) EEE
  |l|lil|ili|        瓜ゞッ=Lく   ,くリ=ッ=[ゝ.__」「「「「L_.」  厂〉=ッ冂づ ヌ Oヮ⊂[]ヨ  |l|lil|ili|
,,.<卅卅ゝ.__.,.,.,___.__.,.,.,(__)ヾZ)'_.,.,_じ(ノルハ)Jつ」」」」」⊂ソ.,_.,_.(入ム]つつ.__,L!__. (_」つ.,<卅卅ゝ,,.,,

〜ラッキーレス〜
2006年新年あけましておめでとうございます!
さて、このレスを見た人は、コピペでも良いので26分以内に3つ以上のスレに貼り付けてください
そうすれば今年中に、体の悪いところは全て治るわ好きな人に告白されるわ出世するわで大変なことです

268 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 22:59:29
「氷島」の詩は漢文調っていうか、難しい言い回しが多くて
実は意味がよくわからない部分が多い。

意志なき寂寥を踏み切れかし 
飛べよかし 飛べよかし   の「かし」とか 

あと「いかんぞ」っていうのもよく出てくるけど、どういう意味なのかな

こういうのは国語の授業でも習った覚えないし、
みなさん、どこで覚えるんですか?


269 :通りすがりの966:2006/01/06(金) 00:49:08
>>266
ほうほう。全集収録のアフォリズム拾遺ですか。
「一種の固定観念になってたのかもしれん」というのはたしかに考えられますね。

270 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/06(金) 15:40:09
いかんぞ いかんぞ!



271 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/06(金) 18:01:12
自由詩>定型詩、という意識は朔太郎の中には確実にあったと思うけどね。
少なくとも青猫までは。
いまの俺たちには、自由詩も短歌も俳句も並列的な文芸ジャンルに過ぎないが
当時は、口語自由詩はまだできたてほやほやの最新スタイルだったわけで。

短歌や俳句なんて古くさくってヤだよ、というのは、若い詩人たちの共通認識だったと思われ。

272 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/06(金) 20:09:08
>>271
初めは短歌作ってたんだから古臭いっていう感覚はなかったと思うよ
七語調のセンチメンタリズムも最後まで捨ててないし。
自由詩で新たな地平を開いたという自負はあっただろうが、定型に
対するリスペクトはいつもどこかに持ってたと思う。

273 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/06(金) 21:12:12
>>272
いや、当時の詩人たちはほぼ例外なく短歌(もしくは俳句)から出発してるのよ。
それは、短歌がまだ日本人の基礎教養だったから。
絵を描く人が石膏デッサンを必ず一度は通るのにちょっと似ている。

だからリスペクトというより、身体に染みついたものだったわけで。
「短歌から出発した」=「短歌をリスペクトしてた」という図式には必ずしもならない。

朔太郎の場合、習作期以外に短歌を作っていないし
短歌に関する評論も残していない。(俺の知る限りでは。)




274 :通りすがりの966:2006/01/09(月) 00:38:22
>>268
>「氷島」の詩は漢文調っていうか、難しい言い回しが多くて実は意味が
>よくわからない部分が多い。

きっちり正確にわからなくても詩のよしあしはわかるから、自分はあまり
気にしてないなあ。もちろん、細かい部分まで正確にわかれば申し分ないし、
古典文法を一から勉強し直したいという気持ちはあるけど、多分しない(笑)。
じーさんになって時間とお金の余裕ができたら考える。

古典の大学受験参考書みたいに、現代語訳と文法解説つきの至れり尽くせり型
朔太郎・中也・賢治文語詩解説本が出版されたら絶対買う(笑)。

>こういうのは国語の授業でも習った覚えないし、みなさん、どこで覚えるんですか?
古典・漢文の授業で少しは意味ならったんじゃないの。なんとなく多少はわかると思う。

「氷島」はとにかく朔太郎が怒っている! それだけは間違いない(笑)

275 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/09(月) 00:44:28
(微笑)


276 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/09(月) 01:21:39
>古典の大学受験参考書みたいに、現代語訳と文法解説つきの至れり尽くせり型
>朔太郎・中也・賢治文語詩解説本が出版されたら絶対買う(笑)。

そういう本があったら俺もほしい。
文法解説まで行かなくても今の読者には難解な部分をわかりやすく
解説してくれる入門書みたいのってないのかな。朔太郎の研究書って
山ほど出てるけど、伝記的な研究とかじゃなくて、詩を読むための
いい解釈本ってないんですかねぇ

>「氷島」はとにかく朔太郎が怒っている! それだけは間違いない(笑)

オッサン、何をそんなに怒ってるの?って肩を叩いてやりたくなるなぁ

277 :通りすがりの966:2006/01/10(火) 00:01:58
>>276
詩を読むための解釈本、入門書で今はいいやつが思いつかないけど、

「名詩鑑賞 萩原朔太郎」那珂太郎(編纂) 講談社学術文庫

というのが出ていた。
(これと、「萩原朔太郎」磯田光一(著) 講談社文芸文庫、
「萩原朔太郎」大岡 信(著) ちくま学芸文庫 を
自分は古本屋めぐりして買う予定)

同じ講談社学術文庫で「名詩鑑賞 中原中也」もあった。


278 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/10(火) 00:35:49
>>276
調べると鑑賞の手引きっぽい本もいろいろありそうなんですが、
どれがどうなのかはまるで手がかりがないので、読んだら感想を
教えてくだされ。気長に待ってます。
私は今は古本屋でゲットした伊藤新吉の「萩原朔太郎」(浪漫的に・虚無的に)っていう
二巻本を読んでるところ。詩の解釈はほとんどないけど、評伝としてはバランスがとれてて
とても面白いです。大岡信の本は昔買ってもってるんだけど、大岡のアプローチは私には
興味薄で途中で挫折しました。

