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近・現代日本の詩歌(詩・短歌・俳句)

1 :通りすがりの966:2005/12/25(日) 01:27:20

現在スレの立ってない詩人、歌人、俳人をまとめてここであつかう。

文学の精華、詩を語れ !


2 :通りすがりの966:2005/12/25(日) 01:29:46
時節にふさわしい句をひとつ紹介。

クリスマス指うつくしき囚徒おり   飯田龍太



3 :◆XywcDiO5sg :2005/12/25(日) 05:52:41
詩心のないことにかけては人後に落ちない僕ですが、『短歌パラダイス』はすっごく面白かった。素人目には穂村弘と大滝和子(でしたっけ)が際立っているような気がしました。

4 :吾輩は名無しである:2005/12/25(日) 11:23:32
現代詩と伝統詩(短歌・俳句)を作る現代詩人としては
寺山修司と高橋睦郎が双璧か(どっちも国民学校世代)。


大岡信スレもないし、こういうスレは大歓迎。

5 :吾輩は名無しである:2005/12/25(日) 11:29:20
安東次男スレもないしね。

6 :吾輩は名無しである:2005/12/25(日) 23:58:11
寺山というのは、文学史的には、俳人として語られることのみ多いが、
個人的には、詩人としての印象が強いな。彼の『ロンググッドバイ』という
詩を読んでいわくいい難い興奮を覚えたことがある。多才な人だな。
寺山スレはあるようだけど。

7 :通りすがりの966:2005/12/26(月) 00:46:17
おおっ、まともなレスがついてる。まずそれにビックリだ。

>>3>>4>>5
俺、現代の人はあまり読んでないのでコメントできない。
穂村弘という人の名前はよく見かけるけど。

現代短歌・俳句はまだ多少わかるけど、現代詩(戦後詩派以降)は読んで
サッパリわからない場合がある。

お薦めの作品があれば紹介をお願いしたい。


ちなみに、朔太郎関連で北川透氏の著作を少し覗いたけど、そのなかで
現代詩は一般読者からあまりに隔絶しているという趣旨の文章がよく出てきます。




8 :吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 01:50:54
文学の玉座にあるのは「詩」のイメージがあるんだけど、
近現代の日本では「小説」だよね。
時代の故? 地域性の故?

9 :吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 02:00:00
正直、寺山修司の作品の一部、というか大半は
引用元が安易過ぎて、読んでるこっちが恥ずかしくなってきたりする

10 :大介 ◆m0yPyqc5MQ :2005/12/26(月) 02:06:44
 新宿西口で配られてる『私の志集』300円、イイよ。
可愛いお姉さんが43才で売ってるよ。

11 :吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 02:13:19
現代詩文庫、
ほんとの文庫サイズにして、
一段組みにして、
字もおっきくして、
値段も安くして、
ド田舎でも買えるようにして、
キボンヌ。

12 :通りすがりの966:2005/12/26(月) 02:26:20
>>8
イギリスやフランスでは詩人って地位が高いけど日本じゃ片隅の
存在だよね。その点については朔太郎なんかも昔から嘆いてた。
なんか説明は読んだことがあるけど忘れました。失礼。

天皇制を採用してて天皇は歌を読む人間でもあるのになんで詩人の
影が薄いんだろうね。

この文学板でもなんか芥川賞の小説がえらい大きく取り上げられてるし。

13 :通りすがりの966:2005/12/26(月) 02:27:28
>>11
現代詩文庫って、あの縦に長いやつ?

あれ瀟洒で結構好きだけど。
値段は、大量にさばけないから安くするのは難しいでしょう。
採算取れてんのかなあ。
思潮社はよくがんばってると思う。

14 :吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 02:32:31
そういや大学のとき、日本語の所有者は天皇です、って習ったことがある。
確かに和歌とか短歌とかって天皇制に直結しちゃうとこあるもんね。




15 :吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 06:58:10
そのあたりの事情は、丸谷才一の『日本文学史早分かり』を読むとよく分かるよ。
古今和歌集から新古今和歌集の「八代集」が日本古典文学をどれだけインスパイアしたか。

16 :吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 09:59:42
明治天皇でも昭和天皇でも和歌を詠ませればなかなかのものだった・・と大学の連歌の先生が言っておりました。

17 :吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 15:46:18
一時期日本の作家の誰もがフランス象徴派詩人に夢中になっていました。
しかしそのほとんどが、小説家になりましたとさ。
なぜなんでしょうか?

18 :吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 17:29:29
>>16
丸谷才一の『花火屋の大将』では大正天皇の和歌が褒められてたね。



ちなみに、丸谷曰く明治天皇の和歌は「下手の横好き」だとか。

19 :通りすがりの966:2005/12/27(火) 00:45:09
>>14
>日本語の所有者は天皇です、って習った
えええー。
それはちょっと・・・

たしかに短歌の「悲壮がり」は右翼の心情とつながるものが感じられる。

20 :通りすがりの966:2005/12/27(火) 00:46:43
>>15
「日本文学史早分かり」は読んだけど内容忘れちゃった。
この人の「恋と女の日本文学史」? だったっけ、これも面白かった。
でもどちらも現在、品切れみたいですね。

21 :通りすがりの966:2005/12/27(火) 00:47:46
>>17
>一時期日本の作家の誰もがフランス象徴派詩人に夢中になっていました。
>しかしそのほとんどが、小説家になりましたとさ。

「一時期日本の作家の誰もが」は、「一時期日本の詩人の誰もが」の間違い?

例えば誰のこと?


22 :吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 01:03:32
>>19 それほど否定することでは…。
だって天皇の「お言葉」ってトップニュースになるし、
歌会始も新年にあるし、
NHKでは放送の始まりと終わりに日の丸の画面に君が代が流れているし(今はもうないのかな)。


23 :通りすがりの966:2005/12/27(火) 01:24:22
>>22
まあ、今の程度ならあまり気になりませんけど。

宗教や政治と文学がからむのは好まないのだ。
古めかしい芸術至上主義者的なところが自分にはあるのかな。

24 :吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 12:27:03
どこの国でも詩歌は神絡みで始まっているわけで。
ただ日本は他の国よりもその伝統が濃厚すぎるだけのこと。

25 :吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 12:37:08
秋の田の刈り穂の庵の苫を荒み我が衣手は露に濡れつつ 天智天皇


従来は農民の労苦を思いやるだけの歌と言われてきたが、
丸谷才一の説では「秋」は「飽き」の掛詞で、袖が露に濡れるのは
涙のメタファーで、この歌の主眼は天皇が捨てられた女性に「やつして」
詠むことにあり、そうして天皇が恋歌を詠むことで
五穀の豊穣を祈願すると考えられていたらしい。


上の首は実際は天智の歌ではないのだが、肝心なのは
「この歌は天智に詠んで欲しい」っていう歌人達の
(多分に詩的感性に動機付けられた)気持ちであって。

26 :吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 12:39:56
オレ的には王朝和歌的な感性と右翼は何の関係もないと思う。
王朝和歌のパロディーが流行して遊女が浮船とか源氏物語の姫君みたいな
名前を名乗った江戸時代でも、誰も天皇中心の国家なんて考えてなかったんだから。
(高山彦九郎とかは別にして)

27 :吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 13:07:55
現に、戦時中は新古今趣味の『百人一首』(言うまでもなく恋歌中心)が禁止されて、
『愛国百人一首』てのが奨励された。

28 :吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 15:24:36
まあ結局は文学における「近代」と「前近代」のせめぎあいの問題なんだろうな。
ジョイスだって、丸谷に言わせればヨーロッパの辺境の(つまり、もっとも前近代的な?)
アイルランドだから言語芸術の粋を尽くしたものになったわけで。
(『若き芸術家の肖像』しか読んでない自分が言うのもアレだが)


実際、アイルランドは今でも吟遊詩人がいるらしいし。
日本で言えば連歌師や白拍子がいるようなもんだ。

29 :吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 23:47:28
瀧井孝作の俳句

30 :通りすがりの966:2005/12/28(水) 00:46:22
>>24
>詩歌は神絡みで始まっているわけで。
そうなんですよ。だから具合が悪いんです。
自分にとっては宗教や政治からは無関係であってほしいのに。
ま、言っても仕方がないことですけど。


31 :通りすがりの966:2005/12/28(水) 00:48:14
>>26
んー。いや、右翼との直接の関係ではなくて、「右翼の心情」、「右翼的
心情」、というか。
額に青筋立てて怒鳴ったり、眉間に皺よせたり、悲壮感漂わせたり、みたいな。
もっといえば、日本人的なメンタリティー、付和雷同性とか、「絶対
負けられない戦い」だとか、選手が必ず「頑張ります」と答えることとか、
そういう心的傾向っていうのが短歌の感性に育まれた一面があるような気が
するわけです。
それで、短歌の甘美さに接した時、「この美しさは危険だ」と警戒する
気持ちが自分にはあるんですよねえ。

32 :吾輩は名無しである:2005/12/28(水) 02:49:54
>>30 宗教も政治も文学も「言葉」だからねえ、無関係でいるのは難しいわな。
>>31 そうだね、「美しい日本語」には気をつけなきゃいかんとこあるね。
  たとえば、大江健三郎の文体がなんであんなふうになってんのか、ってことだわな。
  

33 :吾輩は名無しである:2005/12/28(水) 03:58:55
>>32に同意

丸谷は、文学も政治も下手の横好き。
理解してないから信用しないほうがいい。


34 :吾輩は名無しである:2005/12/28(水) 10:31:17
>>31
そういうのは「すべて」近代短歌的な感性。
王朝和歌でも俳諧でも、もっと「笑い」「社交」ってのが重視されたわけで。

35 :吾輩は名無しである:2005/12/28(水) 10:50:39
源氏物語なんて、不義の子が皇位に就いたり皇室や貴族社会のゴシップ満載だぞ。
(だから王室のスキャンダルに慣らされた世紀末イギリス人に絶賛された)


こういう「浮ついた」王朝和歌的感性と軍国主義的な万葉的感性は別物。
その万葉解釈も、学問的におかしいことは近年の研究で証明済みだが。


36 :吾輩は名無しである:2005/12/28(水) 10:55:06
詳しいことは大岡信の一連の万葉本を読めばわかる。
(大岡は学者ではないが、特に学問的におかしいとも思わないし)

37 :◆XywcDiO5sg :2005/12/28(水) 21:53:28
現代における宗教と古代における宗教は別じゃないかな。後者は宗教というよりアニミズム(例えばアメリカ原住民やアイヌにみられたような自然崇拝)と考えた方が近いような気もしますが。

38 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/29(木) 16:35:06
文学と政治は別物。
政治は近代民主主義でも文学や文化は神話や古典の教養に裏付けられたもので全くかまわないと思う。
イギリスなんて、政治思想は左翼でも文学は唯美主義って立場なんて珍しくないし。
日本人は頭が固すぎる。高橋義孝じゃなくても反マルクス主義批評を展開したくなるよ。

39 :通りすがりの966:2005/12/30(金) 00:51:41
>>34
>そういうのは「すべて」近代短歌的な感性。

あー。そうかも。
自我や個性を重視する近代の文学観のために王朝和歌の持つ
「社交」的一面が閑却され、近代詩を読む感覚で解釈するという
結果になっている?
これは山本健吉氏なんかが「古典と現代文学」で言ってたような
気がする。

40 :通りすがりの966:2005/12/30(金) 00:52:50
>>36
大岡信氏の古典関連本は「自分の読むべき古典関連本ベスト・スリー」
のひとつ。今は当分萩原朔太郎関連の本で手一杯だけど。

ちなみに他のふたつは、「藤原定家」(久保田さんだったっけ)、
「後鳥羽院」(丸谷才一)。

あと、最近「紀貫之」が出たし、藤井氏の「古典入門」とかも読みたい。

41 :通りすがりの966:2005/12/30(金) 00:59:21
しかし、ちょっとスレ違い気味・・・。

このへんで休憩と口直しに名吟を読もう。


   林檎園

紅玉の実結ぶこの樹々は

雪空のもと、幾月をすごすならむ

そを思いて、山を下りき

そを想いて、頬を燃やしぬ。


作者は津村信夫。立原道造と同世代の詩人で、早くに亡くなった。
道造と同じく、マイナーな趣があるが醇乎たる抒情詩人。

42 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/30(金) 01:06:49
確かにスレタイからズレつつあるな、
まあ、漏れもズラしてしまった1人なわけだがw

とりあえず、短歌や俳句でお勧めの雑誌ってある?
どうも違いがよくわからんのだわ。


43 :通りすがりの966:2005/12/30(金) 01:37:10
短歌や俳句の雑誌って、基本的に実際に短歌や俳句を詠む人が
買うものみたいで、自分のようにただ単に優れた詩歌を読むのが
好きなだけの人間はおよびじゃないという雰囲気を感じる。偏見だろうか。
そんなわけで、自分は雑誌についてはよく知らないのだった。


44 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/01(日) 16:14:31
歳時記を読んでも季語がピンと来ません。
どんな花なのか、どんな虫なのか、どんな風習なのか…、イメージできません。
単なる字面にしか見えません。
こんな私に俳句は読め(詠め)ますか?


45 :通りすがりの966:2006/01/03(火) 00:42:26
>>44
好きなように詠めばいいと思うよ。
無季俳句というのもあるし、季語がないと絶対ダメというわけではない。

46 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 01:04:26
>>45
好きなように読もうにも読めないのです。
さすがに「桜」はイメージが膨らみますが、
聞いたこともないような花の名前がうじゃうじゃ載ってるんですよ、歳時記なんか見ても。
何千何万種とある花がたった一種類の「花」しかないんですよ、自分には。
ちょっと極端ですけどね。


無季俳句にしてもあくまで傍流でしょう?
やっぱり自然とか伝統とかに詳しくないと俳句はつらいのではないかなと思ったわけです。

47 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 01:12:37
話はちがうが
『歌仙歌合』を記した藤原行成の直筆は、すごいな。見惚れる。

漢字では、空海の字がやはりみごと。
最澄の字はさほどとは思えない。書もまた人を表わす、、か?


48 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 01:41:05
現代詩は荒地派と谷川俊太郎と吉岡実と入沢康夫あたりを読んどけば充分ですか?

49 :通りすがりの966:2006/01/03(火) 02:27:00
>>46
そもそも何ゆえ俳句を詠まなけゃなんないの?

まず最初に何かに感動する、心を打たれる。そしてそれを詠もうとして
いろいろ表現を工夫する際に「この花の名前は何かな」とか「これは
別の言い方がなかったかな」などと考える。そのときに歳時記なり辞典なりを
調べて知識を得る。その積み重ねで段々事物の名称などに詳しくなる
というのが本筋だと思う。
自分が心打たれて、是非なにかの形で表現したいという意欲がわかないかぎり、
知識は身につかないと思うよ。

50 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 02:28:44
厨房の 遊び場スレ

51 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 03:16:15
俵万智以外の現代歌人って誰?

52 :◆XywcDiO5sg :2006/01/03(火) 07:05:09
「ハロー夜。ハロー静かな霜柱。ハローカップヌードルの海老たち」(穂村弘)
「十二才。夏殴られる。人類の歴史のように生理始まる」(大滝和子)
「日本脱出したし皇帝ペンギンも 皇帝ペンギン飼育係も」(塚本邦男)
「マッチ擦る束の間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」(寺山修司)

53 :◆XywcDiO5sg :2006/01/03(火) 07:14:59
うろ覚えなので細部は違っているかも。
ほかにも岡井隆とか「青葉のなかに我が青葉あり」の人(名前忘れた)とか
「俺は俺を救出せねばならぬゆえなりふりかまわず冷や飯かきこむ」の人(島田修司だっけ?)
とかいろいろいますよね。

54 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 11:32:40
塚本と寺山のその短歌は半世紀前で、二人とも故人。岡井はその二人と同世代。

春の日はぶたぶたこぶたぼくはいまぶたぶたこぶた眠るしかない(荻原裕幸)

読みさしの栞 / 本からすべり落ち / もはやとこへも / 戻せぬ思い(三宅惺)

現在、短歌を生活の中心にしているのは、この二人と俵と穂村ぐらいだろう。

55 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 20:53:09
黛まどか以外の現代俳人って誰?

56 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 23:59:53
>55
大杉

57 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/04(水) 05:59:41
>>55
現代廃人なら知ってるよ>>1-57


58 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/04(水) 16:43:43
自分もかよw
まさに俳諧的だ…

59 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/04(水) 22:51:29
57.、58

 いいねえ。

60 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 00:53:42
>>49 とてもじゃないが「詠む」レベルじゃないのです。
   「読む」だけでもヒーヒーいってるぐらいなのです。
   歳時記は自分にはまだ早すぎるようです。
   文庫本になってない句集でいいのって何があるの?
   みんなどんな手段で俳句を読んでるの? 
   

61 :通りすがりの966:2006/01/05(木) 01:25:22
>>60
>「読む」だけでもヒーヒーいってるぐらいなのです。

なんで苦しんでるのかよくわからないなあ。
俳句を読むこと、詠むことを強制されてるのかなあ。

俳句の面白さ、名句のすごさなんかを知るには山本健吉の著作とか
大岡信の「折々のうた」とか、図書館で借りて読んでみればいいと思う。

イメージがわかないのは、これまた図書館で、大部で写真をふんだんに
使った歳時記やら写真集がある。「ヴィジュアル版 日本の詩歌」とか
なんとか出版社各社が出してるよ。それでまず写真をながめ、脇に添えられた
俳句とか短歌を読む。花や虫その他これで名前が覚えやすい。
植物だけなら文庫本で出ている。

62 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 01:37:10
>>61 自分、義務感で本読んでるとこあるから…。
   ともあれ、thx.
   しばらくこのスレから消えます。
   このスレが長寿であらんことを!!!
   逝ってまいります。

63 :通りすがりの966:2006/01/06(金) 00:38:04
おやおや。>>62氏はもういなくなったのかな。
自分にとってはふしぎな人物だった。

でも何かの縁だから、もう見ていないかもしれないが、はなむけに
名詩を送らせてもらおう。


寒い夜の自我像   中原中也

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の焦燥のみの愁しみや
憧れに引き廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

よろめくままに静もりを保ち、
聊かは儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諌める
寒月の下を往きながら。

陽気で、坦々として、しかも己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!


64 :通りすがりの966:2006/01/06(金) 00:42:05
>>63の詩について一言。

* 新年に多少ふさわしく、年初の心がけに憶えておきたい言葉。

「陽気で、坦々として、しかもおのれを売らないことを」

こんなすてきな「処世訓」を自分は他の詩人の詩で読んだことがない。

65 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/06(金) 00:55:51
う〜ん、これは駄作でしょ
日本の詩人で中也ほど、いろんな詩形で詩作し
しかもその出来の差がここまで激しいのは珍しいんじゃないか
要は、詩を書くから詩人なのではなくて
詩人が書くからなんでも詩になるタイプ

66 :通りすがりの966:2006/01/06(金) 01:37:15
>>65
>これは駄作でしょ

その根拠は?

67 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/06(金) 01:55:28
1・中也の傑作に比べて見劣りする(これよりひどい作品はたくさんあるけど)
2・中也の人間像を知っているならともかく、知らない人にとっては
いささか譫妄的で自意識過剰、自己陶酔型の誇大な修辞
まさに詩人の悪いイメージを地でいっている
それに「陽気で、坦々として、しかもおのれを売らないことを」を
「処世訓」として読むのは恣意的すぎる

68 :通りすがりの966:2006/01/06(金) 02:10:15
おお。レスが返ってる(笑)。
2ちゃん文学板じゃあ、「〜はダメ」「〜はバカ」「〜はクソ」「〜はツマラン」とか
「根拠のない中傷一行レス」ばっかりだから、ちゃんと根拠のあるレスが
返ってくるだけで驚くよ。それだけで>>67氏に敬意を表します(笑)。

1については、よかったら中也の傑作は何だと考えるかいくつか
挙げてもらえますか?

2について。
処世訓は「処世訓」と括弧つきで表現した。多少ユーモアをこめての使用。
しかしそれを割り引いても処世訓として読んで「恣意的すぎる」とは
思わない。なにゆえ、「恣意的」なのか、自分にはわからないなあ。

急いでませんので気が向いたらで結構です。
気長にレスをお待ちしております(笑)。

69 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/06(金) 02:21:37
割り込んで済まぬが、スレ主さんの通りすがりの966の由来は?
差し支えなければ教えて下され。
966という数字が気になったもので。

70 :通りすがりの966:2006/01/09(月) 00:40:04
>>69
はじめて文学板に書きこんだ頃、自分のレス番号に言及する必要があったから。
とにかく深い意味はまったくありません。


71 :通りすがりの966:2006/01/09(月) 00:43:03
とりあえず自分の立場を擁護しておくと。

引用した「寒い夜の自我像」は、中也詩の傑作ベスト・テンあるいは
ペスト・トゥエンティーには入らないかもしれない。でも、この詩、
自分の記憶する限りでは、中也の詩の紹介とか、アンソロジーには大抵
採用されている。つまり、中也の代表作のひとつと考えていい。

ちなみに戦後詩人の中村稔氏か誰かが中也のことを「述志の詩人」と読んで、
そのタイトルの評論を単行本で出していたと思う。正確な定義は知らないけど、
この「寒い夜の自我像」なんかはその「述志」の詩の典型だろうと思われる。

単語は難しいものがあり、意味がとりにくい個所もあるが、全体的な
シチュエーションはわかりやすい。
67氏のように「いささか譫妄的で自意識過剰、自己陶酔型の誇大な修辞」
とは思わないのだ。

それにしても、中也のスレもあるから、この詩を擁護するレスがひとつ位
あるかと思ったけど・・・

72 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/09(月) 02:21:44
>>70 d

中也ってかわいいよね、帽子をかぶったあの写真に騙されてるだけかもしれんがw
中也といえば小林秀雄と女優(長谷川泰子だっけ?)を盗りあった話を思い出すな。
小林秀雄も詩人志望だったらしいが、ほんと? ランボーとか訳してるもんね。

…下世話だしスレ違いになるのでもうやめるw スマソ。

73 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/09(月) 22:56:04
>>71
>この「寒い夜の自我像」なんかはその「述志」の詩の典型だろうと思われる。

 だから「駄作だ」と評価する人も居るんじゃないですかね(実は私もその1人なんですが)。
ネット上の詩投稿サイトでは、「わかったから演説はよそでやれ」というタイプの詩が結構あり
ます(というか、「1ジャンルをなしている」といってもいい感じ)。この詩はそういう系譜の初め
なのかなあ、と思います。

 「駄作だ」と書きましたが、最終連は処世としては良いなあ、爽やかさがあって、とも思いました。

追伸:これでも中也は好きなんですよ。現代詩総合スレッド3にも最近ちょっと書きました。

74 :通りすがりの966:2006/01/10(火) 00:00:37
>>72
中也、かわいいかもしれんけど、酒場で隣り合わせになったら災難(笑)。

新潮文庫の「Xへの手紙・私小説論」には、小林秀雄の「夏よ去れ」という
タイトルの詩が収録されてる。あまり感心しない詩だ(笑)。
ランボーと中原中也を足して2で割ったような詩。

富永太郎とか中也が身近にいたせいで、自分は詩では勝負できないと
思って批評に専念したのかもしれない。

75 :通りすがりの966:2006/01/10(火) 00:13:14
>>73
言うまでもないことですが、「述志」の詩であることと詩のよしあしとは
関係がありませんよ。
中也の亜流が多いのは仕方ないことです。だからといって中也の詩がダメだ
ということにはなりません。

76 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/10(火) 09:24:15
>>75

 ああ、そのとおりです。やっぱりここでもある程度厳密に書かにゃいかんか(当然か)。

 ただ、いちいちきちんと書く能力も気力もないようです(スイマセン、自分で書いといて)。
「私は述志の詩が苦手です。そして世の中には私同様の人も居ると思う」とご理解ください。
無論「述志」でもいい詩はありうるとは思います。私のアンテナがこのジャンルに反応しづ
らいということです。例示の詩にしても私には退屈な説教又は自省としか思えない。詩の体
裁で自身の考えを述べただけだと。

>だからといって中也の詩がダメだ
>ということにはなりません。

私は中也はこの手の詩(述志)じゃないやつが好きです。

 まあ、このように感じている奴もいる。ということで。

77 :通りすがりの12:2006/01/10(火) 09:54:15
中也の詩の解釈については、やや誤差がある。
そこには、肌寒ささえ感じる。

夏は去り、冬がきたようだ。

78 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/10(火) 19:43:41
「述志」の意味がよく分からないけど
抒情的、私小説的といったような意味か
肝心なのは中也ほどその人生が知られた詩人は他にいないということだ
「寒い夜の自我像」、これは一種のポーズであり、「陽気で〜」は一種のアイロニーである
僕にはこの詩は欠けたパズルのピースのように見える
つまり、「中原中也」の名前がついて初めて完成する作品なのだ
抒情的、私小説的なものは多かれ少なかれそういう宿命にあるものだけど
やはり「作品がひとつで自己完結している」これがその詩の完成度をはかるひとつの尺度だと思う
そういう意味じゃ「サーカス」や「ひとつのメルヘン」は文句のない傑作だ
また、アイロニーと自嘲は中也の詩のいたる所で見かける表現だけど
それを「処世訓」と受け取るのは、いくら個人の勝手とはいえ
(何を処世訓にしようが、結局は個人の勝手だ)
ねじれた読み方であることにかわりはない

79 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/10(火) 22:21:47
述志=志を述べる=生きる上での決意をあらわす≒処世訓

で無理なく理解できるように思うが。
単純に処世訓という言葉が説教めいていて嫌だ、というだけの事では。

別に悪い意味だけに使われる言葉でもないとおもうが・・

80 :通りすがりの966:2006/01/11(水) 00:33:22
>>76
「私は述志の詩が苦手です。そして世の中には私同様の人も居ると思う」とご理解ください。

なるほど、よくわかりました。

81 :通りすがりの966:2006/01/11(水) 00:35:25
>>78
わるいけど、あなたの言うことはまとはずれだ。

>「述志」の意味がよく分からないけど抒情的、私小説的といったような意味か

「述志」といえば、「志(こころざし)を述べる」ことに決まっている。
まさかこんなことを解説しようとは思わなかった。
抒情的とか、私小説的とは直接の関係はない。

自分なりの解釈で言えば、中也が「述志の詩人」であるということは、
彼が「倫理的な」人間であるということと等しい。

>肝心なのは中也ほどその人生が知られた詩人は他にいないということだ

宮沢賢治がいる。
それに中也の人生をそんなに知っている人がいるとも思わない。自分は
詩集を読んでから人物に興味を持った。中也の人生について一体どうやって
最初から知ることになるのか、自分にはわからない。小林秀雄とか
大岡昇平とかのエッセイからなのか。


82 :通りすがりの966:2006/01/11(水) 00:37:48
>>81の続き
>「陽気で〜」は一種のアイロニーである

全然アイロニーではない。
これがアイロニーと感じるのは、中也には「アイロニーと自嘲が多い」
との先入観からきただけではないのか。
中也の詩をよく読めば、これが詩人の心からの、真率な願いであることは
わかるはずだ。
この詩にアイロニーを見出すのは、まったく「ねじれた読み方であること
にかわりはない」。
というか、一体どこからこの詩にアイロニーを読み取るのだろうか。
まったくふしぎな人がいるものだ。

>やはり「作品がひとつで自己完結している」これがその詩の完成度をはかる
>ひとつの尺度だと思う そういう意味じゃ「サーカス」や「ひとつのメルヘン」は
>文句のない傑作だ

まあ、この点だけは同意する。

83 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/11(水) 02:36:44
こういう議論を読むと、いかに詩が主観的なものであるかを痛感するね
だってどっちにも説得力が欠けてるもん
あと、中也が倫理的な人間かどうかは知らないけど
彼の詩論の類を読むとその手の文章力はないみたいだね
西脇順三郎は特異な存在として、論理的な詩論を書ける詩人が出てくるのは
やっぱ戦後からになるんですかね

84 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/11(水) 03:02:25
ごめん、「倫理的」と「論理的」を見間違えてた。。。

85 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/11(水) 12:23:31
>>3
謙遜の仕方が田舎育ち

86 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/11(水) 19:18:58
>>83
あえてその間違いに目をつぶってレスしてみる。

西脇って「論理的」かい? 没論理が彼の持ち味ではないのか?

87 :通りすがりの966:2006/01/13(金) 01:20:06
>>83
>こういう議論を読むと、いかに詩が主観的なものであるかを痛感するね

あのねえ。今問題にしてる程度で、主観的うんぬんとは言えないの。
ただ単に、「普通の文章を普通に読む」レベルだよ。
文学作品が多様な解釈を許すというのはもっと高度なレベルの話。

「述志」の意味さえよくわからない、日本語の基礎力がないのは、
詩の解釈どころではない。

>>79氏のように、まともな日本語力を持っているなら
「述志=志を述べる=生きる上での決意をあらわす≒処世訓」と
パラフレーズできるわけで、誰もこんなところでつまづいたりしないのである。

ありもしないアイロニーを見出してくるのはもうほとんどギャグの世界に
なってる。

88 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/13(金) 01:50:07
述志うんぬんを論破してもイロニーうんぬんを論破したことにはならないぞ
それよか、小池昌代の盗作騒ぎって結局どうなったの?

89 :通りすがりの966:2006/01/13(金) 02:32:11
>>88
>述志うんぬんを論破してもイロニーうんぬんを論破したことにはならないぞ

あのねえ。自分はあの詩に「アイロニーなんかない」って言ってんの。
ないものは示しようがない。だからそもそも論破しようがない。
だから、あるって言う人には是非、どこにどういう具合にあるのか
言ってもらいたいもんだ。できるものなら(笑)。

90 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/13(金) 03:14:04
俺に熱くなられても困るんだが・・・
第一ないものは示せないけど、ないことなら示せるでしょ
それに「よく読めば、これが詩人の心からの真率な願いであることはわかる」と言うけど
そもそもそんなことは誰にもわかりえない話だと思うぞ
これが「述志の詩人」という先入観がなせるわざか?

91 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/13(金) 08:06:20
>>88 小池昌代の盗作騒ぎ
kwsk



92 :通りすがりの966:2006/01/13(金) 23:44:15
>>90
>第一ないものは示せないけど、ないことなら示せるでしょ

なんかよくわからないけど、そもそも自分の詩の引用にツッコミを入れて来た
方が根拠をあげて証明するのが筋だと思うんだけど。
文学板の人間にはなにからなにまで私の方が説明しないといけないの? (笑)


>そもそもそんなことは誰にもわかりえない話だと思うぞ

誰にもわかりえないと思うなら、あなたはもう詩なんか読まない方が
いいでしょうね。
いや詩にかぎらず、文学作品全般、読んでもあまり意味がないんじゃないか
と(笑)。

93 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 00:06:20
そもそもそんなことは誰にもわかりえないっていうのは
「作者の死」とかランボーの「私は一人の他者」とかそういうことかな?
入沢康夫がこういうのをよく問題にしてたっけね

94 :通りすがりの966:2006/01/14(土) 01:16:06
いまさら
「いかに詩が主観的なものであるか痛感する」とか「そんなことは誰にも
知り得ない」とか言うのは、単に「自分にはあの詩がよくわかりませんでした」
と正直に認めるのがいやなだけでしょ(笑)。

結局、この詩がわかる人間は文学板にはほとんどいないということか。
まあ、2ちゃん文学板には最初からあまり期待はしてなかったけど。

それにしても「寒い夜の自我像」がそんなに難しかったとは・・・
今度から詩を紹介するときは多少注意することにしよう(泣き笑い)。

95 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 01:24:07
横レス
「述志」の読み方は「じゅつし」?もしかして「じゅし」?
どっちも
広辞苑に載ってない・・・。別の読み方か?

96 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 01:30:35
横レスつづき。
>>63-64洩れも駄作だと思う、中也にしては笑えるほどの駄作。こんなんあるとは
知らなかった・・・。
駄作にしても、詩から処世訓を得るのかね、いかにも通俗人間らしい趣味だね。
格言でも読んでろ、カレンダーの隅に書いてたりするのがおまいには似合いそうだよ。

97 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 01:40:42
私も同じく。
相当詩には自信があるけどあの中原中也の作品は駄作だとしか思えない。
まあ、もともと中也は好きじゃないんだけどね。

98 :90:2006/01/14(土) 02:10:45
>>92
筋はどうだか知らないけど
それなら、あなたが証明すればいいんじゃないの
証明出来るならね
あなたは詩にかぎらず、文学作品全般の解釈、鑑賞には正誤があり
それは明白であり、そうでなきゃ文学を読む意味がないと言っている、おかげで
>「自分にはあの詩がよくわかりませんでした」
>と正直に認めるのがいやなだけでしょ(笑)。
云々、こういう権威主義的な揶揄が言えるわけだ
俺は「寒い夜の自我像」が真率な願いかどうかなんて
中也本人にも分かることではないと思うし
誰にもそう決めつけることは出来ないと思う
なんつーか、西脇順三郎の「詩を論ずるのは神様を論ずるに等しく危険である」を
思い出させられた

>>91
小説の中に平田俊子の詩をパクった部分があって追及されたらしい
実は俺も詳細を知らない
そういや山本太郎も昔、盗作で問題にされたみたいだけど
そっちはどう決着がついたんでしょうね

99 :91:2006/01/14(土) 07:27:57
>>98
サンクス。詩でも盗作疑惑あるんですね。ああ、小説でも最近ありましたかw
でも、俳句は盗作疑惑多発してそうですね。なんたって17文字しかないし季語の制約があるもん。


100 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 15:34:18
100ゲット?
ヒッチハイク=筆致俳句

101 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 17:13:57
葛の花踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり 釈迢空(折口信夫)


折口はこれしかしらないけど、いい歌だと思う。
歴史的には「葉」しか問題にならなかった葛の「花」に注目したことが重要らしいが、
まあ鑑賞の上では関係ないか。

102 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 17:19:56
>>99
うーん、俳句(俳諧)の場合は、どれだけ先行する作品を踏まえた上で新しい物を付け加えられるかが全てだしな。

行く春や鳥啼き魚の目は泪 芭蕉

例えばこの句なんかはそれ以前の和歌や連歌で「鳥の涙」って詩的発想が
多用されていたことを踏まえたうえで「魚の涙」っていう題材を新たに
つくりだしたことが肝心なわけで。「鳥の涙」っていうのはこんなの。

雪のうちに春はきにけりうぐひすの氷れる泪いまやとくらむ


オレ的には、「パクリか否か」よりも、先行する作品を乗り越えているか否かの方が
よほど重要だと思う。

103 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 17:20:58
>>102の「雪のうちに」の作者は二条后。在原業平との悲恋で有名。

104 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 17:26:29
学者の論文だって理系や社会科学なら先行研究を踏まえた上で先行研究以上の
ことを言うのが当たり前なわけで、文学だって同じこと。
「大きな流れ」の中では詩人一人一人の個性なんて小さなもんだよ。

105 :102:2006/01/14(土) 17:34:23
「乗り越える」に語弊があれば、「新しいものを付け加える」だな。

106 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/15(日) 02:14:45
和歌に「本歌取り」というあまりに有名な技法があるのに、俳句の盗作問題
なんぞを議論するのはナンセンス。
昔の歌をふまえていた方が芸術としての格調が高いのだよ、少なくとも歌においては。

最初は良スレかと思って読んでいたが、文学史をまるで勉強していない香具師や
言葉を知らない香具師や突然えらそうなことを言い出したスレ主や・・糞スレだな。

107 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/15(日) 07:17:55
>>106
本歌取りの大御所の藤原定家が指摘しているみたいに、
古歌をふまえているだけで何も付け加えてない歌も多数存在してるわけで、
そういうのを「駄歌」って非難することも必要だよ。

108 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/15(日) 07:20:42
どっちにしろ、詩歌を鑑賞するのに古典の教養が必須なのは確か。
だから「市民の時代」の19世紀は教養がなくても楽しめる小説が流行った。
(その反動で20世紀のジョイスやジッドは神話や古典のパロディー作品を書いたのだが)

109 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/15(日) 09:44:48
俳句は字数が少ないせいかよく似た俳句が、それもほとんど同じような俳句が発表されることが間々ある、といった新聞記事は見たことあるけどなあ。
盗作ではないのかというトーンだったけど、でもそれはジャーナリズム的な観点なのかな。
俳壇的というか文学的にはOKなのかな、本歌取りならぬ本句取りって感じで。

110 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/15(日) 13:39:26
新聞記者にそんな詩心のある奴が何人いるやら。
文芸部でも怪しそう。


まあ大岡信(元新聞記者)みたいな例外もいるけど。

111 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/16(月) 01:41:27
2ちゃんねらーってパクリとか盗作とかいう話題が大好きな奴ばっかだよな。

112 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/16(月) 12:16:48
失礼します!今俳句の授業で課題がでてるのですが、様々な想像を膨らまして鑑賞する、というのですが、よくわかりません。
・恋文をひらく速さで蝶が湧く
・白代の過客しんがりに猫の子も
この2つを鑑賞しなきゃなのですが…。
なにか良い書き方はありますか?

113 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/16(月) 12:39:25
前者については、「恋文」が王朝和歌でどういう風に詠まれていたかを調べることをすすめるよ。
とりあえず、これを参考にしてみたら。

秋風に初雁が音ぞ聞こゆなる誰が玉章を掛けて来つらむ 紀友則 古今207

後者はよくわからないが。

114 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/16(月) 12:43:03
まあ芭蕉の「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」と関係あるのは確かだな。
その芭蕉の名文も、漢籍の元ネタがあるかもしれんが、そこまでは酷か。

115 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/16(月) 12:45:57
あとは、問題の句の作者が他にどんな句を詠んでるか調べてみること。
(さっきの恋文の和歌もそうだが)そういう情報はネットで簡単にわかるし、
図書館でも俳句の本は山ほどあるだろうし。


最終的には、日本の詩歌における伝統+俳人の個性に行き着くわけだが。

116 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/16(月) 12:47:56
>>113->>115で挙げたやり方は
「様々な想像を膨らまして鑑賞する」とは違うかもしれんが、
>>112さんがイマジネーションを膨らませる助けにはなるだろうと思う。

117 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/17(火) 00:11:42
>>109
盗作がOKのわけがない。
その記事は正しい。
本歌取りは立派な詩の技法だが
盗作の言い訳に使えると勘違いしているバカが多い。

118 :通りすがりの966:2006/01/17(火) 00:29:38
>>101の短歌にひとこと。

その短歌はそのままで読んでも味わい深いと思うけど、この先蹤に芭蕉の

この道や行く人なしに秋の暮れ

があると考えると、別の連想が浮かぶ。つまり、この短歌は、
「この山道を行きし人」=芭蕉(を念頭に置いた日本文学の伝統)と捉え、

「自分も芭蕉の後に従って日本文学の正統な道を歩むのだ」、「私も、芭蕉さん、
あなたの跡をついていきますよ。」という思いがひょっとしたらこめられている
のかもしれない。

119 :吾輩は名無しである:2006/01/17(火) 09:42:41
・白代(→百代が正しい)の過客しんがりに猫の子も
百代の過客で、李白と芭蕉に言及し、
多分自らを猫の子に擬した作者楸邨の諧謔を示唆するように(しなさい)。

120 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/17(火) 11:35:52
>>117
>>102の芭蕉の句と二条后の歌の関係みたいなのはどう思う?
オレ的には立派な「本歌取り」(歌から歌ではないが、まあ広い意味で)だと思うが、
それすら「パクリ」とかいい兼ねない奴がいるだろうし。


はっきり言って、詩心のない奴ほどそうなんだけど。

121 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/17(火) 13:01:09
あの、ここ、近・現代のスレでいいんですよね?