279 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/10(火) 07:36:31
http://ludwig.kir.jp/ok/src/1136845987962.jpg
http://ludwig.kir.jp/ok/src/1136846005867.jpg
群馬に出かけた時に、朔太郎記念館?みたいなちっちゃい建物で撮った。
敷島公園という公園の中にありました。朔太郎の住んでいた家の一部を移築したものかな?
すんごい小規模でしたが…。



280 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/10(火) 16:53:51
>>279
俺もそこ行った。管理人とか誰もいないのな。無人の記念館w

貴重な資料は全部前橋文学館のほうにあるのかな。
http://www15.wind.ne.jp/~mae-bun/index.html

こちらへは行ったことないけど誰か行った人いるかな

281 :通りすがりの966:2006/01/13(金) 01:34:21
>>277の補足。

中公文庫版「日本の詩歌」(全30巻)のシリーズは、脚注のスペースで
個々の詩の鑑賞・解釈が少しだけ書かれている。

(これの朔太郎の巻も古本屋で手に入れるつもり)

282 :通りすがりの966:2006/01/13(金) 01:35:51
>>278
伊藤新吉さんてなつかしい名前だなあ。昔なにか読んだような気がする。

>大岡信の本は昔買ってもってるんだけど、大岡のアプローチは私には
>興味薄で途中で挫折しました。

ふーん。大岡さんがあわないとは意外だ。
この人のは「蕩児の家系」という詩人論か詩史論かを昔読んだ。
面白かったし、非常に勉強になったという記憶がある。
(それにしても「蕩児の家系」というのはすばらしいタイトルだ)

283 :通りすがりの966:2006/01/13(金) 01:39:21
>>279
>>280
情報サンクス。

それにしても、前橋っていうのはどんな町なんだろう。
町の雰囲気とかはなにか独特なものでもあるだろうか。



284 :279:2006/01/13(金) 02:40:03
>>283
前橋はごく普通の地方都市って感じだったよ。
想像してたよりは都会だったかな…(群馬の人ごめん)。

よくも悪くも特色ないっつーか…郊外にありそうな量販店が国道沿いにたくさんあった。

285 :279:2006/01/13(金) 05:11:44
あと風が強かった!
上州空っ風、というのはホントなんだと実感した。
1ヶ月くらい滞在したんだけど、毎日台風みたいな強風だったよ。

286 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/13(金) 13:33:37
広瀬川の柳が老木化して倒れると危ないから軒並み伐られるそうだね
文学散歩するなら今のうちかw
前橋行くなら冬がいいよ。赤城山や妙義、浅間の山も冬のほうが
よく見えるし、骨身に沁みる空っ風の冷たさを味わえる。

ところで高橋元吉の家が経営してたカンコ堂って本屋まだあるのかな?


287 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/13(金) 17:17:00
>>282
278氏は駄目だったようだが、俺は強力に薦めるよ。>大岡信「萩原朔太郎」
大岡らしく非常に目配りがきいていて資料を丹念に読んで書いている。
詩集未収録の初期作品が載ってるのも高ポイントだよ。
少なくとも、読んで絶対に損しない本だ。

ただ、大岡信はもともと短歌好きで、どんな詩人について書いても
習作期に書いた短歌を大きく取り上げる傾向がある。
これが人によっては退屈だったりする。
あと、論の進め方が非常に慎重で、爽快感には欠けるんだよなあ。

288 :通りすがりの966:2006/01/13(金) 23:46:15
>>284
レス、ありがとう。

「ごく普通の地方都市」で、「1ヶ月くらい滞在して、毎日台風みたいな
強風だったよ」って、それ、普通じゃないじゃん(笑)。

「1ヶ月くらい滞在したんだけど、〜」って、いったいどんな事情だろう。
(おまえは室生犀星か! )と思わずツッコミ(笑)。

思潮社現代文庫版「萩原朔太郎詩集」巻末の年譜を見ると、「大正3年 
2月、犀星初めて前橋を訪れ、約1ヶ月滞在」とあるのだ。


289 :通りすがりの966:2006/01/13(金) 23:53:13
>>286
旅のアドバイス、ありがとう。
広瀬川の詩はいいですね。

冬の寒いなか、広瀬川か利根川のほとりを散策すると、寂寥が身にしみて
朔太郎気分が満喫できるかも。

290 :通りすがりの966:2006/01/13(金) 23:54:41
>>287
レス、ありがとう。忙しくてまだ古本屋巡りができないけど、それは
是非手に入れたくなってきた。

>大岡信はもともと短歌好きで、どんな詩人について書いても習作期に
>書いた短歌を大きく取り上げる傾向がある。

なるほど。納得。
大岡さん、よく王朝和歌について書いてるもんね。

291 :279:2006/01/14(土) 04:46:00
>>288
車の免許取得のための合宿でした。
実はあんまり朔太郎ファンじゃないんだけどね…近くにあったので行ってみたわけデス。

中原、朔太郎あたりは熱心なファンが多いけど、どっちもピンと来ない…。


292 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 11:34:06
カンコ堂まだあるよ。
カンコ鳥が鳴くほどじゃないけど、あの一帯が寂れてるからな。