122 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/17(火) 20:29:47
じゃあ、古代・中世・近世スレを作ろうか?

123 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/17(火) 20:38:11
大岡信や高橋睦郎みたいに、現代詩人が王朝和歌や俳諧を論じてたりするんだから。

124 :通りすがりの966:2006/01/18(水) 00:38:57
百代の過客しんがりに猫の子も
>自らを猫の子に擬した作者楸邨の諧謔

なるほど。その通りですね。

でも、これ、けっこうアソビの句ですね。
加藤楸邨は次の名句がわすれがたい。

隠岐やいま木の芽を囲む怒涛かな


125 :通りすがりの966:2006/01/20(金) 00:21:07
>>124の引用句の補足。

隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな

隠岐はもちろん日本海に浮かぶ隠岐の島。
時は早春。
島の木々に芽がほころび始める。
そして、島を囲む日本海の波が島の崖に荒々しく打ちつける。
静かな生命のみなぎりを鮮やかに感じさせる名句。

この句の深い鑑賞は、山本健吉氏の何かで読んだ覚えがある。
たしか、後鳥羽院に関連して説明していた。
興味のある方は探して読むことをお勧めする。

126 :117:2006/01/20(金) 10:32:15
>>120
それは本歌取りだよ。
だが盗作は今もあちこちでおこなわれているし
それを批判するのも当然のことだ。

127 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/20(金) 18:37:54
欲求が過ぎるかもしれないが、本歌取りとパクリの違いを君なりに定義してくれ。

128 :127:2006/01/20(金) 18:43:38
ごめん「要求」だな。

129 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/20(金) 23:30:13
藤原俊成あたりが、一字か二字くらいしか変わらん本歌取りをやって、素晴らしい
と褒められているくらいだからな・・
本歌取りとパクリは違うという人は和歌の歴史を知らん人ではあるまいか?
別に知らんでもいいことだがな。

130 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 00:29:13
そこまで知ってるなら藤原定家が本歌取りのルールを決めていることも知ってるだろ?


131 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 00:39:20
パクリという現代用語を使いながら
平安時代の例をあげても不毛だ。
現代日本詩歌スレでは
現代日本における本歌取りを考えるべきではないか。


132 :どうなってるNHK?!:2006/01/21(土) 00:46:06
今日午後7時から放送予定の
「日本の、これから 第5弾 本当に増税しかないのか」

突然の放送休止!

・・・い・っ・た・い・何・処・の・圧力だよw

133 :どうなってるNHK?!:2006/01/21(土) 00:47:12
ちょっと糞スレ使わしてもらうぞ。

なんでだよ、NHK?

134 :どうなってるNHK?!:2006/01/21(土) 00:48:06

増税寸前に放送休止か。

135 :どうなってるNHK?!:2006/01/21(土) 00:48:41
バカな国民が多いからだろうな、

136 :どうなってるNHK?!:2006/01/21(土) 00:49:45
メディアをおさえる手がジワジワジワと進行中・・

137 :どうなってるNHK?!:2006/01/21(土) 00:51:15
小泉はメディア操作を戦術の第一にしている

138 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 01:36:15
詩で食っていくことは可能か?

139 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 01:38:39
>>138
小説家いじょうに食えない。副業やりながらしか無理でしょ


140 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 01:44:42
作詞家なら食ってけるのにな。

と音楽の方が文学より優れている、というようなスレを読みながら思いました。

141 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 01:46:35
そうですか
ではバイトしながら詩人もやって生きます
あとはエッセイも


で、どうすれば詩集を出版してもらえるのでしょうか

142 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 01:48:41
自費で。

143 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 01:49:36
>>141
そういうことを聞く時点で、詩集が出版される見込み無し。
本気でなりたいなら、マスコミや自費出版のことぐらいは調べてるだろ。

144 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 01:55:19
>>143
自費出版はお断りです
しかし公募の賞が見当たりませんよ
調べてますよ、ほんとうに

145 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 03:03:18
AGE

146 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 13:37:45
501 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/21(土) 01:34:28
うん。私の売った「エロイカより愛をこめて」が価値の分からない人の手に渡ると思うとぞっとするよww

∞∞∞∞∞∞∞∞
  |⌒|U U半分天国に 召されました。
川 |   | 〜'
  U~U



502 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/21(土) 01:35:10
∞∞∞∞∞∞∞∞
川 |   | 〜'これぐらい 召されました。
  U~U


503 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/21(土) 01:35:40
∞∞∞∞∞∞∞∞
  U~U   そろそろ やばいです。


504 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/21(土) 01:36:10
∞∞∞∞∞∞∞∞ 
             召されました。


505 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/21(土) 01:36:42
∞∞∞∞∞∞∞∞
川 |   | 〜'これぐらい もどってきまつた。
  U~U

147 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 21:08:41
町田康の詩のセンスってどうなのよ?

148 :通りすがりの966:2006/01/22(日) 00:55:05
このへんで休憩して詩を。
中也とは趣の違うやつを選んでみよう。


熊の胆売り

冬の日の 海辺の村へやつてきた
熊の胆売りの一行は いたいけな 月ノ輪熊の
熊の仔を 車の檻に入れてきた お頭は口上申す
子分らは鞄(かばん)をあける 時も時 沖渡る船の汽笛(サイレン)


*三好達治の作品から。
この短い詩のなかには、ひとつの物語さえ含まれているようだ。

149 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/22(日) 01:43:28
あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれ

150 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/22(日) 16:33:21
>>127
遅いレスだが、こういうことがいえると思う。

元ネタを知っていて、その上で読んで欲しい=本歌取り
元ネタを知られたくない=パクリ

151 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/22(日) 20:10:42
>>150
的を得ている。

152 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/22(日) 20:34:37
>>150
的を射ている。
当を得ている。

153 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/22(日) 20:44:21
どっかの誰かみたいなこと言ってんじゃないよ。

154 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/23(月) 19:37:34
石田比呂志

朝顔の/蔓の先端/ふと逸れて/空のお臍を/くすぐっている

という歌がなんとなく好きだ。自由な発想と何とも言えぬおかしみがある。

155 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 15:22:05
>>150
その通り。それが言いたかった。


オレ的には、他人のネタを「自分のコンテキストで」で使うことだとも言いたい。
他人のネタを「完全に」理解してないと出来ない芸当だから。
音楽で言えばオザケンが「本歌取り」の名人だったんだろうな。

156 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 15:24:05
「本歌取り」の大家だった藤原定家が新古今和歌集・新勅撰集の選者で
当代一流の批評家だったのがその証拠か。

157 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 15:27:41
>>131
かきやりし人こそ知らね黒髪の春の倫敦塔を巻きつつ 水原紫苑



黒髪の乱れも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき 和泉式部


現代短歌にも「本歌取り」はある。

158 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 15:29:33
同人誌なんかは「元ネタを知っていて、その上で読んで欲しい」の最たるものなんだろうな。

159 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 15:35:52
>>156
定家の批評は良いが、歌はダメダメだというのが、国文学研究者の常識。

160 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 15:40:55
へえ、そうなの?後鳥羽院の方が上だとか?
「春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空」なんて大好きだけどな...
「駒とめて袖打ち払う影もなし佐野の渡りの雪の夕暮れ」とかも。
(まあ、国文専攻じゃないし)


それとも、「本歌取りなんてしてるから駄目だ」だとか?
丸谷才一に(また)笑われるぞ。

161 :160:2006/01/24(火) 15:42:18
「批評が良くて創作は駄目なのは丸谷だ」って突っ込みはなしね。

162 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 15:53:03
藤原定家が大きな名前なのは、新古今の選者だから。
新古今のほとんどは、まさしく本歌取りのオンパレードだが、定家の実作は他の
歌い手より一枚おちる。歌人としては親父の俊成の方が上。

定家を褒めるとしたら、批評がうまいこと、書に優れていること。
でも、素人(俺)が見ると書もヘタクソにしか見えない。

随筆が良くて創作は駄目なのは丸谷だ。

163 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 15:53:48
個人的には定家や後鳥羽院よりも家隆が好きだけどね。


「下もみぢかつちる山の夕時雨ぬれてやひとり鹿のなくらん」とか、百人一首の
「風そよぐならの小川のゆふぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける」とか。

164 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 15:55:07
>>162
『樹影譚』『鈍感な青年』『たった一人の反乱』読んでみ。
丸谷の構成力の凄さが堪能できるぞ。

165 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 16:03:09
丸谷は実作家としては『たった一人の反乱』あたりまで。

丸谷経由で和歌の歴史を知ったつもりになるとあやうい。
小林秀雄経由でランボーを知ったつもりになるくらいに。

でも、激しくスレ違い。

166 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 16:10:36
『新々百人一首』『後鳥羽院』『日本文学史早分かり』も駄目か?

167 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 16:17:37
小林秀雄のことを書いたら偶然小林スレがあがっていてビックリした。

丸谷は小説など書かずに研究者になればよかったのに。
そうすれば、研究者に馬鹿にされずにすんだのに。

まさしく早分かり。一般読者のための和歌案内です。別に趣旨は間違ってない
ので文句はない。うのみにするな、といいたいだけ。

168 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 16:19:27
「定家は「純粋詩」としての和歌を志向し、後鳥羽院は「宮廷詩」としての和歌の歌謡的性格を回復させようとした」
なんてその通りだと思ったけどな。



まあ大岡信とか安東次男みたいな別の比較文学系古典論とかも一緒に読んでるし。
真実はたぶんこの人らの中間くらいのところにあるんだろうな。

169 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 16:30:44
(古典評論家としての)丸谷はあれだけ叩かれてるのに、
大岡が全く叩かれてないってのも不思議だな。
実作者としての実力か、『折々のうた』の威力だろうか?

170 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 16:35:43
>定家は「純粋詩」としての和歌を志向し、後鳥羽院は「宮廷詩」としての和歌の歌謡的性格を回復させようとした

いかにも後世の文学史まとめ屋さんのなまくら論だと思うよ。
だって当たり前じゃないか。
定家はヘタの横好きの趣味で和歌を詠んでいたのだし、後鳥羽院は宮廷文化の復権をめざした人なんだから。

そうやって歴史の後追いをしながら、和歌に意味を付け足すのは邪道です。

律儀にレスを返してくれるのはありがたいが、いいかげんスレ違いなので・・

171 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 16:37:26
まあもうこのへんでやめとこう。
後鳥羽院が高く評価されてることだけはわかったから。

172 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 16:39:55
これからは「本歌取りの大家だった後鳥羽院が新古今の選者で当代一流の評論家でもあった」って書くことにするよ。
国文屋さんの気がそれで済むんだったら。


桜咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな、はいい歌だな。

173 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 16:47:21
丸谷くらいでそんな目くじらを立てるんなら、
高橋睦郎の『読み直し日本文学史』『十二夜』『百人一首』なんて
どんな凄いことになるやら。

174 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 18:18:52
王朝和歌etc.を現代のコンテキストで読み直すことも必要だよ。



もっとも、丸谷や大岡、前出の高橋睦郎以外にそれをしている文学者が
少なすぎるのが問題なのだが。
もう少し下の世代なら水原紫苑や紀野恵だろうが、
水原たちの擬古的な短歌が「現代の奇観」(@岡井隆)とか言われるのが
今の短歌界だからな。

175 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 18:21:45
大岡信なら別にスレ違いにもならんけど・・

こいつも世間一般の良識のある人々(主にお年寄り)に和歌の素晴らしさをレクチャー
するという役割を担っているだけの男だが。まあ、それもアリだし、和歌で食ってこう
なんて考えたら、そういう文学講座みたいな事をするしかないわけだし。

ガキの頃、学校のセンセエから『折々のうた』の素晴らしさをしつこく教えられたなあ。

176 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 18:26:59
オレも『折々のうた』だけの作者だと思ってたよ。
ボードレールを原文で読むまでは。

177 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 18:35:43
新聞ってわりと目立つところに詩歌のコラム設けてあるよね。
朝日だと大岡信、読売だと長谷川櫂、東京だと岡井隆か。
つい読んじゃうよね、あれ。小説なんかは読む気しないのに。


178 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 18:47:04
何故か毎日にはないのだが...
あの手のコラムを定着させたのは大岡の功績だろうな。
本当に詩は一日少しずつ読むのが一番良い。
(オレはそれで『悪の華』原詩を読了した)


まあとりあえず中公文庫『詩の日本語』読んでくれ。
「後世の人間の後付けの理屈の寄せ集め」かもしれないが、
この人の明晰な文章がフルに楽しめるし。

179 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 18:58:45
>>169
大岡の政治力だとなぜ気づかない?

180 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 18:59:45
どこを抑えるんだか。
そんなこと言ったら丸谷の方が批判されなさそうだな。

181 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:01:07
まあ70後半の爺さんに誰も遠慮しない方がおかしいかもしれないけど。

182 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:02:18
>>179
うん、それはある。でもたかが知れてる。

183 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:03:01
だろ。
『にほんご』のせいで日教組にも睨まれてそうだし。

184 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:06:35
エリュアールやアラゴンに傾倒してた過去をみると、この人も一歩間違えれば
サヨクになってた可能性はあったんだろうな。(アラゴンはフランス共産党に所属していた)


丸谷同様、下手に政治的発言をしないことは評価してもいいと思う。
(まあ丸谷は「自民党おやじ政治」を文化として楽しんでた気配があるが)

185 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:16:12
吉増剛造ってどうなんすか
ごく最初期の作品なら割と好きなんだけど
それ以降の詩は好き嫌い以前に、どう読んだらいいのかさえ分からず困ってしまって
どうも騙されてるような気がしてしまうんですが

186 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:16:47
>>184
文学者は誰でも若い頃は、右や左にかぶれるもんだけど、それを明言し続ける
というのは勇気がいるもんだ。別に好きじゃないけど、大江はその点は評価する。

大江の『シンガポールのゴムまり』という作品があって、教科書にあったから授業
でやったんだけど、思いっきりサヨクっぽい内容だったんで、なんだかなあと思った。
でもそれを教科書に載せてる時点で大江の勝ちなんだよなあ。

大岡にはそこまでの権力も影響力も度胸も無いと思うんだ。

187 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:20:56
あそう?
大江の場合は過去の自分の遺産を食い潰してるだけだって思うけどね。
大江の親友だった某現代思想研究者は「大江が大江を演じている」って批判してたし。


まあ同様の批判は大岡にも当てはまるのかもしれんが。

188 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:21:51
マヤコフスキーとかならまだしも
エリュアールから左翼化したりするものなんですかね

189 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:22:35
「対ナチス」って所を強調しすぎればそうなるかも。

190 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:24:14
大岡は高1の最初に習ったよね。「言葉の力」だったか。
今でも定番教材なのかな?


191 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:25:53
へえ、高校教材で大岡が読めたの。
オレは知らなかった。


まあ『抽象絵画への招待』じゃないが、入試問題の王様だしな。

192 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:26:36
高校によって違うけど、大岡が出てこない教科書は見たこと無い。

193 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:29:17
覚えてない...


まああの頃は芸術論なんて興味なかったし。

194 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:31:11
大岡は肝心の詩がつまんない
おれは「感受性の祭典」の世代なら、堀川正美が一番好みだ

195 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:32:43
アゲないでくれ...
最近の文学板からしてすぐ荒らされそう。

196 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:35:56
まあ、サヨクとか言ってるとすぐ荒らされるからなあ。

でも、他人のスレをのっとっておいて、何スレ主みたいなこと言ってるんだか・・

197 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 19:41:40
そうっすか
でも現代詩の話なら、左翼詩人は外せないでしょう
もしかして、いまどき谷川雁なんて誰も読まないって?

198 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 20:25:10
晩年の石川淳と丸谷才一と大岡信で俳諧連歌をやってたんだよなあ。

石川淳曰く「丸谷の歌は無学だからいい」

丸谷を無学と言い切る夷斎先生、さすが。

199 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 20:51:19
大岡信を批判した人は大岡につぶされるという噂あり。

200 :通りすがりの966:2006/01/25(水) 01:13:23
>>157
その水原紫苑の短歌はなかなかよさそうですね。細かいところはよくわからないけど。

とはいえ、やはり和泉式部の本歌は風格がある、というか、ずば抜けて優雅だ。

201 :通りすがりの966:2006/01/25(水) 01:16:21
>>198
丸谷さんよく連歌やってますよね。

で、なんか、大岡さんのなんかは優雅で詩味がやはりあるのだけれど、丸谷さんのは
どうも川柳みたいなやつが多い気がする(笑)。

これは、
1.やはり詩心に乏しいせい
2.わざと諧謔をこころがけている
のどちらなのかなあと思う。

まあ、その両方なんでしょうね。

202 :通りすがりの966:2006/01/25(水) 01:18:51
しかし、上の方で丸谷さんとか大岡さんとかの古典に関する評論が叩かれてるけど、
率直に言って、国文学者の書く評論は面白くないですからねえ。

文学を広い意味での「楽しみ」で読んでる人間には国文学者の書いたものは
ツマンナイのですね。それに国文学者で読むに耐える文章を書ける人はそう多くない。
読みごたえのあるエッセイとか書ける人が国文学者の中にいるかな。
近年では林望氏ぐらいではなかろうか。
英文学者にはそれこそ今まで、福田恒存、吉田健一、柄谷行人、西脇順三郎、その他多数。
仏文学者もそう。

国文学者の書くものがあまりに詩心に乏しいから、正岡子規が万葉集を宣揚して
「短歌の革新」をうったえたり、朔太郎が蕪村解釈に斬新な読みを披露したり、
小林秀雄が実朝を書いたり、中村真一郎が源氏物語の入門書を書いたりするのだ(笑)。

正直、国文学者の書いたものを読んで日本文学に開眼するなんてことは
ほとんどなさそうだし、好きになることもなさそうだ。日本文学にとって残念なことである。

203 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 01:28:12
そら、学問の素養が無いものには研究の味は楽しめんわな。
ま、お子様は飴でも舐めてなさいってこった。

204 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 01:35:23
>>203はいいすぎ。
丸谷を叩いていたのは俺だけど、国文学者じゃなくて、国文学研究者の見地
から言っていたことであって、俊成・定家・後鳥羽院などの研究論文はほとんど
一般に読まれてないでしょう。
面白いものではないが、まあそういう世界もあるということです。

林望センセエと一緒にされちゃたまらん。


205 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 01:40:47
>>201
丸谷氏のは「俳諧」連歌だから。諧謔をねらって当然でしょう。


206 :通りすがりの966:2006/01/25(水) 01:41:51
>>203
ふふふ。
>研究の味は楽しめんわな。

それで結構です。自分はこのスレ、あくまで「一般読者」で
普通に文学好き、詩が好きな人のために立てたんで。

207 :通りすがりの966:2006/01/25(水) 01:45:02
>>185
現代詩は不案内なんだけど、吉増剛造氏の「朝日が射した」という詩はユリイカの
バックナンバーで読んだ。内容はよくわからないけど、面白かった。
「空気まじりの赤ボールペンだ !」という詩句には笑った。
意味不明でもここまで楽しませてくれるならいい。

現代詩で心を打たれるという経験はしたことがない。
ふーんと思ったり、なるほどとは思ったりするが、心にしみいるような詩には
出会ったことがないのだ。
笑わせてくれただけでも自分にはありがたい。

208 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 01:51:49
>>206 
無知無理解を開き直ってどうする。少しは学問もしなさい。

209 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 01:55:14
>>208
どうでもいいが、君は学問をやってるのか?
そんなら俺と話そう。俺の得意分野は藤原俊成だが、君は?

210 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 01:57:13
読書人たる者、当然、「少しは」学問「も」やってる。

211 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 01:58:54
だから何を研究してるのさ?

212 :通りすがりの966:2006/01/25(水) 02:02:41
>>208
内容のない煽りはいいですから、>>157の水原紫苑氏の短歌を
解説してくれませんか?(笑)

213 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 02:04:05
私は説話の初学者だが、専攻分野がどうかしたのか?
文学は学問でもあったことは近世国学者を見ても明らかなことでしょ。
ここは学問板だし。
但し中世和歌の話なら板は下の方があってるか。

古文、漢文、漢字@2ch掲示板
http://academy4.2ch.net/kobun/

214 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 02:05:41
>>212 なんでいきなり157が問題になるのかな? あれに解説が必要か?

215 :通りすがりの966:2006/01/25(水) 02:09:41
>>214
いいから、できるんならしてくださいって(笑)。
口だけじゃなく、まず証明してね。
自分は2ちゃん文学板の「根拠のない中傷」一行レスにはあきあきしてるんだから。

216 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 02:10:51
この人ぁ、何のために、恣意的な質問に回答させようとするのかねえ。

217 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 02:11:12
>>213
そうだな。その板の方が良いな。
スマンな、スレ主さん。上の方で中世和歌の話ばかりして。

実は俺も和歌専攻じゃなくて、戦後文学が専門だったりする。
迷惑かけたな。さらば。

218 :通りすがりの966:2006/01/25(水) 02:16:50
>>217
歯ごたえのあるレスの応酬なら別に自分は気にしませんけど。
王朝和歌、中世和歌の話には自分がついていけないのが残念なだけで。

219 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 12:52:47
古典板に行くのか...
あの板の低レベルぶりは大概だぞ。
「おまえら現代詩や象徴詩を読んで出直して来い!」って怒鳴りたくなる。

220 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 13:47:37
書籍関係の板でいちばんレベルが高いのは、まさか文学板?


221 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 13:56:03
どうだろ?この板が少数精鋭な気がしないでもない。一部のどうしようもない奴を抜けば。

222 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 13:57:34
このスレッド読めば、レベルの低さは歴然。だってそもそも>>1が……

223 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 14:26:59
みなさん、現代詩がつまらないのは、荒地派のせいだという説を
どうお思いで?

224 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 14:41:13
荒地派って何?

エリオット信者のコト?

225 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 14:41:20
純粋に現代詩を目指せば、どうやってもつまらん罠。一部の人間の自己満足。

226 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 18:00:39
正直、エリオットの詩って面白いか?
俺は注訳がなきゃ、さっぱり分からん

227 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 22:23:15
>>225
谷川俊太郎は不純ということでOK?

228 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 23:20:08
てか、荒地派のことも知らないでよく詩スレに書きこめるな、オイ。

私も荒地派は嫌いだ。戦後の暗さを一身に負っているかのような気負いが嫌いだ。
彼らに「詩は思想で書くんじゃない、言葉で書くんだ」と言ってやりたい。

けど石原吉郎(いっとき荒地に参加していた)は好きだ。



229 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 23:59:14
うん、俺は荒地派好きだ
エリオットもTEヒュームもオーデンも、みんな彼らに感化されて読んだ
ってか、現代詩がつまんないならそりゃ吉岡実のせいじゃないか
実際、影響力なら彼と谷川が断トツでしょう、はいいすぎかもしんないけど

230 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/26(木) 21:35:58
>>228
さすがに俳句や短歌にはそれほど関係ないだろう。

231 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/26(木) 23:27:45
なんか不思議なスレだな。
スレ違いのレスの方が妙に面白いぞ。
単に漏れが詩歌に疎いせいかもしれんが。

232 :通りすがりの966:2006/01/27(金) 01:04:28
1月が終わらないうちに1月の名句を紹介しておこう。


一月の川一月の谷の中     飯田龍太



「こりゃ何じゃ」と思う人もいるかもしれない。
俳句というより現代詩の感覚に近いかも。
好き嫌いのはっきりわかれそうな句だ。

冬になって水量の乏しくなり、静かに細く流れている川。
それを挟む、これまた冬枯れの凍りついたような谷間の景。

233 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 01:06:27
凡人が「折々のうた」を真似るとみっともないな。

234 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 11:01:18
あいかわらず、コテ名を叩きたいだけのヤシがいるな。

235 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 12:30:39
>>231
近現代詩とそれ以前の詩が「地続き」ってことがわからない奴が多すぎる。
朔太郎でも王朝和歌を踏まえた詩を書いてるってのに。

236 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 12:46:18
それ以前に国文学界の「常識」を押し付けようとする奴にはあきれて物も言えない。
その「常識」だって、「誰々っていう偉い学者が定家の歌はここが駄目だ」って言い始めたのが
発端になってるはずなのに。そういうことを言ってくれれば俺だって納得した。



まあこのへんでやめとくわ。確かにスレ違いだし。

237 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 12:48:10
ちょうど正岡子規の紀貫之否定論が後世まで尾を引いたように。

238 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 13:10:10
後鳥羽院・式子内親王・西行・俊成>定家ならまだ分かるが、
家隆・順徳院・実朝>定家ってのは到底信じられん。
よほど強力な論拠があるなら納得も行くが、「学界の常識だから」って
ムラ社会丸出しの没論理で押し切られればオレだって腹が立つ。


とりあえず、言いたいことは全部言った。後は知らん。

239 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 14:42:37
>国文学界の「常識」を押し付けようとする奴

押し付けようなんて思ってない。そんな事を言うとアナタだって丸谷氏の主張を押し付けているように見えるが・・

>家隆・順徳院・実朝>定家ってのは到底信じられん

そんなこと言ってない。でも実朝はエライと思う。

>ムラ社会丸出しの没論理

丸谷氏の主張に対しては、論理的に批判したはずだが。>>170

>オレだって腹が立つ

まあ、そうマジになるな。俺はケンカをしようなんて思ってない。議論をしていただけだ。
俺だって学者を無条件でありがたがっている訳ではない。丸谷の塁に拠ったあなたを論破する
ために、一時的に学者の塁に拠ったにすぎぬ。(鴎外さんみたく)

でも、定家卿はやっぱり本質的に学者さんです。歌詠みの方は余技として見るべきです。
近代秀歌、毎月抄、詠歌大概などの仕事はみごとなものです。




240 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 14:48:13
>>235 朔太郎が「踏まえた」なんて言っても、所詮いい加減なもの。文語文法も間違ってたりしてさ。

241 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 15:02:00
>>240>>231も俺ではないよ。ええい、名無しはややこしいな。

俺も>>239でいいたい事は全部言ったので消えます。またなんかあったら呼んでください。
毎度スレ違いですみません。

242 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 17:06:28
だから、誰が「定家は駄目か」って言い出したのか知りたかっただけだ。
窪田章一郎氏や岡野弘彦氏のような碩学にして名歌人って人がそう言ってるなら
オレだって(一応)納得する。
家隆・順徳院・実朝>定家は飛躍しすぎたかもしれんが、「下手の横好き」だったしな。


まあ、もういいけど。

243 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 18:18:57
>>242
定家卿ははじめ家隆と並んで、和歌の新しい時代の担い手として華々しく登場しました。
俊成の子という血筋の良さ、「有心体」と呼ばれる艶美な作風、またたく間に歌壇の王様
となったのです。その歌風は室町時代の正徹あたりに受け継がれ、さらには連歌師たちにも
つながっていきます。
そして定家卿晩年には、父俊成をも超える古典研究者としてのめざましい文業がある訳です。

ですから、表立って「定家の歌はダメ」という人は少ないと思います。どの文学史本をのぞいても
そんなこと書いてないでしょう。

でも、研究者内でのいわば裏の常識として、「文学者としては素晴らしいが歌はちょっとなあ」と
いう声があるわけです。誰が言い出したか無知ゆえ知りませんが、おそらく偶像化されていた定家を
冷静に観察したときに気付いた人が多かったのでしょう。

ちょうど、『万葉集』における家持の位置と言えばよろしいでしょうか。人麻呂や憶良には及ばぬものの
様々な功績によって、代表歌人たることを誰も疑わない、そんな感じです。

以上、質問に答えていないのが申し訳ありませんが、まあ、このへんで終わりにしましょうや。


244 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 18:26:57
ありがとう。


まあとりあえず、後鳥羽院>定家>順徳院ってことにでもしとくよ。
研究者によっては「順徳院にすら劣る」とか言ってるんだろうが...
長いスレ違いで申し訳ない。
マジで古代・中世・近世スレでも作ろうかな?

245 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 18:37:37
>>244
なんにせよ、あまり不等号にはしない方がよい気がします。

古代・中世・近世スレ作っても俺はたぶん行きませんよ(笑)
俺は無頼派研究者ですからね。

246 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 18:51:35
まあ百人一首+αを諳んじてるって人間でさえこの板に何人いるか怪しいし。

247 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 19:31:15
実際、百人一首の次に何に手を出すかが結構厄介だからな。
古今集を読んでもどれが有名な歌かなんて初心者にわかるはずがないし。
オレは樋口芳麻呂氏校注の岩波文庫『王朝秀歌』でやっと先に進めたが。




もっとも、事情は現代詩や定型詩でも似たようなものかもしれんな。
「普通の」文庫で手に入るのは谷川や寺山修司みたいな超有名どころくらいだし。

248 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 19:39:54
っていうか、ビックリした・・

樋口芳麻呂って俺の先生だったりする・・

249 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 19:50:32
ずうっと昔に樋口芳麻呂氏・その他の先生に習ったことを、ここでまくしたてておったわけですよ、俺は。
元ネタがわれてみれば・・ああ、恥ずかしいwww

250 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 21:07:14
それはそうと、樋口先生もそうだけど、中世・近世あたりの本格的な研究書って
平気で3万とか4万とかするんだよなあ・・
若かりし頃は、それでも買って必死で読んでたりしたけど、せめてヒトケタ値段を
下げないと、一般には絶対読まれないよなあ・・

上代・中古・近代あたりの和歌の研究書は、もうすこしお求めやすい値段になっています。
ともかく、学者を馬鹿にできるのはちゃんと論考を読んでいる人だけです。

251 :通りすがりの966:2006/01/28(土) 00:03:56
定家よりも俊成の方が歌人としては上という指摘には「あ、なるほど」と思った。
言われてみれば、というような。

でも圧倒的に定家なんですよね。
塚本邦雄さんなんかも「定家百首」を出してるし。

252 :通りすがりの966:2006/01/28(土) 00:07:12
>>247
>実際、百人一首の次に何に手を出すかが結構厄介だからな。
>古今集を読んでもどれが有名な歌かなんて初心者にわかるはずがないし。
>もっとも、事情は現代詩や定型詩でも似たようなものかもしれんな。

だからこそ、このスレたてて、名詩歌を紹介しようとしてるんですよ。

このスレでは、
・中・高の教科書には載らないが(文部省とか教育委員会がなんらかの理由で
不適当と判断したり)、同じぐらい優れたもの
・教科書に選ばれるほど代表的な詩人・歌人・俳人ではないが、なかには優れた
もののある人の詩歌
・時間的に現代すぎて教科書に拾えないものだが傑作
などの紹介を心掛けております(笑)。

253 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 02:04:17
上田敏訳のベルレーヌの詩っていまだに教科書に載ってるんだよなあ。

なんか戦前から変わらんよな。

254 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 13:42:17
>>250
樋口先生の「百人一首選者:定家」説なんて要約すれば十数ページで済む内容だったのに。
フルなら何百ページにもなるのかね。
>>253
せめて堀口訳にしてくれ、と言いたいところだが、
あっちは余りにも「普通の言葉」なのでありがたみが失せるのかもしれんな(まさか)。



255 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 13:48:28
実際、定家と後鳥羽院で偉大さの位相が違うように、ヴェルレーヌとランボー
(或いはボードレール)も別の次元に存在してるって気はするな。
篠田一士はヴェルレーヌの作風を「ライトヴァース」と定義してたが、
確かにあれは「小唄」と解釈すべきなのかもしれん。

256 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 13:58:28
ボードレールの邦訳の変遷については大岡信の『詩の日本語』第一章が面白い。
ボードレールも「普通の言葉」で訳せるのが分かるから。


上田みたいな古風な言い回しは、ロンサールとかヴィヨンとかもっと
昔の詩人にピッタリかもしれんな。
矢野目源一訳の『兜屋小町長恨歌』みたいな超意訳もどうかと思うが。
(小野小町の「花の色は」の歌を踏まえていた)

257 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 14:07:17
矢野目源一訳、ヴィヨン『兜屋小町長恨歌』

あだなりと名にこそ立てれ 具足屋の小町と人に呼ばれしを
あはれうつろふ花の色 昔を今になすよしも
泣く泣くかこつ繰言に いとど思ひぞ出ださるる
うつれば替る飛鳥川 寄る年波に見る影も
なき生恥をさらしつつ 明日をば誰も頼まぬに
存うる(ながらうる)こそ悲しけれ(以下省略)


ワープロの関係で一部平仮名のままにしたが、大体この通り。
これを受け入れるか受け入れないかで自分の文学観が分かるだろうな(大げさか)。

258 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 15:31:15
多くの文学者にとってやっぱりヴェルレーヌより圧倒的にボードレール、ランボーなんだけど、
ヴェルレーヌは、次の二つのフレーズがあまりにも浸透しているから・・

秋の日の ヴィオロンの ためいきの・・

巷に雨の降る如く 我が心にも雨ぞ降る・・

それを考えても、上田敏の訳詩はやはり偉業かと。
中島敦も学生時代この詩を読んで、フランス文学に目覚めたわけだし
石川淳もあらゆる面で鴎外よりはるかに劣るが、訳詩だけは上田柳村の方が上と言っているし。

259 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 16:37:52
上田はヴェルレーヌ以外がな...

260 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 17:02:24
>多くの文学者にとってやっぱりヴェルレーヌより圧倒的にボードレール、ランボー

まあそうだろうな。
オレは学部の時にボードレールの『黒猫』を読んで、その情報量の多さと明晰さに驚いたし。
ああいう理知的な詩人ってのはフランス本国でもそうはいなさそう。

261 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 17:13:24
理知的な詩人=マラルメ

262 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 17:16:44
マラルメは理知的というより難解って気もするが、まあそうだろうな。


(またもスレ違いになりそうなので)日本近代詩で
マラルメにインスパイアされた人っているのかな?

263 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 17:28:41
日本の詩は翻訳詩(の訳者)の影響によって「ぬえ的言語」で
書かれている、と言ったのは大岡昇平だっけか

264 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 18:28:03
>>262
三富朽葉
詩人であり、日本におけるマラルメの紹介者。
俺はこの人の全集の一巻だけ持ってる(はず)

265 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 18:41:11
夭折した人だね。
梶井みたいに全集も数巻で済んだりして。

266 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/28(土) 18:47:09
川で溺れて死にました。タコ八郎みたい。
哀愁ただよう作風なのに・・

ちなみに全集は四巻。詩は第一巻だけ。あとはフランス象徴派の研究です。
(だったはず)

267 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 00:11:54
>>257
ヴィヨンの生涯や晩年の感懐には興味があるけれど、個人的にはこんな
浄瑠璃の道行のような文体よりも、現代語で読みたいな、と思う。
ナゼにフランス詩まで五七調にしたがるんだろう、昔の日本人は。

268 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 09:39:16
堀口大学の文語詩が好きな人間には何とも言えないな。



どうせ詩の翻訳ってのは一種の「創作」なんだから。

269 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 09:47:01
「大學」の方が良かったか。失礼。


訳詩の比較は、「文語的なもの」と
「口語的なもの」の比率の変化がわかるようで面白い。
大岡信が触れてたボードレール『アホウドリ』の上田vs福永武彦なんて
あまりの違いに唖然とするし。

270 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 16:29:20
現代詩人の詩集って平均で何部くらい売れてるの?

271 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 17:19:27
あげ

272 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 17:36:17
売れてる部数より献呈分の方が多かったりして。

現代詩文庫はかなり頑張ってるとは思うけど、なんか孤高にとどまってる感じなんだよね。
もっと、いい意味で、一般人のレベルにまで降りてきてほしいんだけどなあ。


273 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 17:44:34
>>272
具体的に何部?

274 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 17:49:58
272です。すみません、適当なことを書いてしまいました。
全然知らないです。
谷川俊太郎クラスでも1万部くらいなんでしょうか?


275 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 17:50:19
角川文庫から出てる分でも?

276 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 17:56:55
新人なら数千部くらいじゃない?

277 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 18:03:01
小説なら数万部いくよね?
10倍くらいの差がでるのはなぜ?
そんなに物語がすきなの?