293 :通りすがりの966:2006/01/15(日) 01:21:13
>>291
なんだ、そういう手があったか。

「カイジ」とかのギャンブラー漫画でよくあるように、借金抱えてタコ部屋に
監禁状態で1ヶ月強制労働させられた、とかだったら面白かったのに(笑)。

>中原、朔太郎あたりは熱心なファンが多いけど、どっちもピンと来ない…。
そりゃ、残念。でも、後になって朔太郎の詩の良さがわかり、あの時にわかって
いたらなあ、とか思うことになるかもしれない。人生よくそんなことがある。

294 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/15(日) 12:49:09
>>292
カンコ堂まだあるんだ
先日前橋にちょっと寄ったときにたまたま前三デパート前を
車で通ったんだけど、昔見たおぼえのある朔太郎生家跡の石碑が
見当たらなかった。工事中みたいな感じだったけど、どっか
移転されたのかな


295 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/15(日) 23:51:31
朔太郎の氷島で、文語で作品を表すようになったのはなんで?

296 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/16(月) 00:25:07
試験がんばろうぜ!!オレも今必死こいてるから!!!

297 :通りすがりの966:2006/01/17(火) 00:26:50
>>295
朔太郎自身の言葉を借りれば、

「この詩風に文語体を試みたのは、いささか心に激するところがあって、語調の
烈しきを欲した」
「ともあれこの詩篇の内容とスタイルとは、私にしては分離できない事情である」

ということです。

つまり、口語体より文語体の方が詩の内容・感情にマッチするから。

298 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/18(水) 21:22:22
氷島はつまらん!でも題名は好き

299 :通りすがりの966:2006/01/20(金) 00:26:27
猫町の補足。,

「猫町」は次の文章で終っている。

「〜。あらゆる多くの人々の、あらゆる嘲笑の前に立って、私は今も尚固く
心に信じて居る。あの裏日本の伝説が口碑している特殊な部落。猫の精霊
ばかりの住んでる町が、確かに宇宙の或る何所かに、必ず実在して居るに
ちがいないということを。」

この真剣な、切迫した、「実在」を信じようとする思い、ほとんど
祈りとも言える念は強い印象を読者の胸に残す。

この文章と、朔太郎の第二詩集「青猫」の序文中の次の文章を比較して
いただきたい。

「〜。私の真に歌おうとするものは別である。それはあの艶かしいひとつの
情緒ーーー春の夜に聴く横笛の音ーーーである。それは感覚でない、激情
でない、興奮でない、ただ静かに霊魂の影をながれる雲の郷愁である。
遠い遠い実在への涙ぐましいあこがれである。」

また、もう少しあとの部分では、次のように書かれる。
     ↓

300 :通りすがりの966:2006/01/20(金) 00:27:41
「かくて私は詩をつくる。燈火の周囲にむらがる蛾のように、ある花やかにして
ふしぎなる情緒の幻像にあざむかれ、そが見えざる実在の本質に触れようとして、
むなしくかすてらの脆い翼をばたばたさせる。」

すなわち、最初に引用した「猫町」末尾の文章は、「青猫」序文中の
「実在への涙ぐましいあこがれ」の言い換えなのである。

簡単な年譜で確認すると「青猫」の上梓は大正12年(1923年)、「猫町」
の上梓は昭和10年(1935年)と時間的にかなり離れている。
朔太郎の「実在」と「現象」をめぐる関心が継続していたことがわかる。

なお、「月に吠える」の自序には、「実在へのあこがれ」うんぬんの
言いまわしは出てこない。つまり、朔太郎は「月に吠える」上梓以後
にショーペンハウエル哲学に親しみ、それが「青猫」全編を覆う主調低音
となり、なお引き続き「猫町」までそれが尾を引いているわけである。

301 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/20(金) 09:30:45
猫町が「宇宙の或る何所かに、必ず実在して居るに
ちがいないということを。」 という場合の「実在」なんだけども
ショーペン哲学の実在=意志だから、ほとんどショーペン哲学とは
関係ない勝手な使い方なんだよな。「青猫」における「実在へのあこがれ」
ってのもショーペン的な意味で考えるとナンセンスで、朔太郎は実在って
言葉をショーペン的ではなくプラトン的なイデア界への意味で使ってるね。

そういう点から見ても朔太郎はショーペンハウアー的な皮肉なペシミストではなく、
さりとてニーチェ的な男性的ニヒリストにもなれず、
本質的にはイデアを希求するロマン主義者で、晩年の悲憤慷慨調も
イデアを希求して挫折したロマンチストの慨嘆という気がする。



302 :通りすがりの966:2006/01/22(日) 00:51:56
>>301
んー。
ショーペンハウエルはたしかプラトン哲学の伝統をつぐ人じゃなかったっけ。
だからプラトンのイデア路線でショーペンハウエルを理解できるんじゃないの。

朔太郎が「本質的にはイデアを希求するロマン主義者」で、
「晩年の悲憤慷慨調もイデアを希求して挫折したロマンチストの慨嘆という気がする。 」
というのは、まったく同感です。

朔太郎はポーやボードレールの影響を受けたけれども、それは彼らがフランス象徴派
あるいはその先駆としてではなくて、ロマン派の要素を色濃く残した文学者だからだと
思われる。

蕪村に魅せられたのも、彼に香り高いロマン派詩人を見出したからだろうし。

303 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/22(日) 03:25:40
高踏な議論とは関係のない、まったく素朴な質問なんだけど。
朔太郎の詩の中で、どの一編がいちばん好き?