278 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 18:30:24
単純に日本人の感覚は、詩は文字数が少ないからお得でない、くらいなんじゃないの。

279 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 18:31:49
ラトビアだかエストニアだかでも「文字が少ない」で詩集の発行はやりにくかったとか。

280 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 18:34:04
バルト三国は現代音楽作曲家を大量輩出してる文化国家だが、
まあ社会主義には勝てんな。

281 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 21:53:38
 ポッと出の新人なら、発行部数(売れた部数じゃなくて)は300部くらいじゃないの?以前
どっかのブログだかで「詩集は300にするか500にするかで悩む」と出版関係者らしき人が
書いてたのを読んだ記憶があるよ。

282 :通りすがりの966:2006/01/30(月) 17:52:57
>>258 >>259 >>262
ヴェルレーヌは最も正統的な象徴派の詩人で、もっと評価されてもいいと思うんだけど・・・

なんか上田敏の訳は名訳だけど、ヴェルレーヌがセンチメンタルな詩人というイメージに
なったんじゃないかな。

河上徹太郎なんかはヴェルレーヌの「認識の詩人」としての側面に魅せられて
影響を受けてる。文学の出発点がヴェルレーヌだった。
透徹した認識と根本にカトリックの信仰があってこのふたつが一体となっていた。
認識=高度な知と信仰が結びついて矛盾がないところに理想の人間像を見出した
らしい。中原中也もやはりそういった感じでヴェルレーヌから影響を受けたよう。

認識の詩人の系譜で、ヴェルレーヌ、マラルメ、ヴァレリーは河上、小林秀雄、
吉田健一ら批評家に主に影響を与えたのでは。

283 :通りすがりの966:2006/01/30(月) 17:54:47
>>263
そう。大岡昇平さんでした。
堀口大学氏の訳が批判されるとは思いもよらなかったので、最初読んだとき
驚いた。

284 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 18:08:14
堀口大学の語感覚は、なんというか明治大正期の知識人的混乱というか
いろんなものが渾然としてるんだよな
江戸的かと思えば西欧的で、っていう
だから「ぬえ的」ってのは上手い言い方だね

285 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 18:21:39
>>282

>なんか上田敏の訳は名訳だけど、ヴェルレーヌがセンチメンタルな詩人というイメージに
>なったんじゃないかな。

同意。海潮音の成功の要因は、象徴派の詩をセンチメンタリズムに作り変えた所にある、と思う。
多くの日本人にとって、それで良かったのだ。


286 :通りすがりの966:2006/01/30(月) 19:05:05
>海潮音の成功の要因は、象徴派の詩をセンチメンタリズムに作り変えた所にある、と思う。
>多くの日本人にとって、それで良かったのだ。

な、なるほど。そういわれればそうですね。

287 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 15:25:45
象徴派の「ライトヴァース」「小唄」としての性格を復活させたのが堀口、
って言うと褒めすぎだろうか?
(ボードレール、マラルメですら「サロンの文学」ってところはあるだろうし)

288 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 15:44:57
>>284
逆に上田の文体は、江戸文学のペダンティックな部分が無茶苦茶出てると思う。
ある意味、平家物語や徒然草の方が漢文趣味(であることの多い)の江戸文学よりもよみやすいわけで。

289 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 15:46:44
大岡昇平に言われなくても日本文学ってのは根本的に「ぬえ」だよ。
フランスで「ラテン・ギリシア・フランス詞華集」なんて編纂されてないし。
(日本には「和漢朗詠集」があるが)

290 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 18:39:27
>289
大岡昇平が言うのは「ぬえ的言語」だから
あくまで語彙の問題じゃないの
そこまでいくと話が違っていくような

291 :通りすがりの966:2006/02/01(水) 00:40:48
念のため、問題の文章を引用しときます。
大岡昇平「中原中也」の「思想」中にある次の文章。

 富永、中原の文語詩は、大正の口語詩に対する反動として作られたもので、
遥かに有明、敏の象徴主義の復活とも考えられる。(略)
 しかし時代は敏の漢語、雅語を鵜呑みにするだけで、自分のものとして駆使する
教養を持っていなかった。十三年の鈴木信太郎「近代仏蘭西象徴詩抄」はマラルメを
訳するのに、さらにむずかしい稀字に、勝手な雅語的振り仮名をつけて混乱に
拍車をかけた。十四年の堀口大学「月下の一群」に至っては、口語、雅語、漢語の
大正的混合物で、以来日本の詩歌は大体このぬえ的言語によって製造されている。


うーむ。この発言の妥当性については自分には学がないので判断できません。

292 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/01(水) 17:23:19
口語、雅語、漢語を縦横無尽に使いこなせる人間こそが、真の日本語の使い手だと思うよ。

例えば(詩とははずれるが)鴎外の文章。口語・文語・雅語・漢語・ドイツ語・フランス語・英語etc
が入り乱れて登場するが、それらが一体となって全き日本文として完成している。
そのへんの事情は、鴎外の随筆『空車』を読めば得心がゆくと思う。

大岡昇平の文章には、大正教養主義によって、和漢洋の学識を持った文学者に対するコンプレックスが
垣間見える気がするのだが・・・

なんか俺、文章ヘタだな。もう少しうまく説明できんものか・・

293 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/01(水) 20:42:01
つまり、大岡が文学修行をした頃にはもう「大正教養主義」は消え去ってたってわけか。

294 :通りすがりの966:2006/02/02(木) 23:15:23
>口語、雅語、漢語を縦横無尽に使いこなせる人間こそが、
>真の日本語の使い手だと思うよ。
には同意。

中原中也、ときに朔太郎にも、なんか漢語の使い方がギコチナイ感じを
与えるときがある。
三好達治にはそんな感じがないけど。

295 :通りすがりの966:2006/02/02(木) 23:19:26
ということで、三好達治の詩から文語詩を一篇引用してみよう。
この格調高い文語の使いぶりを見よ、という感じで。


       水光微茫

堤遠く
水光ほのかなり
城ありてこれに臨めリ
歳暮れて日の落つはやく
扁舟人を渡すもの一たび
櫓のこえしめやかに稜廓にしたがひ去りぬ
水ゆらぎ葦動き
水禽出づ
松老いて傾きたる
天低うしてその影黒くさしいでぬ
かくありて雲沈み
万象あまねく墨を溶いて
沈黙して語らざるのみ
我れは薄暮の客たまたまここに過ぎるもの
問ふなかれ何の心と
かの一両ふ羽うちて天にあがる・・・・・・
叱叱 しばらく人語を仮らざれとなり

296 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/02(木) 23:48:39
それぞれの語彙の系統と背景とを無視して混淆するのは、
「縦横無尽に使いこな」すのではなく鵺的であるに過ぎない。


297 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/02(木) 23:49:34
よ、読めねえ....

298 :通りすがりの966:2006/02/03(金) 00:11:01
いや、完璧に意味がわかる必要はないでしょう、詩のよさがわかるには。

とにかく、「櫓のこえしめやかに稜廓にしたがひ去りぬ」とか
「天低うしてその影黒くさしいでぬ」だとか
「我れは薄暮の客たまたまここに過ぎるもの」だとか、いちいちカッコイイ、
というか、ピタッときまってます。

全体は一幅の水墨画の趣で。

299 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 00:14:32
櫓のこえ → 櫓のこゑ

格調、だいなし。

300 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 00:18:45
>しかし時代は敏の漢語、雅語を鵜呑みにするだけで、自分のものとして駆使する
>教養を持っていなかった。

なるほど、いかにも。

301 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 09:46:26
『落葉』 ヴェルレェヌ  上田敏訳

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散ろう
落葉かな。

302 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 09:48:06
『からだの中に』谷川俊太郎

からだの中に
深いさけびがあり
口はそれ故に噤まれる

からだの中に
明けることのない夜があり
眼はそれ故にみはられる

からだの中に
ころがってゆく石があり
足はそれ故に立ちどまる

からだの中に
閉じられた回路があり
心はそれ故にひらかれる

からだの中に
いかなる比喩も語れぬものがあり
言葉はそれ故に記される

からだの中に
ああからだの中に
私をあなたにむすぶ地と肉があり

人はそれ故にこんなにも
ひとりひとりだ

303 :通りすがりの966:2006/02/05(日) 22:01:31
>>301に引用されている上田敏訳のヴェルレェヌをあらためて読んでみた。

情緒纏綿というかなんというか・・・・・

>>285氏の言われることはもっともだけど、
明治大正の人々に西欧の詩を紹介する際、これほどセンチメンタリズムに
傾斜しなければならなかったとは・・・・・
ある種の感慨をおぼえずにいられない。

304 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 14:37:53
そうだね。
日本人はむかしからナニワブシが好きだから。

305 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 14:52:33
こしかたの悔しきことの数々を想いて居れば心たぎち来

                         勇

306 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 14:57:18
想いて居れば → 想ひて居れば

307 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 18:30:26
はいはい

308 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 18:39:29
赤ん坊は、はひはひ(這々)。

309 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 23:08:35
ならばヴェルレーヌの詩を読むには誰の翻訳がいい?

310 :通りすがりの966:2006/02/07(火) 01:01:49
>>309
自分には思いつきませんねえ。誰かいるのかなあ。


311 :通りすがりの966:2006/02/07(火) 01:02:52
ところで
>>302の谷川俊太郎の詩は>>301の上田敏の訳詩と比べてなんという
乾いた詩だろう。ここには情緒などない。非情なまでにドライである。

上田敏の訳詩のウェットさには自分はもうついていけないが、谷川の詩の
「乾いた抒情」にもしっくりとなじめない感じがする。
谷川の詩になるともう少し湿りがほしくなるのだ。

谷川俊太郎が優れた詩人であることに異論はないが、俊太郎の詩を
いまいち自分が愛読するに至らないのはそのへんに理由があると思える。

上記ふたつの詩からうかがえるように、日本人は上田敏の情緒満点から
ついに谷川俊太郎の非情を受け入れるまでになったのだ。

312 :通りすがりの966:2006/02/07(火) 01:05:05
>>301>>302を引用した人がいったいどんな意図で上田敏の訳詩と谷川俊太郎の詩を
引用したのかわからないが、ともかくも面白い対比が成立している。
日本人の感受性の変遷をやはり示したかったんでしょうか。

いずれにしろ谷川のこの詩は優れた詩だ。素晴らしい詩の引用には感謝せずに
いられない。>>302氏よ、ありがとう。

313 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 01:05:11
谷川俊太郎は十分に感傷的(おセンチ)だけど。>>302なんか、いい気なもんさね。

314 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 19:43:58
>>311
ゼイタクだな。じゃあ、一体ダレが好きなのさ?

315 :通りすがりの966:2006/02/07(火) 23:25:40
>>314
前の方でも引用・紹介してるし、これからもそうするつもり。

谷川俊太郎はいわゆる愛唱はしてないけど嫌いではありません。

316 :通りすがりの966:2006/02/07(火) 23:29:17
さて、上に三好達治の詩を出し、谷川俊太郎の詩も登場した。となれば、
このふたりの詩人をつなぐ線上に位置するかもしれない重要な詩人を
ここで出しておくことにしましょう。
三好達治の古典的明澄と谷川俊太郎の「乾いた抒情」の要素を併せ持つと
いえるかもしれない詩人、伊東静雄です。この人の場合は、「乾いた抒情」と
いうよりも「硬質の抒情」と言った方がいいかもしれないけど。
ただし引用する詩は、伊東静雄の詩としてはぐっと優しい詩。静雄の傑作は
夏の詩に多い。が、季節柄とりあえず、下の詩を今回は択んでみました。


沫雪(あわゆき)  立原道造氏に

冬は過ぎぬ  冬は過ぎぬ。 匂ひやかなる沫雪の
今朝わが庭にふりつみぬ。 まがき  枯生  はた菜園のうへに
そは早き春の花よりもあたたかし。

さなり  やがてまた野いばらは野に咲き満たむ。
さまざまなる木草の花は咲きつがむ  ああ  その
まつたきひかりの日にわが往きてうたはむは何処の野べ。

・・・・・・  いな  いな  ・・・・・・  耳傾けよ。
はや庭をめぐりて競ひおつる樹々のしづくの
雪解けのせはしき歌はいま汝をぞうたふ。


317 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 23:43:28
講評:カッコつけても内容に乏しいので、古語を使った意味がまるでない。

318 :熱燗兵衛:2006/02/08(水) 07:13:56
ある文学者が谷川俊太郎の歌を作っている(「赤胴鈴之助」の節で)。
「カツラを取ったらピカピカ頭
谷川俊太郎はスキンヘッド
髪の毛増やそうと洗面台で
毎朝養毛剤使ってる
老人性痴呆症
谷川俊太郎
未練がましいハゲ老人!」

319 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/08(水) 09:23:19
講評:原歌詞と離れすぎて、替歌にした意味がまるで無い。

320 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/08(水) 17:03:17
>>318
ある文学者ってダレだ。おまいが作ったのと違うのか。

321 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/08(水) 18:17:15
詩人になるための新人賞ってありますか?

322 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/08(水) 21:25:16
ない。

323 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/08(水) 23:22:12
アサヒに天童よしみよりダメとバカにされた中桐雅夫。 カワイソス…。

ttp://www.asahi.com/culture/music/TKY200602030230.html

324 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/09(木) 12:49:23
>>309
たぶん堀口大學のが一番原詩のイメージに近いんだろうな。


325 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/09(木) 15:05:05
>>322
ない・・って問題だな。
確かに評価するのすごく難しそうだし、一作で評価するのは無理だろうな。
やはり自費出版でもして詩集をだしてもらって、その詩集の中から選ぶしかないのだろうな。

326 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/11(土) 17:46:59
梅咲けど 
 鶯鳴けど 
  ひとり哉
一茶の句らしいが小泉が引用してたな。米百俵は卒業か?

女学生
 スカートまぶし
  浜の風
中曽根元首相の句だとオモた。高橋ゲンちゃんのエッセイで見かけたような希ガス。




327 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/12(日) 01:14:08
咳をしてもひとり

328 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/12(日) 17:51:11
レスをしてもひとり

329 :吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 22:50:54
ワロタ といってもひとり

330 :吾輩は名無しである:2006/02/16(木) 13:55:01
10年前くらいの新聞に載った、お母さんを題材にした詩知ってる方いませんか?
覚えているのは『出てきてくれませんか お母さん お母さん お母さん』というフレーズで、親孝行しようとした時分にはもうお母さんはいなかったというような詩でした。

331 :吾輩は名無しである:2006/02/16(木) 17:12:23
あげ

332 :吾輩は名無しである:2006/02/16(木) 17:33:51
>>328
レスとホモはひとりじゃできんわな。

333 :吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 18:26:11
春の日の
花咲く土手で
自爆テロ

334 :吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 00:31:22
ぬるぽといってもひとり

335 :通りすがりの966:2006/03/14(火) 17:02:52
「茨城のり子、死んじゃったね」スレでみかけた詩だけど、わるくない詩なので
こちらにも引用させてもらいます。


わたしが一番きれいだったとき


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った



336 :通りすがりの966:2006/03/14(火) 17:05:30


わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね


337 :通りすがりの966:2006/03/14(火) 17:08:34
「街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした」

「男たちは挙手の礼しか知らなくて〜」

「わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った」

などなど、的確、簡潔な詩句だ。
「茨城のり子、死んじゃったね」スレではいろいろ物議をかもしているし、
この詩が近来稀に見る傑作とまでは言わないけど、こういう表現ができる
からにはやはりこの人はひとかどの詩人だと思わざるをえない。

「とんでもないところから青空が見えたりした」のは、もちろん戦争の空爆などで
ビルの一角が破壊され、内部の、例えば天井の隅から青い空がうかがえたりする様
だろうけど、そういう時は空の青さが妙に心に沁みるものだ。
この空の青さだとか、手足の「栗色」だとか、最終行でルオーが出てくるあたり、
この詩人は色に対する感覚が鋭敏な人らしい。


338 :通りすがりの966:2006/03/14(火) 17:13:12
一方で、「ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた」のような詩句に対して
反発をおぼえる人がいるのも理解できる。

高村光太郎の詩に同じ理由で反発する人もいるだろう。アメリカ最大の詩人
ホイットマンもその手の詩人といえるかもしれない。初っ端からエネルギー全開、
ハイ・テンションの詩が多くて、最初の一行を読んだだけでうんざりするのだ。
心が弱っているときなどはどうしても敬遠してしまう詩なんである。

とはいえ、2ちゃん文学板では人を貶すレスが多くなる傾向があるので、
自分としてはここで茨木のり子をすぐれた詩人として賞賛しておきたい。
(戦後詩全般はくわしくないし茨木のり子の詩も上記スレで引用されてた2篇だけ
しか知らないけど、すぐれた詩人かどうかぐらいの判断はこの2篇だけでも
十分に判断可能だ。また、ある詩が好きになれないからといってその詩が
すぐれた詩ではないということにはならない。嫌いであってもすぐれた詩と
みとめることは可能である。好悪と詩の評価は別であると念のため言っておきます)

339 :通りすがりの966:2006/03/15(水) 01:05:31

さて、少し気分転換に春らしい詩歌を紹介してみよう。



春二日平家落ちゆく跡を追ひ     大野林火


春の旅である。平家の落人伝説が残る谷あいの村を谷間深くたどってゆくという句。
おそらく梅の花などが路傍に咲いていたりする、のどかな春の谷間である。


340 :通りすがりの966:2006/03/16(木) 01:25:47
大野林火を出したからには、ついでに同じ作者による
忘れがたい春の句をもうひとつ。


白き巨船きたれり春も遠からず



341 :吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 11:34:24
>>335-338
すごく有名な詩だと思うけど
こどもの時、習わなかった?

342 :吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 11:41:06
彼は無知だから。

343 :五木元太郎:2006/03/17(金) 08:54:50
羽澄不一の詩が最高!
彼は大江健三郎や村上龍、谷川俊太郎らに論争で勝っている。
次は羽澄不一の句だ。

紅葉散る煩悩ほどの落ち葉かな

344 :吾輩は名無しである:2006/03/17(金) 10:05:36
>>86
このことについて、ちょっと教えて欲しいんだけど・・・・・・ もういないよね。超亀レスだし。

345 :吾輩は名無しである:2006/03/17(金) 15:30:54
西脇って「論理的」かい? 没論理が彼の持ち味ではないのか?

没論理でなく超論理だと思う。あえてトートロジーを言えば、詩的論理。

346 :吾輩は名無しである:2006/03/17(金) 21:02:18
>>344
それ俺のレスじゃん。なつかしー。
俺は西脇の知識もなく感覚でレスしただけなので、わからんことは>>345氏にでも聞いてくらはい。

シュールだし飛躍してるし「論理的」じゃないでしょ、と思っただけです。

347 :吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 20:55:15
ガチガチの形式論理でいえば大抵の詩人は破綻してるだろう。

348 :通りすがりの966:2006/03/22(水) 20:09:01
>>345氏の「没論理でなく超論理だと思う。あえてトートロジーを言えば、
>詩的論理」というのはなんか言い得て妙だなあ。

自分は短いやつを昔ひとつだけ読んだことしかないけど、西脇さんの詩論は
かなり乱暴、というか、ぶっとんだ論だと驚いた覚えがある。以来気になって
いてそのうちじっくり一冊本を読むつもり。

詩の本質をイロニーで説明して、ボードレールも芭蕉もシェイクスピアも
すべて同一平面で扱ってたような論で、これが2チャンならバカの一言で
片づけられそうなんだけど、それが高名な詩人の論だから面白い。
西脇さんの詩論が売れるのはたぶんそんな「トンでも」系・ぶっとび発言の
魅力じゃなかろうか。慎重な、学究的な詩論だったら売れないし再刊されないと
思う。朔太郎の詩論なんかまじめなものだけど、だから売れないのでは
(ただし、朔太郎が論理的であると言いたいわけではない)。

ちなみに朔太郎は西脇氏の詩論を認めていないようだ。

349 :通りすがりの966:2006/03/22(水) 20:11:23
>>341
いや、習わなかったですね。

350 :通りすがりの966:2006/03/22(水) 20:30:33
せっかくだから西脇氏の詩を引用しておこう。第一詩集「Ambarvaria」から。


太陽

カルモヂインの田舎は大理石の産地で

其処で私は夏をすごしたことがあつた。

ヒバリもゐないし、蛇も出ない。

ただ青いスモヽの藪から太陽が出て

またスモヽの藪へ沈む。

少年は小川でドルフィンを捉へて笑つた。


西脇順三郎の詩は、湿度の高い、私小説的な日本の詩の世界のなかで
晴朗な輝きを放っている。そういう意味でやはり独自の詩人だった。
ただし、後期の詩は自分にはよくわからないものがある。

351 :吾輩は名無しである:2006/03/22(水) 20:36:55
インテリだったからそんな詩想を持っていたのかなあ。

352 :いろは:2006/03/23(木) 08:15:10
♪象さん

谷川さん
谷川さん
頭が禿げてるね
そうよ
徹三も禿げなのよ
(事実確認中)

353 :吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 19:11:39
短歌離れを食い止めようとして俵万智をまつりあげた短歌界も国語教師も、それが短歌への不理解、ひいては短歌の荒廃・短歌離れを引き起こしている事をいいかげん反省するべきだ。


354 :吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 19:32:22
私の母校の校歌を西脇順三郎が作詞してる。「校歌として不向き」と云う声もあった。
一番も二番も三番も「ああまたこの故郷に来てみれば」と云う言葉から始まり、「はるかなる心の旅を」や「夏の日は緑の海か」や「飛び来る鳥は天使の翼」と言った詩的な言葉が満載。

355 :吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 19:34:45
そうした言葉は好みでなかったそうですけどもね。

356 :354の続き:2006/03/24(金) 19:39:08
あまり無理には地名をおりこんでいない所も好きだった。
この校歌に出会ってますます詩歌に興味を深くした。
私の他にも校歌が好きで詩歌にのめり込んだ方いらっしゃいますか?