私は「鶏」かなあ。

304 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/22(日) 23:00:55
「寝台を求む」に一ピョウ

魂の慰安としての女への渇望をこれほどの繊細さと深さで
言葉にしえた人を他にしらない


305 :通りすがりの966:2006/01/25(水) 01:46:58
>>303
残念ながら、一編に絞るのは自分には不可能。(「鶏」は好きだけど)
ベスト30ぐらいなら選べると思う。

それで頭をひねって、ひとつぐらいに絞れそうな設定を考えてみた。
「朔太郎らしさがあまりなく、特別傑出した詩ではないけれど、それでいて
自分の好きな詩」、これならわりあい絞れる(笑)。

ということで、「郵便局の窓口で」を選んだ。↓


郵便局の窓口で
僕は故郷への手紙をかいた。
鴉のやうに零落して
靴も運命もすり切れちやつた
煤煙は空に曇つて
けふもまだ職業は見つからない。

(以下略)

306 :通りすがりの966:2006/01/25(水) 02:05:58
>>305の補足
この「郵便局の窓口で」は、「月に吠える」の諸篇のような感覚の鋭敏、
病的な感受性も、「氷島」のような怒り、寂寥の表現もないけれど、
朔太郎の精神がもっとも安定していた頃の作品といえるのかもしれない。

とにかくこんな詩が朔太郎にあるとホッとするのだ。

中原中也にはこんな感じの詩がある。

307 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 22:15:47
靴も運命もすり切れちやつた ってところが中也っぽいな

308 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 14:02:16
朔太郎の文学は、シュルレアリズムに接近してただけではない。
彼の感覚は、現代日本のオタク文化や2ch文化にまで接近して
いた。

天才的白痴。驚くべき才能を持ったダメ人間。

なぜ彼の詩はいまだに古くないのか。いまだに彼を超える詩を
書ける者が出ないのはなぜか。

破綻しているのに破綻してないのはなぜか。
こう考えると、つくづくおもしろい人だったと思う。

309 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 14:52:23
>>302
>ショーペンハウエルはたしかプラトン哲学の伝統をつぐ人じゃなかったっけ。
無茶苦茶言ってるな。まさかホワイトヘッドが言った意味でもあるまいに。
検索して調べてから書き込めばいいのに。

310 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 17:06:20
朔太郎は語学あんまできなさそう。
いわゆる「文献学者」ではない。
哲学書も全部翻訳で読んでたんでしょ?

311 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 18:57:37
>309
いや、無茶じゃないっしょ。
「意志と表象としての世界」を読めばわかるが、
プラトンの「イデア」→カントの「物自体」→ショーペンの「意志」という
形而上学の伝統を継ぐってショーペン自身が云っとるがな

312 :通りすがりの966:2006/01/28(土) 00:13:01
>>310
朔太郎の弱点は「学がない」ことですかね。

でも学を積んだら逆に詩魂が薄まるような・・・
あの思い込みの強さが朔太郎らしくていい。


>>311
フォロー、ありがとう。

自分もいちおう検索してそれらしきものを見つけた上での書きこみでした。

313 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 00:20:52
>>311
それではカントがコペルニクス的転回をした意味が無くなるよ。
ショーペンハウアー的「実在」をプラトンのイデアに直結させるのは不可。

314 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 03:29:11
>313
まあそれは哲学史的な評価の問題で、ショーペンハウエルの「意志」が
プラトン的形而上学として認めうるかってことは確かにある。しかし
一方でショーペンハウエル自身はプラトンの系譜を継ぎ、カントの
認識論的な限界を乗り越えたつもりだったことも事実で、ショーペン哲学の
内部に視点を置けばぜんぜん問題ない。

315 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 17:06:28
詩に関係がない、知識を振り回したいだけの論議が続くな。

朔太郎がショーペンハウエルにどの程度影響を受けてか、までは
作品に関係がある論議だったが。
プラトンとショーペンハウエルのつながりが、朔太郎に何の関係がある。
授業で習ったことをしゃべりまわりたいだけの奴はほんとに困るな。

316 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 22:56:19
>>315
直接は関係ないが、ぜんぜん無関係というわけでもない。

朔太郎はショーペンハウエルの意志の哲学に影響を受けている反面、
気質的にはプラトンのイデアを憧れるようなロマンチストで、
プラトンとショーペンハウアーを同じ系譜の「形而上学者」として見ることで
ある程度その矛盾も解消されるはず。(特に「実在」への憧れという言葉の使い方とか)

317 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 23:05:43
>>312
学がないということで思ったんだが、
朔太郎の書簡集を読むと、妙な当て字が多いのが面白い。
漢字の熟語を間違って覚えてるんだが、その間違え方に一種独特の癖が
あり、「朔太郎語」とでも云いたいようなそれ自体が一種の造語になってて、
ああいう独自な言語感覚があればこそ、あのような詩が書けたのかもしれん



318 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 12:25:01
バカなのが幸いした良い例だと思う。
だから俺は朔太郎が好きなの。

319 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 18:16:53
俺の高校の先輩を馬鹿というな。一応進学校だぜえ?

320 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 21:56:08
「バカ」は言いすぎじゃないの? 芥川から「萩原君は学がありすぎる」とか言われ
たんだろう? おそらく皮肉交じりなんだろうけど、皮肉交じりにしても芥川からそう
言われたんならさ。

321 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 23:46:18
芥川は、そのいっぽうで、「文学をあまり知らないのが、朔太郎の
強みであり弱みである」とも言ってる。学識=文学の知識じゃないけどね。
文学以外の知識が豊富ということか?