357 :通りすがりの966:2006/03/25(土) 00:05:12
>>351
いや、ねっからの詩人だったということでは?

358 :通りすがりの966:2006/03/25(土) 00:07:27
>>354
>「ああまたこの故郷に来てみれば」と云う言葉から始まり、「はるかなる
>心の旅を」や「夏の日は緑の海か」や「飛び来る鳥は天使の翼」と言った
>詩的な言葉が満載。
そりゃ、順三郎さん随分無理をしてるなあ。
まあ、校歌だから、いきなり「ひょうたん」が出てきたり、

ポポイ
プー

とか歌詞に出てきたりしたら驚くだろうなあ。
でも今けっこうあるらしい引きこもりの人とか対象の学校なんかで
そういう前衛的な校歌があってもよさそうだ。

359 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 00:19:47
>>353
ではだれを? いまさら塚本とか岡井なんて言うなよ

360 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 02:46:03
>>353
俵万智がまだしも一番生徒が食いつきやすい内容であることは事実。
小説の方でも同様の理由で山田詠美あたりが教科書に取り上げられているわけだし。

授業をやる方にしてみれば、作品の文学的価値よりも、生徒が興味を示すか否かの方が
問題だったりするわけで・・・

>>359
確かに塚本や岡井はよく出てくるけど。
当然、啄木や与謝野晶子は定番。
うーん、誰を選べばいいんだろうねえ。いまの若者に読んで欲しい歌人って誰だろ?

361 :熱燗兵衛:2006/03/25(土) 06:54:52
319と320は馬鹿だろう?
赤胴鈴之助のメロディでちゃんと歌えるんだよ!
原歌詞と離れているのは、谷川を批判しているからだろうが!
2チャンネルで書き込むと、こういう馬鹿が多いので困るな!
いろはさん、good!

362 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 08:59:58
私は俵万智さん好きですよ、分かりやすくて。
歌集を図書館から借りて友達に見せても、俵万智さんの歌が一番分かりやすいし、自分たちと感覚が近いって言いますし・・・・私個人も、女性の感覚として素敵だなと感じました。

363 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 11:21:06
>>354 紋切り型でいい加減に作ってるな。西脇ってそんな奴さ。

364 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 11:31:06
良く言うよ。

365 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 11:44:25
ってか、塚本も岡井も俵を認めてたよね

366 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 15:13:48
>360
確かに俵万智は生徒の食い付きがいい。しかしその後生徒がまた俵万智を読んだりはあまりしていない様子だった。
わかりやすい教材=理解・関心を深める教材ではない。

367 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 15:19:24
…国語の授業の教材に向く、生徒の理解関心を深めるものは探すの難しい。
高校教師してる友人曰く、岡しのぶの歌を配布しても難しいとかわからないとか言う生徒も多いらしいし。

368 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 16:38:45
>>366-367
こんな話ばかりしてると板違いと言われるかも知れないけど・・・
中学・高校と色んな学校で教えてきた俺の経験から言わせてもらいますと、
「現代文」の授業なんてあんま真剣に聴く生徒はいないわけです。
(授業聴いたからといって成績上がるわけでもないし、受験に直結する教科でもない)

それでもどうにか生徒に興味をもってもらおうと思えば、感情移入しやすい教材を選び、
面白い授業ができるように努力していくしかないわけです。

教科書を使わず自分の趣味にあった教材をもってきても成功することは極めて少ないです。
逆に教科書の方が西脇や寺山の難解な詩を選んでいたことがあって、宮沢賢治の「永訣の朝」
に変えたこともあります。

369 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 17:37:59
国語教育は文学教育に非ず。偏向はよくない。
詩歌は国語教育に必ずしも要しない。

370 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 17:47:20
外国ではその辺どうなの?

371 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 18:22:30
ロバートフロストとか?知らんけど
まぁ向こうは聖書もシェイクスピアもエリオットだってあるからね
って、知らんけど
それより、寺山修司って難解か?
西脇だって読むコツさえ掴めば平易なもんだと思うけど
逆に俺は宮沢賢治が難しい
語彙からして、なにがなんだかわけ分からん

372 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 18:26:10
難解な詩人は日本にいないでしょ。あえて混沌とした物を書くのは論外だが。。

373 :吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 22:52:43
というか、詩の鑑賞において難解云々ってこと自体がありえないよ
ヴァレリーもツェランもディラントマスも超簡単

374 :通りすがりの966:2006/03/27(月) 00:42:35
春の名詩シリーズ

ヴァレリーの名前が出たので、ヴァレリーの名吟中の名吟をあげておこう。
堀口大学の「月下の一群」は日本文学の宝と言っていいだろうから、このスレ
での引用を大目に見てもらうことにしよう。


  「失われた美酒」

一と日われ海を旅して
(いづこの空の下なりけん、今は覚えず)
美酒少し海へ流しぬ
「虚無」に捧げる供物にと。

おお酒よ、誰か汝が消失を欲したる?
或るはわれ易占に従ひたるか?
或るはまた酒流しつつ血を思ふ
わが胸の秘密のためにせしなるか?

つかのまは薔薇いろの煙たちしが
たちまちに常の如すきとほり
清らかに海はのこりぬ・・・。

この酒を空しと云ふや?  ・・・波は酔ひたり!
われは見き潮風のうちにさかまく
いと深きものの姿を!


375 :通りすがりの966:2006/03/27(月) 00:44:55
374の詩について。

おそらく早春の旅を歌ったもので、舞台はもちろん地中海でしょう。
「一と日われ海を旅して
(いづこの空の下なりけん、今は覚えず)」の出だしから
完璧にきまっています。

この詩が傑作であると断言するのに自分は躊躇しないけれども、しかし
自分には文の意味がよくわからないのも事実。特に最後の
「潮風のうちにさかまくいと深きものの姿」とは一体何を意味しているのだろう。
371、372、373さん、もしよかったら教えてください。


376 :吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 00:58:51
374
中井英夫も小説の冒頭に引用してて、題名にも「虚無への供物」を使ってるね。


377 :吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 02:29:28
あの詩の背景については、山田広昭に論があるでしょ、読みなさいね。
http://gamp.c.u-tokyo.ac.jp/kyoin/2004/yamada04.htm

378 :吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 09:22:39
「失われた美酒」は、人間の無償の行為のアレゴリーとして(も)読める。
その場合は「潮風のうちにさかまくいと深きものの姿」もそれなりに
解釈できる。

379 :通りすがりの966:2006/03/27(月) 23:23:58
>>376
そうですね。「虚無への供物」ってかっこいいタイトルだと印象に残って
いたけど、ヴァレリーが元だとは後から知りました(笑)。

美酒少し海に流しぬ
虚無に捧げる供物にと

こんなカッコイイ詩句が生涯にひとつでも書けたらと願う詩人志望者もいる
のではなかろうか。

380 :通りすがりの966:2006/03/27(月) 23:26:10
>>377
取りあえずレスありがとうございます。

でも、上で詩は難解じゃないなんてセリフが出てるので、
さらっと「自分の言葉で」説明できる人がいるんじゃないかと期待したんですが・・・

学者、研究者の説明なら自分で本屋や図書館に行って調べられるんで・・・


>>378
??


381 :吾輩は名無しである:2006/03/28(火) 00:45:27
詩なんて漠然と分かればそれでいいんじゃないのか
これこれは何を象徴しているとか
これこれは何の隠喩だとか
そんなのはどうでもいいんじゃないのか
また、それが判明しないからと言って
その詩が難解だとはならないんじゃないのか

382 :通りすがりの966:2006/03/29(水) 22:48:54
ここでちょっと話が混乱しないように詩が「わかる」の意味をもう少し
整理した方がよさそうだ。

1.詩で使われている語句や文の表面的な意味が「わかる」という意味。
2.その詩を作った作者の意図が「わかる」という意味。
3.詩のよさが「わかる」、その詩に心を打たれる、その詩の「美」が感得できるという意味。

取りあえず大雑把にこんなふうに分類してみる。
そして、1や2の意味の、言葉の意味がわからなかったり、作者がどういう意図で
この詩を作ったかがわからなかったりしても、3の意味で、その詩を読んで心を
打たれるということはありうるわけです。

「わからない=難解な」詩という際に、「わかる」の定義を明確にしないまま
話をすると混乱の元である。


383 :通りすがりの966:2006/03/29(水) 22:50:49
で、>>381氏の主張するところは、上の1や2の意味でわからなくても
3の意味で詩のよさがわかり、その詩に心を打たれればそれでいいのでは
ないか、という趣旨だと解釈してみる。
そしてそうならば、自分はまったく同意見なわけだ。
上記のヴァレリーの詩の「潮風のうちにさかまくいと深きものの姿」と
いう語句の意味するところがわからなくても、自分は前レスに書いた
ようにこの詩は「名吟中の名吟」であり、「傑作であると断言するのに
自分は躊躇しない」。この詩が他の大抵の詩よりも自分の心を強烈に捉える
からだ。春が来るたびにこの詩を思い出して自分も春の海の旅に出かけたい
ものだと思う。そういうわけで、詩の表面的な意味がわからなくても、
3の意味では、自分には「この詩はわかる」のである。
ただ、レスでたまたまヴァレリーの名前と詩が難解うんぬんという話題に
なったので、ついでに自分の長年の疑問点を質問したみたにすぎない。


384 :通りすがりの966:2006/03/29(水) 22:53:26
しかし、>>381氏の

>これこれは何を象徴しているとか
>これこれは何の隠喩だとか
>そんなのはどうでもいいんじゃないのか

とまではちょっと言いすぎではなかろうか。上記のヴァレリーの詩では
きちんと語句の意味づけができるはず。そして、堀口大学氏はこの詩の
意味するところを考え抜いて、あるひとつの解釈に落ち着き、その線に
したがって訳語を選択し、訳文を練り、詩全体が明確なイメージを結ぶ
ように最終形に向かって推敲したはずである。
「そんなのはどうでもいい」とは、原作者にも、また、詩を苦心して
日本語に訳してくれる人間に対しても随分失礼な言いぐさだと思うのだ。

意味がわからなくても詩に感動はできるけど、わかるにこしたことはない。
わかった方がより感動が深くなる可能性が高いだろうし。

385 :吾輩は名無しである:2006/03/29(水) 23:41:04
腑に落ちない言葉が一つでもあれば気になって先に進めない、という俺は
ヴァレリーの詩なんて読んじゃいかんのかな?

386 :吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 00:24:02
>>382-384
おお、ひさしぶりに2chでまともな人に出会った。
長文読んだのも久しぶりだよ。
あなたのいうことはまったく正しい。と思う。

387 :吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 00:49:14
よしんば「潮風のうちにさかまくいと深きものの姿」に
きちんと語句の意味づけしようとしても
それはやはり「潮風のうちにさかまくいと深きものの姿」としか言いようがない何物なのではないのか?
別にこっちはクイズをやってるわけじゃないし、作者や訳者におもねる義務も感じない
特に詩は、そのような語句の代替がきかない性質の代物ではないのか?
それに作者の意図なんかは、さしあたりどうでもいい
その詩が作者の100%意図した通りの効用を生んでいるかどうかは怪しいもんだし
作者自身が自作を読み違えることだって往々にある気がする
どんな風に読もうが、また、何かの弾みでそれまでと違う読み方(あるいは仕掛けなんか)を
発見したとしても、それで感動が深まろうが失望しようが
それはあくまで読者個人の問題ではないのか?
翻訳の問題はややこしいところなので、知らない

388 :通りすがりの966:2006/03/30(木) 01:44:32
>「潮風のうちにさかまくいと深きものの姿」としか言いようがない
>詩は、そのような語句の代替がきかない性質の代物

詩の語句の言い換えがきかないというのは、その表現が読者に与える印象
、イメージ、効果その他の点で、作者が心に抱いているものを正確に
伝えようとして、さまざまな選択肢から最も適切なものを選ぶ、だから
それ以外の表現に置き換えてしまうと台無しになる、というような
意味です。

ここで問題となっている象徴、隠喩などとは話が別です。
象徴、隠喩などを理解しなければ、日本の古今、新古今の和歌などでも
理解できないことになるでしょう。何かに託して自分の心情を述べるのは
詩歌の伝統的なわざです。

だんだん説明するのが面倒くさくなってきました。
詩が「わかる」の意味でも上で意味を整理しなけれゃならなかったのに
これからまだ基本的な言いまわしの定義をしなければならないのかなあ。

取りあえず今日はここまで。

389 :通りすがりの966:2006/03/30(木) 01:46:27
>>386
ありがとう。2チャンで褒められたのは初めてかも。

390 :吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 01:53:09
>>381>>387ですか?

君、ちょっと黙ってた方がいいよ。

391 :吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 02:21:19
ごめん、日本の古今、新古今は知らない
ただ、僕は上田敏の言う
「象徴の要は、之が助を籍りて詩人の観想に類似したる一の心情を読者に興ふるに在りて、
 必ずしも同一の概念を伝えむと勉むるに非ず。
 象徴詩を味わう者は、自己の感興に応じて、詩人も未だに説き及ばさざる
 言語道断の妙趣を翫賞し得可し。
 故に一篇の詩に対する解釈は人各或は見を異にすべく、要は只類似の心情を喚起するに在りとす」
というのを言ってるだけで、そりゃ例えば

げにわれは/うらぶれて
ここかしこ/さだめなく
とび散らふ/落ち葉かな

の「落ち葉」という象徴の仕方は素朴だから、解釈は容易いし誰が読んでも同じ解釈になる(と思う)
だけど象徴詩もマラルメ、ヴァレリーあるいはTSエリオットでもいいけど
先鋭化されていくと「何を象徴してるか」なんかは、ほとんど誰にも分かり得ないし
結局、「自己の感興に応じて」読むしかない

AをBに託して象徴する
あるいはBをAの暗喩として使用する
それでも、このAは「詩人も未だに説き及ばさざる」何物かなわけだし
適当に雰囲気だけで書いているものかもしれない
または「印象、イメージ、効果その他の点」だけを意図したものかもしれない
要は、思わせぶりな事を書いてるだけと言うか
なんにしろ、そういうのは漠然と感じとる以外に「理解」のしようはないのでないか?

392 :吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 02:35:01
もし僕が、ヴァレリー本人にこの「いと深きもの」ってなんの事ですか?と聞いて
「○○のことだ」と明確に言われたからって
僕にはそれが正解だとはとても思えないし
それによってこの詩の理解が深まるわけでもないと思う、って話でした

とりあえず、黙ってた方がいいみたいなんで
僕はもうこの話題では書きこみません

393 :通りすがりの966:2006/03/31(金) 00:14:10
くどいけど、当事者以外でこのスレを読んでいる人もいるから、参考までに
レスさせてもらう。

まず、念のため上記レスの対する気になった点を。
1.上田敏の上記の象徴詩の解釈の仕方には疑問が残る。
2.象徴詩を「適当に雰囲気で書いた」ものと解釈し、実際そういう詩を
書いた人も明治時代にいたようだけど、これはやはり誤解であろう。
3.しかし、そもそもフランス象徴派といっても、ここの問題を論じる際
には、ひとくくりにするのは無理があると思われる。ランボーとマラルメ
では、たぶんその詩観、詩の発想にかなり違いがあるし、ヴェルレーヌと
マラルメでも違うであろう。

しかし、フランス象徴詩派の定義についてはスレ違いになるのでここでは
追究するつもりはない。

394 :通りすがりの966:2006/03/31(金) 00:16:21
それから
>先鋭化されていくと「何を象徴してるか」なんかは、ほとんど誰にも分かり
>得ないし 結局、「自己の感興に応じて」読むしかない
という部分。
「先鋭化されていくと〜ほとんど誰にも分かり得ない」。これは言いかえると、
「きわめて高度なレベルでは・究極的には〜ほとんど誰にもわからない」の
意味だろうか。もしそうなら、まったく異存はない。このセリフを裏返すと、
「きわめて高度ではないレベルあるいは大抵の場合には、読者と共通の理解が
成立する」ということに他ならないのだから。

395 :通りすがりの966:2006/03/31(金) 00:20:22
もう一度ヴァレリーの詩に戻ると、自分はあの詩は、決して「適当に
雰囲気だけで書いている」、「思わせぶりな事を書いてるだけ」とは
信じないのである。
この詩には、ある統一されたヴィジョンというか、ある方向性が
感じられるからだ。そして、「いと深きものの姿」が自分にわからない
のは、自分の教養、学識がヴァレリーほどないからだと考えるのである。
「先鋭化されて」いて「誰にもほとんど分かり得ない」レベルという
わけではないと判断する。


396 :通りすがりの966:2006/03/31(金) 00:26:05
ここでちょっと気分転換に詩を。

春の名詩シリーズ
ヴァレリーの海の詩を出したので、今度は日本の詩で海が出てくるやつを。

  「春の航海から」

港に蝶がいた、私の胸に花の動悸が。(晴れた日の四国の山脈が焼けている)。
老いた船が纜(ともづな)をおろした。桟橋に人が群れていた。物売りの声々、
女の子が蜜柑を売りに来た。長い柄のある網に入れて、(四国の蜜柑には
緑葉がついている)。女の子の顔に黒子(ほくろ)があつた。私はいぶかつた、
春の大空にも黒子(ほくろ)があると。海で潮が光つた、五色のテープを投げた。
私の感傷、私はノートに書きつける。
「高松の港に蜜柑ひさぐ娘(こ)は・・・」

四国の山脈の野火が遠ざかつて行つた。
私は遠眼鏡を出した、私の胸にも、釦(ぼたん)の上に蝶がいた。


397 :吾輩は名無しである:2006/03/31(金) 20:52:02
うろ覚えの詩なんですけど、
たしか高橋源一郎の本で引用されてて
「首が落ちてしまいそうな気がした」みたいな感じで終わる詩があったんですが、
誰の何ていう詩かわかる方いらっしゃいませんか?
また読みたくなったのですが、検索ワードでそれらしいのを入れてもたどり着けないでいます。
ご存じの方いらっしゃいましたら、ご教示ください。

398 :吾輩は名無しである:2006/03/32(土) 00:08:28
馬鹿馬鹿しい。>>384
詩人本人だって大半は自分でよくわかってなくて適当に書いてるものを
翻訳者が隅から隅まで理解して訳せるわけあるかよ。
『西脇順三郎全詩引喩集成』でも見てみな。
こんな私的言語に近い仄めかしを理解しろって方が無理。
現代詩の大部分は独りよがりにすぎない。

399 :吾輩は名無しである:2006/03/32(土) 00:55:28
日本の現代詩は西洋の詩の翻訳からの影響によるものなのだが。
他人の翻訳を読んだか自分の脳内で翻訳したか。