322 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 23:47:35
とにかく怖い感じがする。

323 :通りすがりの966:2006/01/30(月) 17:46:06
>>314
>>315
フォロー、ありがとう。

2ちゃん文学板で、ちゃんとレスの趣旨を読み取った書きこみ、
話の流れに沿った書きこみを読むとホッとする(笑)。

324 :通りすがりの966:2006/01/30(月) 17:47:53
>>317
普通の文章読んでると、随分無理な漢語の使い方だなあと思うことが
ありますね。やはり漢籍の教養がないからかな、と。
芥川とか弟子の三好達治でそんな感じを受けることはないんですが。

325 :通りすがりの966:2006/01/30(月) 17:50:32
>>319
旧制の前橋中学の出身ということ?

でも朔太郎、よく学校をズル休みしてたみたいだ。

前橋中学といえば、「純情小曲集」の「郷土望景詩のあとに」という詩集のあとの
自らの解説で、こう書いてるのが印象深い。

Y前橋中学

利根川の岸辺に建ちて、その教室の窓々より、浅間の遠き噴煙を望むべし。
昔は校庭に夏草茂り、四つ葉(くろばあ)のいちめんに生えたれども、今は
野球の練習はげしく、庭みな白く固みて炎天に輝けり。われの如き怠惰の生徒ら、
今も猶そこにありやなしや。


「われの如き怠惰の生徒ら、今もなおそこにありやなしや」という文がいい。
こういう、詩集の詩ではない文章(序とかあとがきとか)もなかなか読んで楽しい部分。

326 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 16:10:52
朔太郎は勉強家だったとは思うけど、朔太郎の「学問」ってのは、
大学でやるようなアカデミックな規則や方法論に則ったものでは
なかったんじゃないかと思う。文献学的で論理実証的な、厳密な
意味での学問というものには、朔太郎はもともと興味がなかった
んじゃないかな。だから慶應に進学しても音楽に没頭して中退し
てるでしょ。

朔太郎は、純粋な詩を創造するために必要な知識は、かなり豊
かに備えていた。その意味で「知識人」の一種ではあったと思う。
だが彼の知的好奇心は、常に「詩的なもの」に根差し、「詩的な
もの」に収斂してゆくので、無味乾燥な学者的な意味での「知識
人」ではなかったんじゃないか。だからよかれあしかれ、「原典主
義」とも違う人だったろうね。

それが僕のいちばん言いたかったことです。おわぁ。

327 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/01(水) 22:31:35
「詩の原理」は面白い。
でも、詩はつまらない。
アフォリズムは安っぽい。

328 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/01(水) 23:17:23
プ


329 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/02(木) 04:02:50
ププ

330 :通りすがりの966:2006/02/02(木) 23:21:30
うわあ。凄い。
朔太郎の詩がつまらなかったら、他のどんな詩人の詩を読んでもつまらないと思うけど・・・
うーむ、こんな人がいるんだと単純に驚いた。


331 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/02(木) 23:45:58
萩原朔太郎と対立する詩人・詩論は幾らでもあって、
それらの愛読者からすれば朔太郎の詩がつまらんのは当り前。
驚く方が、視野狭窄だな。

332 :通りすがりの966:2006/02/03(金) 00:04:00
ふふふ。
朔太郎の精妙な日本語の使い方には大抵の詩人が
シャッポを脱ぐと思うんですが、まあ、あなたはいつも
私に粘着つっこみレス入れる人だと思うから、本気で相手に
していいものかどうか悩みます(笑)。
「つまらない」の意味を私と別の意味で取ってますね。

333 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 00:06:19
別って? どんな意味だかちゃんと言ってみ。
それと、萩原朔太郎批判した『詩と詩論』とか知らないのかな。

334 :通りすがりの966:2006/02/03(金) 00:19:17
あはは。やっぱりあいかわらず人のレスの趣旨が読めてないですね。
私は「精妙な日本語の使い方」と書いた意味がわかってない。
「朔太郎を批判した」人がいたとか批判した詩論があるとかとは関係ないんですよ。
私はあなたの日本語読解の教師になるのはメンドクサイので後は自分で考えてください。

335 :通りすがりの966:2006/02/03(金) 00:20:58
失礼。>>334の「私は〜」は「私が〜」の書き間違いです。

336 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 00:22:18
「精妙な日本語の使い方」なんて言ってるのは
朔太郎信者の繰り言だしなあ。
論敵があることも想像できず、
対立する詩観の持ち主にわからせる努力もせず、
説明放棄で逃亡かい。


337 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 00:29:35
朔太郎の詩語は精妙ではない。時に玄妙ではあってもいつも精緻ではないもの。

338 :通りすがりの966:2006/02/03(金) 00:30:34
まあ、ここまで注意深く朔太郎スレを読んできた人には、2ちゃん文学版に

レスの文章の意味を正しく読解することができず、
かならずといっていいほど元のレスの趣旨からずれたレスをする、
まれには日本語になっていない文さえ書く人間がいる

ことには気がつくと思う。
こういう人がひとりであちこち書きこんで板全体のレベルを下げてるんだなあと
思わずにいられない。

今日は相手をしたけどこれからは無意味なレスはスルーしますからね(笑)。

339 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 00:31:59
↑自分のこと言ってどうする。

340 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 03:32:46
ぶっちゃけそこまですごい才能を持っていたとは思えないんですけど
凡庸な奇人というか
この詩人そんな立派ものなの?
釣りじゃなくほんとにわからなかったです