400 :通りすがりの966:2006/03/32(土) 00:58:23
>>397
残念ながら自分にはわかりません。

>>398
自分は、だから、西脇順三郎の詩にはわからないものがあると書いた。
でも他の詩人の詩はわかる詩もやはりあるんで、もっと具体的に論じてほしい。
現代詩でも詩人それぞれ詩の作り方、詩観が違うし。

401 :吾輩は名無しである:2006/03/32(土) 01:18:28
>>398
詩が読めない奴の類型的な意見。
じゃあ、詩なんて読むなよって話になる。
でも、同意。

402 :吾輩は名無しである:2006/03/32(土) 04:20:58
その通り、詩はわからないものなのだし、読むにも値しない……99%は。

403 :吾輩は名無しである:2006/03/32(土) 10:53:50
その1%だけを語ればいいのよ。

404 :吾輩は名無しである:2006/03/32(土) 13:12:15
その1%を書いてる・読んでると己惚れるんだなあ、詩の好きな連中は。

405 :吾輩は名無しである:2006/03/32(土) 23:54:47
100読めば1は読んだ計算になるわけだがw

406 :吾輩は名無しである:2006/04/02(日) 01:59:46
%は確率ではないし、確率は平均しないものだし。

407 :宝塚市民:2006/04/06(木) 17:34:01
岡田指月
 (秋窓の高弟 白扇社創立メンバのひとり)
村長だった岡田幾と同一人物なの。

某人物が村長だった岡田幾の別名を岡田指月といってるのを
発見したんだが
俳人の指月のことなのか別人のことなのか。。

たしかに宝塚市内の小学校の中に
校歌の作詞者が岡田指月となっている
例はある。

指月が村長だった
そんな話は初耳なんだが。

ていうか
幾さん自体郷土史マニアしかその名を知らない。。
そかし 俳人の指月なら みんなもっと知ってそうなんだが。。


408 :吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 23:10:51
流れ豚切るかもしれません、スマソ
吉原幸子さんの詩で、新しい季節(春?)、新しいノートに書くように、
新しく始めていく・・・って感じの詩があったと思うのですが、
もしご存じの方いらしたら教えていただけないでしょうか。
よろしくお願いします

409 :408:2006/04/16(日) 02:06:36
レスstopしてしまったようで申し訳ありませんでした。

410 :吾輩は名無しである:2006/04/16(日) 09:03:43
気にするな

411 :通りすがりの966:2006/04/16(日) 10:27:10
>>408,409
図書館に思潮社の「続・吉原幸子詩集」「続続・吉原幸子詩集」が
あったからざっと見てみたけど、なかったみたい。
一番最初の「吉原幸子詩集」に載っているのだろうか。

412 :通りすがりの966:2006/04/16(日) 10:28:42
春の名句シリーズ


春の灯のむしろくらきをよろこべる   久保田万太郎



久保田万太郎は一般に劇作家として有名だが、俳句の方でも
ひとつのスタイルを確立している人。
和語というか、ひらがなの使い方の上手さは抜群だ。


413 :通りすがりの966:2006/04/16(日) 10:30:10
春の名句シリーズ


夜の大雨やがて春暁の雨となる   水原秋桜子



激しく降っていた雨が明け方には勢いが衰えて、静かな、しめやかな風情で
降っている様子を歌ったもの。この季節にはありふれたことだがその微妙な
感覚をよく掬い上げている。

414 :通りすがりの966:2006/04/17(月) 14:34:11
春の名句シリーズ


ちるさくら海あをければ海へちる   高屋窓秋

  

高屋秋窓氏についてはよく知らない。近代を代表する俳人とまでは言えない
ようだ。しかしこの句はよく知られている。教科書で取り上げられるような
あまりに有名な詩歌はここで紹介しない方針だけれども、作者自身が超有名という
わけではないし、この句の捨て難い魅力から取り上げてみた。

青い波とその上に舞う白い桜の花弁が鮮やかな対照をなしている清冽な一句。
俳句特有の「臭み」のない、現代詩に近い感覚。
「海あをければ」(海が青いので)「海にちる」とは論理的に成り立たない
理屈であるが、感覚的にはその結びつきは売れ入れられる。これは
「詩的論理」あるいは「詩的真実」というべきか。


415 :通りすがりの966:2006/04/18(火) 12:04:47
春の名詩シリーズ

    [春と修羅]   宮沢賢治

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の目路をかぎり
 れいろうの天の海には
  聖玻璃の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげろふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
・・・(以下略)・・・

416 :通りすがりの966:2006/04/18(火) 12:06:58
さて、四月となれば、この詩を思い起こさずにはいられない。
一般に宮沢賢治と言えば、「雨にもマケズ〜」や妹の死を悼んだ
「永訣の朝」などが教科書の定番。しかし、詩集「春の修羅」第一集には
その序にうかがわれるように化学用語、地質学用語などの理科系の語彙、
あるいは仏教用語などが散乱する、日本の近代詩の世界に新たなボキャブラリー
を付け加えることになった、一種の「モダーンな」側面があったことは
忘れてはならない。
ヒューマニスティックな、農民へのボランティア活動などの素朴なイメージ
とは別の一面である。
さらにこの詩などには、人格者、聖人めいた宮沢賢治像と違う、「悩める青年」
的イメージ、屈折した思いを抱えて彷徨する詩人の姿がある。
「春と修羅 第一集」は賢治の持つ多様な面がうかがえる実に面白い詩集だ。


417 :吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 22:30:20
 私という現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)

ってのもあったね。

418 :408:2006/04/21(金) 20:57:54
>>410さん、 >>411さん
優しいレス、ありがとうございます。
私も自分なりに探したのですが、見つけられませんでした。
出会ったとき、書き留めておけばよかった・・・と思います。
思いがけず優しいレスをいただいて感激しました。
おじゃましてしまい、ほんとに申し訳ありませんでした。
それと、宮沢賢治さんの詩、私も好きです。

419 :吾輩は名無しである:2006/04/23(日) 23:11:49
あぁ…無常
哀しげに去る
ばぁさんや
川へ洗濯
ティーピーオー(TPO)

420 :吾輩は名無しである:2006/04/28(金) 18:34:03
俺は自由律俳句に凝っている。

住宅顕信が、好きだ。

421 :吾輩は名無しである:2006/04/29(土) 12:33:26
自由律俳句といえば内田百閨B
出来の方はともかく...

422 :吾輩は名無しである:2006/04/29(土) 14:12:47
百鬼園は定型だが。

423 :吾輩は名無しである:2006/04/29(土) 17:53:03
いや、結構字余りを意図的にしてるよ。

424 :吾輩は名無しである:2006/04/29(土) 17:59:46
それは誰でも意図的だと思いますが・・・
ていうか、たまたま字数があまっちゃたの、とか言ってる俳人はなんだかなあ

425 :吾輩は名無しである:2006/04/29(土) 20:53:53
字余りは自由律ではないが。

426 :通りすがりの966:2006/05/01(月) 11:58:24
>>417
それはまさしく「春と修羅 第一集」の序の文句ですよん。


>>418
2チャンでそんなに礼儀正しくレスしなくても♪


427 :通りすがりの966:2006/05/01(月) 12:00:05
春の名詩シリーズ

さて、ゴールデン・ウィークということで行楽シーズン。
春の名詩の中でも特に旅を歌った詩歌を取り上げてみよう。
まずは、これ。


   「春の岬」

春の岬旅のをはりの鴎どり
浮きつつ遠くなりにけるかも


428 :通りすがりの966:2006/05/01(月) 12:01:38

三好達治の第一詩集であり、昭和を代表する名詩集「測量船」の
巻頭をかざる名詩(短歌?)。

旅の終わりに見るかもめがはるかに遠ざかってゆく、この微妙な情景に
明るい春景色でありながら旅の終わりのかすかな虚脱感と寂寥が揺曳する。
ゆく春を惜しむ心もあるだろうか。

西欧と日本の詩情が高い次元で融合したこの詩集の清新な世界は
後の詩人にとってひとつの指標となるものだった。


429 :吾輩は名無しである:2006/05/01(月) 23:36:31
どうも空疎な賞辞だネ。

430 :通りすがりの966:2006/05/02(火) 00:38:23
春の旅の名詩シリーズ


    「ある雲に寄せて」     津村信夫

それは、私が高原のあたりで見た雲であつた。

おしやれな雲が村落の午後の空を流れていた。


村の端づれで、娘が紅花を口にあてたまま水筒に水をつめてくれた。
別れるとき、花弁をこまかくかみちぎつた。行きずりの私の心は
あわただしく、また、未だ雪の輝いている山脈を背にした。


思ひ出さうとした。だが、あてどがなかつた。


道みち、あるくたびに、腰のあたりで、水筒が音をたてた。


私は、想ひを、歌を、せめて美しくあの花にまねて、口唇にのせてみた。


431 :通りすがりの966:2006/05/06(土) 23:41:25
春の旅の名詩シリーズ


   (田中一三に) 2

降るやうな光のなかで  おまへと並んで
その日はぼんやりと歩きつづけた
落葉する桜並木のアーチの下を
ながれる青い疎水のほとりを

若王子(にゃくおうじ) 若王子  とほい都の町はづれ
だれを忘れようとて
来た旅だつたか ------
心はかろく  歩きつづけた

ああ  その日 !  私と並んで
《 ・・・・・ 口笛もやめゆつくりと
花を踏んで歩いて行つた ・・・・・ 》と

水に浮かんで流れた日々を
とほい昔ではないやうに  私の耳に
優しい言葉でおまへはうたひ教へてくれた


432 :通りすがりの966:2006/05/06(土) 23:44:15


立原道造の詩。

昔、若い人に人気のあったテレビ番組で主人公役をつとめていた
俳優の森田健作が「青春の巨匠」などとニックネームを冠せられていた。
一体どうやって青春で巨匠になれるのかとおかしかったが、詩人の
立原道造も言わば「青春の巨匠」と呼んでいいでしょう(笑)。
この人ぐらい青春期の心情を見事に歌った詩人は他にいない。


433 :吾輩は名無しである:2006/05/07(日) 04:02:04
詩人はみんな永遠の若人だよ


なんてありきたりのことを言ってみた。

434 :通りすがりの966:2006/05/09(火) 00:45:23
>詩人はみんな永遠の若人だよ

まあね。

ただ、マジレスすると、詩人でも「若さ」を保持するのはかなり
難しい。

萩原朔太郎は、四番目で最後の詩集「氷島」では、「後退した」との見方が
有力だ。
中原中也も二番目の最後の詩集「在りし日の歌」には衰弱が見られるとの
評がある。
伊東静雄の場合も第一詩集にその真骨頂があるとする評価が多い。
詩を棄てて小説を書き出す者、または、小説に重心を移す者もいる
(島崎藤村、室生犀星、佐藤春夫等)。
詩人の詩魂というものは、非常に涸れやすい、はかないものである。

立原道造の場合は、そんな問題が存在しない。というのは、簡単な話しで、
若くして死んでしまったから。大人になる前に、いい意味でも悪い意味でも、
成熟する前に世を去ってしまった。したがって後に残されたのは、
どこまでも「青春の純一」に結晶した詩作品ばかりとなった。

長く生きて、戦中、戦後、あるいは、結婚、子供を持つことなどの経験を
経れば変わらざるを得ない、その詩の世界が変容をこうむらざるを得ない
はずであるが、とうとうその機会は持たなかったのである。
それでわれわれは、道造の、狭いけれども完璧な青春の詩を所有する
ことになったのだ。

435 :通りすがりの966:2006/05/10(水) 22:20:34
春の名句シリーズ

あんまり季節はずれにならないうちに忘れ難い晩春の名句をあげておこう。


パンにバタたつぷりつけて春惜しむ     久保田万太郎


芭蕉は「ゆく春を近江の人とおしみけり」とうたった。
「春ははなやかなだけに、惜しむ心も深い」と山本健吉氏は俳句歳時記の
季語の説明の項で書いている。


436 :通りすがりの966:2006/05/11(木) 23:08:30
ついでにもうひとつ万太郎の晩春を歌った句。


鳥かげのしきりにさすや暮の春



句に漂うかすかな寂寥感が実に印象的だ。

437 :吾輩は名無しである:2006/05/12(金) 10:19:15
>パンにバタたつぷりつけて春惜しむ     久保田万太郎

これは? うーん、よく分らん。
名句なのか…
難しいよ

438 :通りすがりの966:2006/05/14(日) 00:16:22
>>437
名句であることは間違いないと思うんだけど、残念ながら自分には
この句の名句であるゆえんをうまく説明できない。

(いままであげた久保田万太郎の句は主に「最新俳句歳時記」山本健吉編
から採ったもの。歳時記の例句は普通名句、秀句をかかげていて
アンソロジーの役割を兼ねている。
だから上記の句が載っているということは山本健吉氏もこの句が優れた
句であると判断したからに他ならない)


439 :通りすがりの966:2006/05/14(日) 00:19:47
(続き)
この句は、別に難しい言葉も故事成語のたぐいも使われていなくて、
表現の上ではまったく平明だ。万太郎の句は大体そういう平明な名句が多い。

そして、この句で作者の言いたいことは、「春惜しむ」と書いてある通り、
「惜春」の情であって、句の意図もはっきりしているわけである。

したがってこの句のよさがわからないのであれば、それは、完全に感覚的な
問題に属する。

まあ、たまたまこの句が感覚的にピンとこなかったとしても他の詩歌の
よさがわかるのであれば特に気にしないでいいと思う。時たま自分に
あわない、まったくピンとこないものがあるものだ。


440 :通りすがりの966:2006/05/14(日) 00:22:12
読んだ当初はまったくピンとこなくても、心の中で反芻していれば(あるいは
無意識にそうしていれば)、ある日ふと、にわかにそのよさ、そのイメージ、
そのビジョンがわかったりする。その際の「わかる」あるいは「わかった」
という感覚は絶対的なもので、曖昧さはない。
読んだ瞬間にそのよさがわかり、心を打たれる詩もあるが、そういう風に
後日になってわかる瞬間がやって来る詩もある。そのわかった時の感覚は
一種の快感であって、それも詩を読む楽しさのひとつである。少なくとも
自分はそうだ。

441 :吾輩は名無しである:2006/05/14(日) 03:13:54
同意。あの瞬時に訪れる開放感ってのは独特。
作者の意図がどうであれ、読み手にとって詩は、
それが見えるか、見えないかだけ。
誤読だってなんだって良いんだ、あれさえありゃあ。

442 :吾輩は名無しである:2006/05/14(日) 06:42:13
>パンにバタたつぷりつけて春惜しむ

俺はこれ面白いと思ったけどなあ。
まあ、スレ主さんもいってるように人それぞれだね。
ある日、読み直して面白さがわかるってこともあるし

443 :吾輩は名無しである:2006/05/15(月) 03:51:23
一句二句三句四句五句枯野の句

もち古し夫婦の箸や冷奴

飲めるだけのめたるころのおでんかな

久保田万太郎はこんなのもあるね

444 :吾輩は名無しである:2006/05/15(月) 21:29:10
>443
なんかいいなあ。楽しくなってきた。

445 :通りすがりの966:2006/05/16(火) 00:43:40
>>441
>>442
どうも。
賛同者がいて心強いです。

446 :通りすがりの966:2006/05/16(火) 00:45:27
>>443
引用、ありがとう。
なんか食べ物の句が多い気がするけど、久保田万太郎の句で
食べ物を詠んだ句の最高峰といえば、これ。



湯豆腐やいのちのはてのうすあかり



447 :通りすがりの966:2006/05/16(火) 00:51:15

この句は凄絶な名句で、万太郎の代表句だけど、今の季節にあわない
ので出すのを控えていたんである。

湯豆腐を詠んだ句の中で、最高傑作といっていいと思う(笑)。
食べ物関連の句全部の中でもトップ10に入る名句ではないかと考えております。
芭蕉の名句の



夏の夜や崩れて明けし冷やし物



とならぶ位置を自分の中では占めています(笑)。

448 :吾輩は名無しである:2006/05/24(水) 18:52:08
青蛙おのれもペンキぬりたてか     

芥川竜之介

449 :吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 02:02:07
テルアビブ大学東アジア学科の俳句コンテストに協力お願いします
上から一位、二位、三位です
一位3点、二位2点、三位1点で計算されます
ttp://www.matsunoki.net/haiku/public/haikus/vote

450 :吾輩は名無しである:2006/05/30(火) 01:37:24
小林一茶の猫の句。猫好きにはたまらない。


”あまり鳴いて石になるなよ猫の恋”

”うかれ猫奇妙に焦(じれ)て参りけり”

”猫の飯相伴するや雀の子”

”寝て起きて大欠伸して猫の恋”


http://www5d.biglobe.ne.jp/~nekohon/zx-poem-hanare-issa.html

451 :通りすがりの966:2006/06/01(木) 23:57:59
>>448氏にならって、蛙の名句をもうひとつ。



鉄板に息やはらかき青蛙     西東三鬼



鉄板の硬さとの対比でいよいよ蛙の可憐さが心に響いて来る。

452 :通りすがりの966:2006/06/02(金) 00:01:11
>>450氏にならって、猫の名句を、ただし、近代俳人の句から。



恋猫の恋する猫で押し通す     永田耕衣



猫、あるいは、猫の鳴き声の傍若無人さがユーモラスに表現されている句。

453 :通りすがりの966:2006/06/02(金) 00:08:45
西欧ではボードレールがかなりの愛猫家であったことが猫に捧げられた
詩の数篇からうかがえるが、日本の近代詩・現代詩には猫を愛情こめて
歌った詩は見当たらないようである。

454 :吾輩は名無しである:2006/06/02(金) 19:52:24
>>453
猫好きの小説家は多いのにね。

455 :吾輩は名無しである:2006/06/03(土) 06:13:43
「猫の恋」ってのは季語になってるけど、
犬関係はないの?