341 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 06:00:43
実は自分も同意です
昔、尊敬する国語の先生が朔太郎好きだったので
好きになろうと努力したことはあるのですが。
文学史上、新しい試みをしたということは習いましたし、すごいのだと思いますが
どうも朔太郎は暗誦して楽しんだりとまではいきません
詩を味わう能力がないと言われればそれまでですが


342 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 14:06:26
詩はともかくも、エッセイとか短編は陳腐だと思うんですが
世間的には評価も高いのでしょうか

343 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 00:46:44
人生の神秘を解く言葉が鉄筋コンクリートだったとか・・
究極の女の口説き方を発見した「このてに限るよ」とか・・
世間的な評価は知らんが、朔ちゃんならではのオマヌなセンスがたまらんね


344 :通りすがりの966:2006/02/07(火) 01:09:54
>>340
>>341
前の方のレスでも朔太郎は現代の詩人にとって「父親越え」を果たさなければ
ならないというような存在だと書いたけど、具体的に他の詩人の言葉から引用してみよう。

・思潮社版「萩原朔太郎詩集」の解説文から金子光晴の言葉。金子光晴も立派な詩人
のひとり。

「その偉さは、僕らを感嘆させる目標でもあり、同時に僕らを苛立たせるめあてでもあるのだ」
「僕らに、萩原に対する反感とか憎悪とかがあるとすれば、論の正当、不正当とはまるで
別問題にこの偉さに対して、どうそらしようもない宿怨的な怨恨から出発するのである」


345 :通りすがりの966:2006/02/07(火) 01:12:14
他にも、
・三好達治は昭和を代表する詩人であり国民的詩人とも呼ばれている。
この人が朔太郎を師と仰いでいたことはよく知られている。

・西脇順三郎も高名な詩人だが、この人が日本語で詩を書く決心をしたのは
朔太郎の詩を読んだから。

・戦後詩人のひとり、飯島耕一の「朔太郎詩集」解説文から。
「新しい詩、革命的な詩とは何かと言うなら、それは朔太郎を超えることではないか
と思われる。朔太郎をいかに超えるか、それが新しく来たものの野望でなければ
ならない。だがそれは非常に困難である。〜」

このように金子光晴も飯島耕一も「朔太郎越え」を果たすことが後の詩人の
課題であると言っている。それだけ朔太郎の詩は越えがたい高峰なのだ。

346 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 01:13:27
「解説」は、あまり批判はしないでお茶を濁すもの。
深読みすれば、批判したいところが一杯あるけどここでは偉かったと言っておく、ってことかも。
だいたい金子光晴の言ったことだからって、ご説ごもっともと承ってなくてもいいのよ。

347 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 01:15:31
>>344-345
朔太郎批判の説を引きもしないのは、全く公平でない。
解説文が褒めるのは当り前。批判文を知らないとか?

348 :通りすがりの966:2006/02/07(火) 01:24:36
それにしても>>340>>341は他に好きな詩人がいるのだろうか。
朔太郎の作風とか詩の素材が好きになれないというのなら理解できるけど。

349 :通りすがりの966:2006/02/07(火) 01:31:33
>>346
実際に本文を読んでみるとわかると思うけど、金子光晴は朔太郎にすごい
嫉妬心を抱いてるわけです。だからこそ「宿怨的な怨恨」とか言ってるわけ。
くやしいけど朔太郎の偉さは認めざるをえないということ。引用した文章だけ
からでもそれはわかると思うけど。


350 :通りすがりの966:2006/02/07(火) 01:36:15
>>347
あいかわらず私の方がなんでもすべてやらなけゃならないんですか?(笑)
批判したい人はどうぞ自分で批判してください。

というか、あなた、また例の粘着さんでしょうけど(笑)。

351 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 01:52:57
>>350
あまり一面的だからたしなめられたのが、わかりませんか。
ほめてる文章ばかり引用しても、詩人の価値が証明されるわけない。
批判と両方突き合せて考量すべきなのは当然のことなのですが、
詩を好む連中は総体に批判吟味ができないのが多くて困りものです。

352 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 02:08:21
金子光晴>>萩原朔太郎

353 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 02:49:22
朔太郎が「ある方面」で突出してることは否定しようのない事実だろう。
しかしその「方面」に関してこころの琴線を持ち合わせてない人がつまらないと
思っても不思議はない。安んじて自分の琴線に触れる詩人を読めばよろし

354 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 10:57:42
どんな長文よりも>>343の三行レスが心を打ちますた。

355 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 16:18:35
>>353 その通り、不思議はない。それに驚くのは>>330みたいな信者ばかり。

356 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 19:07:05
通りすがりの966は全集持ってない様子だから信者としては
まだまだ精進が足らんな。
966にはこのさい全集買ってもらって断簡零墨まで読みこんでほしい。
天才的な感性としょーもなさとが同居した文章の宝庫でつよw

357 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 23:32:16
だって解説を鵜呑みにして崇めてるだけでしょ。上っ面だけ読んでも、ねえ。

358 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/10(金) 00:36:19
嫌いとか、いいとか思わんとかいう文言を投げ捨てるように書いて
反論されると「信者」呼ばわりで勝った気になる。
まあそういう輩は文学とも詩とも縁なき衆生だなあ。

359 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/10(金) 07:07:06
頌詞ばかりで説明ぬきなのも、批評とは縁無き輩だけどね。
平信徒に宗論はできないってか?

360 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/10(金) 14:18:21
朔太郎スレで朔太郎マンセーは当然。
ひとの揚げ足ばっかとってないで穿った批評の一つでも書いてくれ。
でもないものねだりはなしねw


361 :吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 11:10:13
>朔太郎スレで朔太郎マンセーは当然。
批判精神皆無か。つける薬が無い。

362 :吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 12:56:50
●猫の郷愁
女は常に、裸体になることを悦楽している。
それによって彼等は、豹の美しい本然性と、野獣の自由性とを
回復して、自然のままの姿となり、遠く本能があこがれてる眷属の森林に帰れるからだ。
(「虚妄の正義」)

こういう言い草って今ならフェミ批評でバッサリだよね。
でもまあ女にたいする男の恐れみたいなものって確かにあって、
その恐れの感情自体は女の実体とは関係ないともいえる。
しかしすぐマッパになりたがる男もおるなw


363 :名無し物書き@推敲中?:2006/04/30(日) 22:56:38
受賞している

364 :吾輩は名無しである:2006/04/30(日) 23:34:55
鮎川信夫は、10代で朔太郎を読んでとても衝撃を受けたが
ある一時からまったくの興味が失せてしまったとか
そのせいか、結構批判的なことを書いてたはず
それはともかく、>>344-345じゃ朔太郎の詩史的価値しか説明されていない
読者にとって彼が「父親」だろうが何だろうが
つまらないものはつまらないだろう
よしんば、読者が彼の「息子」たちのファンだったとしても
「父親」まで好きになる必要も必然もないわけで
父親と息子はあくまで別人だ

>朔太郎の詩がつまらなかったら、他のどんな詩人の詩を読んでもつまらないと思うけど・・・
つまり、これは詩や文学に家父長制度を強要してるってことですか

365 :吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 11:06:35
ただの個人的意見だろ。いちいち突っかかってもしょうがない

366 :吾輩は名無しである:2006/05/13(土) 22:25:51
雲雀の料理は架空の料理なんでしょうか?
それとも実際に料理して出してるお店などがあるんですか?
できることなら味わってみたい気もするんですが・・・

367 :吾輩は名無しである:2006/05/13(土) 22:39:11
pithiviers
ピティヴィエ
2枚のパイ生地ではさんで焼き上げたヒバリのパテ
アーモンドクリームを2枚のパイ生地ではさんだ菓子

368 :吾輩は名無しである:2006/05/24(水) 01:15:27
>>362
今読むとギャグにしか見えないな、この手の文章。

369 :吾輩は名無しである:2006/05/24(水) 01:16:56
>>340
たくさんの偉い詩人が褒めてんだから、凄いのだろう。
君の好みではないというだけのことなので、たくさん読んで好きな詩人を見つけましょう。

370 :吾輩は名無しである:2006/05/24(水) 07:33:23
谷川俊太郎とどっちが上?
同郷同姓の恭次郎とは親類?

371 :吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 17:19:36
恭次郎とは親類ではないよ。
当時もよく親類に間違われたらしいが、群馬じゃよくある名字なんだよ。
朔ちゃんの親父が眼医者だっけ?恭次郎はそこにかかりつけで行ってたらしいよ。

372 :吾輩は名無しである:2006/07/02(日) 02:15:39
萩原健一は埼玉だよな

373 :吾輩は名無しである:2006/07/05(水) 19:07:37
萩原朔太郎の詩だと思うんですけど
メフィストと殿さまが出てくる詩ってありませんか?
一方的にメフィストが殿さまに語りかけてる、という詩です
かなり前に古本で読んだのに、タイトルが思い出せない…on2

374 :吾輩は名無しである:2006/07/07(金) 04:43:08
そんな詩は知らんな。朔太郎じゃないっしょ

375 :吾輩は名無しである:2006/07/31(月) 05:13:10
自転車日記、面白いね

376 :吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 03:27:08
           ,,,_  _ァュ,,..__
        ィチュ::ミミ:.:三彡:.:: :.:.:ヽ
        /::彡'':.: :.::/:.:{{.::r‐‐ ::_:.: :.:..、
      ,ィ/:.: /:..: ::{{:..川||::!     ヾ::;;:、
     ,ィ:.: ::.: /:. ::川:.:ヾ:.:.!{::      ヽ::!
   ///:.: :.:.:||ll: :.: .::.:.:ヾ::.::.i       ':!
   !:|:.:::ミ:: :.;;;川:.: :.:巛、ヾ::! 、       l
   ゙::ミミh::. :;:.::||l|:.:: :.}}::!l {{ ヾ  _,,...ィ r'' 、
     ゙::ミミ:.: ::.;:.:ミミヾ:.: :.:| ヾ、  '´  ,  マ
     ヾ:: .:.:ミミ三 :.:州リリ    _,,..rテ'  ヽ
      ヾ::;ィ'´ ̄`''ヾ州!         ,.  ヽ
        ゙レ'⌒r ィ ,;;. ..        .:' ,rィ ’      おわあ、こんばんは
         ヽ し  :.: ..         、  ヽ
       ,,ハ`ー- ..ィ            _,.. ィ
      ィ:::! \   ヽ.          ィ{:::...
       /:::::!   \    ` - ..__       丿::::::ヽ
    /:::::::ヘ    \      ` ーァ-一'::::.:::.:::.::.!ヽ
   /:::::.:..:::::::::ヽ    \      リ::. :::.:.:.:.:::.:.:.:.::::!:::.::!

377 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 09:42:46
オー イイネイイネ クリソツ

378 :吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 12:49:31
おわああ、宮崎吾朗は病気です

379 :吾輩は名無しである:2006/10/15(日) 01:03:19


380 :吾輩は名無しである:2006/10/15(日) 01:54:12
子供が糞をもらした

私は糞をもらした

妻が私に怒った

子供は泣き

私も泣いた


朔太郎の「糞」ってチョーいいよね

381 :吾輩は名無しである:2006/10/15(日) 23:12:02
>>380
なに、その戯れ歌。どこに載ってたの?

382 :吾輩は名無しである:2006/10/19(木) 10:43:02
>>380
ワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

本当に朔太郎の詩?だとしたら凄すぎ

383 :萩原清志郎:2006/10/19(木) 11:22:24
初歩的な質問ですが、僕の高校の時の現国の教科書に載ってた「竹とその哀
傷」って詩はホントに良い詩で、朔太郎の代表作と言えるようなものなんで
すかあ?僕は朔太郎の愛読者だけど、あれは太宰でいえば「走れメロス」み
たいな、意味なく調子の高いヘンな詩としか思えません。「竹、竹、竹が生
え」言われてもなあ。
私だけでしょうか、朔太郎好きなのにあれが分からない、というのは。(分
かる人、どこが良いのか、宜しければご教示の程お願いします。)

384 :吾輩は名無しである:2006/10/19(木) 19:55:08
漫画家の田村信は朔太郎派だね

ぐもももも〜
とか
きぴめ博士とか

385 :吾輩は名無しである:2006/10/19(木) 22:25:29
>>383
志向としては、代表作といえないけど
手法としては、言えるんじゃないかな。

386 :吾輩は名無しである:2006/10/20(金) 00:28:19
>>383
生え、生えっていうリズムとかが斬新だったんだろね。
妙に感覚が研ぎ澄まされてる印象もあるけど
おれも代表作というほど突き抜けた詩だとは思わんな。

387 :吾輩は名無しである:2006/10/21(土) 03:19:10
ゲド戦記:挿入歌の歌詞が朔太郎の詩と酷似
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061021k0000m040142000c.html

388 :吾輩は名無しである:2006/10/21(土) 12:24:14
ここの住人は気づかなかったのかw

389 :吾輩は名無しである:2006/10/21(土) 14:20:40
>>388
>>378

作詞をどうどうと自分にしてるのはずうずうしいが。
自ら、萩原の詩からパクッたみたいなこと言ってただろ。


390 :吾輩は名無しである:2006/10/23(月) 08:40:53
>>388
心オナニーのスレで類似を指摘したが、スルーだった

391 :吾輩は名無しである:2006/11/24(金) 01:39:03
おわあ、こんばんは

392 :吾輩は名無しである:2007/01/05(金) 01:47:08
この家の主人は病気です

393 :吾輩は名無しである:2007/01/24(水) 22:00:13
夜つぴとへだ。

これ、どう発音するんですか?

394 :吾輩は名無しである:2007/01/31(水) 01:22:31
弓なりにしなつた竿の先で
小魚がいつぴき ぴちぴちはねてゐる
おやぢは得意で有頂天だが
あひにく世間がしづまりかへつて
遠い牧場では
牛がよそつぽをむいてゐる。

395 :吾輩は名無しである:2007/02/01(木) 23:54:42
詩については本当に素人だけど、今日この人の詩集を買った。
なんかスゲー病的な悲しさというか、ある種破滅的なものを感じた。
これからもっと読み進めていく。

396 :吾輩は名無しである:2007/02/20(火) 08:27:52
朔太郎はニートにも受けが良さそうだねw


397 :吾輩は名無しである:2007/03/04(日) 07:24:25
あまり詩は読まないのだけど、先日、前橋で広瀬川沿いを歩いてみて、
朔太郎像を見かけて思い立ち、「月に吠える」と「青猫」を読んでみた。

「月に吠える」には何というか…気持ちのいいキモチ悪さを感じる。
犬も猫もばくてりやも(もちろん「私」も)、生きているということは、
ただ、生きているというそれだけでも、なんとも気持ち悪いことだな。

「青猫」は、全体的に甘い印象。足らないという意味ではなくて、文字通り甘い。
頭の中に、読んだ文字を食べる器官があるとして、そこで甘さを感じてる。
憂鬱や寂寥感は人を殺してしまうこともあるけど、甘美に味わうことができるものでもある。

398 :吾輩は名無しである:2007/03/05(月) 20:23:03
朔太郎はニートじゃない。高等遊民だよ。

399 :吾輩は名無しである:2007/03/05(月) 21:04:20
 見よ、人生は過失なり!

400 :吾輩は名無しである:2007/03/06(火) 21:14:53
 ニートかどうかは知らねえが、おれは399の詩句が30台半ばには何かし
ら不思議な力をもって迫ってくるようになり、40越えた今じゃグサグサ
来るようになっちまった。10代20代の頃は「単なるデカダン趣味」く
らいに思っていたのだったが。。。orz

401 :名無し募集中。。。:2007/03/09(金) 04:51:08
いきなりですが中也と朔太郎って交流は全く無かったんですかね?

402 :吾輩は名無しである:2007/03/12(月) 14:52:39
ああわたしはしつかりとお前の乳房を抱きしめる、
お前はお前で力いつぱいに私のからだを押へつける、
さうしてこの人気のない野原の中で、
わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、
ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
おまへの美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけてやる。

            愛憐

403 :吾輩は名無しである:2007/03/14(水) 00:26:23
詩文学
http://book4.2ch.net/poetics/
なんて板ができていた

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