456 :通りすがりの966:2006/06/03(土) 16:45:17
>>454
そうですね。ちょっと不思議です。

短歌には猫を愛情こめて詠ったものがありそうな気がするけど。

457 :通りすがりの966:2006/06/03(土) 16:46:58
>>455
「猫の恋」に対して「犬さかる」があります。
なんかみもふたもない言い様ですが(笑)。

自分は寡聞にしてその方面の名句を知りません。

458 :吾輩は名無しである:2006/06/04(日) 03:32:05
ググってみたら芭蕉の犬の句がでてきた


風吹けば尾細うなるや犬桜             

行く雲や犬の駆尿(かけばり)むら時雨      

草枕犬もしぐるるか夜の声             

萩原や一夜はやどせ山の犬            



459 :通りすがりの966:2006/06/07(水) 21:17:49
近・現代俳句で季語の「犬さかる」を用いた名句、あるいは、犬を愛情こめて
詠った名句は知らないけど、犬が登場する佳句はないこともない。例えば次の句。



ひた急ぐ犬に会ひけり木の芽道     中村草田男



「木の芽(このめ)」は、「芽吹く(めぶく)」「芽立(めだち)」「木の芽時(このめどき)」
などとともに春の季語である。

しかし前レスに出た芭蕉の句、「草枕犬もしぐるるか夜の声」などと張り合えるような
風格のある句は近・現代俳句にはなさそうである。

460 :通りすがりの966:2006/06/15(木) 23:20:57
今年は雨が多くて春らしい春がなかったような気がする。
春の名詩歌は、だから、紹介するタイミングを失ってしまった。

さて、六月、で、雨、と言えば、「六月の雨」というそのまんまのタイトルの
次の詩だ。


     「六月の雨」

またひとしきり   午前の雨が
菖蒲(しょうぶ)のいろの   みどりいろ
眼(まなこ)うるめる   面長き女(おもながきひと)
たちあらはれて   消えてゆく   


たちあらはれて   消えゆけば
うれひに沈み   しとしとと
畠(はたけ)の上に   落ちている
はてしもしれず   落ちている


            お太鼓叩いて   笛吹いて
            あどけない子が   日曜日
            畳の上で   遊びます

            
            お太鼓叩いて   笛吹いて
            遊んでいれば   雨が降る
            櫺子(れんじ)の外に   雨が降る


461 :通りすがりの966:2006/06/15(木) 23:24:28
作者は中原中也。

雨の日曜日、作者はどこへも出かけず、家の中でぼんやりと時を過ごしている。
静かな空間に雨と湿った土の香りが漂い、昔のひとの面影が浮かび上がって
やがてまた静かに消えてしまう。
淡彩の佳品。

この詩には、中也らしさは強烈に出てはいない。
「サーカス」におけるような独創的な擬音語、擬態語もなく、「寒い夜の自画像」
におけるおのれの志の表白もなく、「一つのメルヘン」、「月夜の浜辺」における
ような童話風の幻想もない。
しかし、中也スレで誰かが指摘していたように、中也の詩には独特の「親しさ」、
「懐かしさ」がある。この詩には他の突出した特徴がない分、中也の詩の
「親しさ」が率直に感じ取れるかもしれない。

462 :吾輩は名無しである:2006/06/16(金) 00:19:00
良スレ応援。

463 :吾輩は名無しである:2006/06/17(土) 00:13:45
猫飼へば猫が友呼ぶ炬燵かな
三つ飼ふ猫の出入の日脚伸ぶ
二つ出て一つ炬燵に春の猫
               by松本たかし

464 :星櫻院月翔閣天時田恒旭義衡:2006/06/18(日) 06:21:44
四方の海 みな同胞と 思ふ世に
など波風の 立ち騒ぐらむ(明治天皇)

465 :吾輩は名無しである:2006/06/18(日) 11:11:33
思いっきり波風立てたよなあ、その後w

466 :通りすがりの966:2006/06/26(月) 00:53:06
>>462
どうもありがとう。

467 :通りすがりの966:2006/06/26(月) 00:55:41
ふーむ。
松本たかしに猫の句があるとは思わなかった。
ちょっと意外な感じ。

せっかくだから松本たかしの代表的な秀句を。


この雨はつのるなるべし春惜む



468 :吾輩は名無しである:2006/07/08(土) 11:39:51
俳句始めたいんだけど
俳句会はどこがいいでしょうか
きちんと添削してもらって実力つけたいんですが

469 :通りすがりの966:2006/07/10(月) 00:37:47
>>468
実作のことは、「詩・ポエム板」か「短歌五七五板」で聞いた方がいいんじゃないかな。
自分もよく知りません。


470 :吾輩は名無しである:2006/07/17(月) 16:10:47
   ∩_∩  
 ヽ( ´∀` )ノ <なんにもない机の引き出しをあけてみちゃいなよー!
 (( ノ(  )ヽ ))
    <  >

471 :吾輩は名無しである:2006/07/19(水) 14:21:49
>>468
俳人が書いた「マニュアル」でも読めば?
最近のなら長谷川櫂とか。

472 :吾輩は名無しである:2006/07/19(水) 15:46:22
>>468
ネット句会が山ほどある。
が添削希望なら、まず実作者の句を多く読み
自分が好きな句を創る俳人は誰か、見つける。その人が句会を主催しているか
添削指導をしているかを調べて、入門する。一番長続きする方法。
あるいは自分の居住地域から通える範囲で句会があるかどうか、
自治体の文化事業部などで手掛りをえて実際に見学してみる手もある。

日本の俳句人口はすさまじい。
自分の句集を出す人も数知れずおり、
90歳過ぎても句集を上梓するなど、俳句は一生ものだ。がんがれ

473 :吾輩は名無しである:2006/07/19(水) 16:29:53
短歌など女子どものお遊びだよ。
まともな文学者はやらないよ。
というか、恥ずかしいよ。

474 :吾輩は名無しである:2006/07/19(水) 16:44:13
古典に無縁の473さんが厨房板からお越しになるますた。
まともな文学者で、日本文学の古典を知らないのは
とんでもなく恥かしいことですよ。

475 :吾輩は名無しである:2006/07/19(水) 18:48:42
でもその恥かしい文学者が巷にあふれている。

476 :吾輩は名無しである:2006/07/19(水) 21:44:52
詩や俳句はいいけど短歌は恥ずかしいよぉ。

477 :吾輩は名無しである:2006/07/19(水) 21:50:40
和歌は太古よりの日本の芸術の粋。
俳句こそ後世の人間が俳諧の発句を独立させて作った遊びに過ぎないんだけどな。

少なくとも歴史的には。

478 :吾輩は名無しである:2006/07/19(水) 22:13:26
たしかに現代短歌は無意味。

479 :吾輩は名無しである:2006/07/19(水) 23:42:29
現代小説よりはマシかと。

480 :吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 00:05:00
目糞鼻糞

481 :吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 08:02:48
短歌は戦前まで。

482 :吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 12:21:55
短歌は十数年前から活況だよ。

483 :吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 12:45:55
魚武!

484 :吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 13:23:37
猫の歌

猫投げるくらいがなによ本気出して怒りゃハミガキしぼりきるわよ

485 :吾輩は名無しである:2006/07/21(金) 08:20:49
でも、短歌を専攻している学生は馬鹿が多い。

486 :吾輩は名無しである:2006/07/21(金) 10:51:10
同じ入試を通ったなら偏差値も同じだろ。

487 :吾輩は名無しである:2006/07/21(金) 12:14:35
馬鹿でも創作できるし。w

488 :吾輩は名無しである:2006/07/21(金) 20:25:28
>>487
なんだってそう

489 :吾輩は名無しである:2006/07/22(土) 12:52:35
目糞鼻糞

490 :通りすがりの966:2006/07/22(土) 23:42:25
今年は春から雨が多くて、晴れた春の日が少なかったと思うけど、
そのまま梅雨に突入してしまった。で、未だに雨がやむ気配がない。

梅雨あるいは雨にまつわる詩歌をもう少し取り上げてみる。
まず梅雨の句。



抱く吾子も梅雨の重みといふべしや     飯田龍太



491 :通りすがりの966:2006/07/22(土) 23:44:09

これはわかりやすい秀句。
自分の子である赤ん坊を抱き上げてみると、肌がしめりけを帯び、
心なしかいつもより重く感じられる、というもの。


492 :通りすがりの966:2006/07/22(土) 23:48:48
五月雨(さみだれ)といえば、五月と書くとはいえ、これは陰暦であるし、
「梅雨は五月雨の降る時候を主にして言い〜」と山本健吉氏も歳時記の
解説に書いている。
すなわち、五月雨の句を今紹介しても決して時季外れではないわけだ。

五月雨の句と言えば、これはもう

五月雨をあつめて早し最上川     松尾芭蕉

の名句、それから蕪村などの名句が人口に膾炙している。
近代でこれらに匹敵する句はちょっと頭に浮かばない。しかし、芭蕉、蕪村の
堂々たる風格には及ばないが、逆にそれだけ身近に感じられる句というのはある。
例えば、



五月雨や上野の山も見飽きたり     正岡子規


雨続きで外出を控えていると、こんな感慨もわく。平々凡々だが、誰にも
思い当たる気持ちをあっさり自然に詠んだところが逆に光る。


493 :通りすがりの966:2006/07/22(土) 23:51:58
五月雨の他に、五月闇(さつきやみ)という季語もある。
「五月雨のころ、陰鬱として、昼もなお暗いのを言う」と山本健吉氏の解説。
その五月闇を詠んだ句。



五月闇より石神井の流れかな     川端茅舎

(さつきやみよりしゃくじいのながれかな)


石神井は、東京の町のひとつ。石神井川が流れる。
しかし、石神井になじみがなくてもこの句が優れた句であるとは
判断できる。「詩の不思議」のひとつである。


494 :通りすがりの966:2006/07/23(日) 00:03:05
地名といえば、芭蕉が有名な

ゆく春を近江の人とおしみけり

と詠んだとき、この句の近江は別に他の地名でも一向にかまわないのでは、
とある人が言い放ち、芭蕉から「詩のわからないやつ」と苦笑された、というような
話がたしか「三冊子」にあった。
地名を句に詠みこむのは一種の冒険と言ってよく、なじみのない人にはさっぱり
わからない場合もある一方、なじみがなくともやはり名句としか言いようがない句も
誕生する。


495 :通りすがりの966:2006/07/23(日) 00:34:07
もう一句、五月闇(さつきやみ)の句。



五月闇汽罐車一台ゆくごとし     山口誓子



この汽罐車(きかんしゃ)はもちろん旧式の、堂々とした、黒いSL蒸気機関車である。
比喩に機関車を持ってきたところが実に意表をつき大胆。


496 :吾輩は名無しである:2006/07/23(日) 08:22:58
アホらし。

497 :吾輩は名無しである:2006/07/26(水) 03:20:49
正岡子規の書画大量発見
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20060726it01.htm?from=top

498 :吾輩は名無しである:2006/07/29(土) 17:53:22
四季派の人々を解説してるサイトはないでしょうか?

499 :吾輩は名無しである:2006/07/29(土) 19:08:43
やわぁ!

500 :吾輩は名無しである:2006/07/30(日) 10:17:33
短歌は戦前まで。

501 :吾輩は名無しである:2006/08/01(火) 12:15:17
最近、夕暮れや夕焼けの詩をつくりたいと考えているのですが。
皆さんの心に染みた夕暮れの詩はありますか?
どなたの作品でもいいので、あったら教えて下さい。

502 :通りすがりの966:2006/08/02(水) 00:21:23

   「夕ぐれの時はよい時」     堀口大学

夕ぐれの時はよい時
かぎりなくやさしいひと時
 
それは季節にかかわらぬ
冬なれば暖炉のかたはら
夏なれば大樹の木かげ
それはいつも神秘に満ち
それはいつも人の心を誘う
それは人の心が
ときに、しばしば
静寂を愛することを
知っているもののやうに
小声にささやき、小声にかたる・・・
      
夕ぐれの時はよい時
かぎりなくやさしいひと時
 
夕ぐれ時
自然に人は安息をすすめるやうだ
風は落ち
人は花の呼吸をきき得るやうな気がする
今まで風にゆられていた草の葉も
たちまち静まりかへり
小鳥たちは翼の間に頭をうづめる・・・
 
夕ぐれ時はよい時
かぎりなくやさしいひと時
 

503 :通りすがりの966:2006/08/02(水) 00:25:35
夕暮れの名詩といえば、定番はこれでしょう。

しかしこの詩はどこか西欧の香りがする。堀口大学自身の作であるのに
フランスの誰かの詩を氏が訳したもののように感じられる。そういう舶来の香りが
堀口大学氏の詩の魅力の一部をなしている。

氏の訳で親しまれたアポリネールの「ミラボー橋」もたしか
セーヌ川の夕暮れどきの情景だった。


504 :通りすがりの966:2006/08/02(水) 00:28:22
「夏の夕」は俳句の季語である。その代表的句は、


雲焼けて静かに夏の夕(ゆうべ)かな     高浜虚子



こちらはいかにも日本の夏の夕景色という感じ。


505 :通りすがりの966:2006/08/02(水) 00:29:52
もうひとつ「夏の夕」を含んだ名句。


帆を以て帰るを夏の夕とす     山口誓子

(ほをもってかえるをなつのゆうべとす)


506 :吾輩は名無しである:2006/08/02(水) 08:03:32
>>502-505
ありがとうございます。
参考にさせて頂きます。

507 :吾輩は名無しである:2006/08/02(水) 08:12:17
短歌は戦前まで。

508 :通りすがりの966:2006/08/03(木) 22:44:23
「夏の夕」を詠んだ名句をもうひとつ。



夏川の声ともならず夕迫る     飯田龍太


509 :教えて名無しさん:2006/08/15(火) 13:53:35
突然失礼いたします。
以前、朝日新聞の「折々の歌」で、
“夫(だったかな?)がここにいるとは思えないけれども、
他に行くところがないのでこの墓に詣でるのだ”という内容の歌が掲載されました。
とても印象に残っているのですが、
ちゃんとした歌も作者も忘れてしまったので、ご存じの方教えてください。

510 :通りすがりの966:2006/08/17(木) 19:33:14
誰も答えられないかな。うーん・・・

511 :吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 22:07:26
>>509
亡き夫ここにおらぬと知りつつもいくとこないので墓に参らむ

読み人知らず


512 :吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 22:46:27
>>511
才能なし

513 :吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 23:44:52
三島由紀夫の
「散るをいとう 世にも人にもさきがけて
        散るこそ花と吹く小夜風」
これってどういう意味ですか?
詳しい人教えて下さい

514 :吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 23:47:38
なんだかんだいっても死にたくねえなあって生にこだわり続けている
人々が多い時代だからこそ、
あえて死んでみせるとかっこいいよなあってことです。

515 :吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 23:50:44
名聞や利欲などの通俗的な価値観にしばられて、
死ぬことを嫌がっているような世間の豚共を尻目に、
自分だけは潔く颯爽と死んで見せよう

という、超自己中ナルシストの命を軽んじる戯言ですよ

516 :吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 23:50:59
「酔ってるの?私が誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」

これってどういう意味ですか?
詳しい人教えて下さい


517 :吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 23:56:28
酔っ払いを介抱した人が
ちゃんと私が誰か分かってるの? と問い質したら
酔っ払いが、テレビのキャラクターの3匹の子豚のうちの1匹
ぶー ふー うー の中の うーじゃないの? って言っただけ

こんなの短歌でも何でもない
ニューウェーブはもう終わった。とっくに死んでるよ

518 :吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 23:57:25
酔っ払ってナンパした女とセクースしてしまった男が目を覚ますと
目の前に豚のような醜女がいたんでびっくりしたなもう酒はたいがいに
しとかんといかんな、という意味です。


519 :513:2006/08/17(木) 23:58:57
なんか地雷でした?
純粋に意味を尋ねただけだったんですが。
ありがとうございました

520 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 00:03:57
>>519
どんどん聞いて、ねえ、どんどん聞いてよお
どうせ僕は今夜も眠れないんだから
だから、もっともっと聞いて、朝までお願い!

521 :通りすがりの966:2006/08/18(金) 00:38:29
>>511
なるほど。^^;


522 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 00:38:45
穂村弘って死んでるどころか、現代短歌の最前線じゃなかろうか

523 :通りすがりの966:2006/08/18(金) 00:39:47
>>513
忠実に意味を取ると

「ほろびること、衰えることをいやがる世の中や人をしりめに、
いさぎよく散るのこそ花(桜)というものではないか、と言わんばかりに
吹く今宵の風であることよ」

ぐらい?

>>514>>515両氏の解釈は、三島由紀夫の本意に近いところを衝いていると
思うけど。

524 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 05:39:01
質問です。
数ヶ月前になくなった詩歌の方で、
お母様と戦火の中、はぐれて亡くした。というエピソードが紹介されていた方どなたでしたっけ

525 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 09:19:00
捜査困

526 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 10:19:53
>>525
ありがとうございます。ググるといろんな話題が出てきますね

527 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 13:22:52
たしかに現代短歌は無意味。

528 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 13:35:45
近・現代日本の詩歌(詩・短歌・俳句)
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1135441640/

おまえらこのスレに行って話に加われや

529 :528:2006/08/18(金) 13:37:04
リンク先をまちがえちゃった。ごめん。

530 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 13:40:01
>>527
チョークーの死で終わった。

531 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 14:13:55
ところで北村透谷知ってる奴ってまだいんのか?
鴎外や藤村にも影響与えた偉大な詩人だったが。

532 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 18:07:10
近代詩や現代詩のお勧めのアンソロジーってある?

533 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 19:05:22
>>531
透谷はまあ有名だろ。
でも現在では、自殺したことと全集刊行の際の勝本清一郎のコダワリくらい
しか話題にのぼらんかも。

534 :吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 19:09:15
>>532
『日本の詩101年 1890〜1990』(新潮 '90年11月臨時増刊)
ただし雑誌なので、手に入ってもかなりボロくなってると思うw

535 :吾輩は名無しである:2006/08/19(土) 18:34:19
>>534
ありがとう。探してみるよ。あるといいな。

536 :通りすがりの966:2006/08/21(月) 00:29:55
昔は新潮文庫に伊藤信吉編「現代名詩選 上・中・下」というのがあった。
これが明治以降の詩人の代表作をほぼ網羅した最も優れたアンソロジーだ
と思う。新潮で復刊しないなら、ちくま文庫か講談社文芸文庫あたりで
また出してもらいたい。

あるいは、岩波文庫でも、「イギリス名詩選」、「フランス名詩選」等
各国の詩のアンソロジーを出しているんだから、日本の「近・現代名詩選」
をやはり三巻〜五巻ぐらいで出していいと思う。

とにかく今手軽に文庫で手に入れられる優れた詩のアンソロジーがない
のは、文化の担い手を標榜する出版社の怠慢と言わざるを得ないだろう。


537 :通りすがりの966:2006/08/21(月) 00:31:51
俳句の方面で一言言わせてもらえば、岩波文庫には高浜虚子の分厚い
俳句集が収められているけれども、そして、虚子が近代俳句の巨人
であることは疑いないけれども、その他の俳人、例えば、飯田蛇笏や
石田波郷、山口誓子といった俳人の句がまったく読めないというのは、
あまりにバランスを失している。こちらも「近代秀句選」といった
タイトルで近代俳句のアンソロジーを刊行してもらいたいものだ。


538 :通りすがりの966:2006/08/22(火) 23:47:44
さて、梅雨あけ宣言が発せられたのが七月末、暦の上では八月八日が
立秋だから、そうすると今年の夏は一週間しかなかったのか、と愕然
とする。が、まだ暑さは半端じゃないのでかまわず夏の名詩歌を紹介。

とりあえず、さわやかな夏の小品を。↓


539 :通りすがりの966:2006/08/22(火) 23:50:23

   「小扇」     津村信夫

         嘗つてはミルキイ・ウエイと呼ばれし少女に


指呼すれば、国境はひとすじの白い流れ。


高原を走る夏期電車の窓で、


貴女(あなた)は小さな扇をひらいた。


540 :通りすがりの966:2006/08/22(火) 23:52:27
涼しげな名句。


鼈(すっぽん)をくびきる夏のうす刃かな     飯田蛇笏


541 :通りすがりの966:2006/08/22(火) 23:55:01
似た趣向の句をもうひとつ。


伊勢えびにしろがねの刃のすずしさよ     日野草城


542 :通りすがりの966:2006/08/23(水) 00:43:43
夏と言えば、強烈な太陽の陽射である。
近代詩人中、その強烈な光を最もあざやかに捉えた詩人と言えば、
伊東静雄を措いて他にない。↓



543 :通りすがりの966:2006/08/23(水) 00:46:09

   「水中花」     伊東静雄     

今歳(ことし)水無月(みなづき)のなどかくは美しき。
軒端(のきば)を見れば息吹(いぶき)のごとく
萌えいでにける釣しのぶ。
忍ぶべき昔はなくて
何をか吾(われ)の嘆きてあらむ。
六月の夜と昼のあはひに
万象のこれは自ら光る明るさの時刻(とき)。
遂ひ逢はざりし人の面影
一茎(いっけい)の葵の花の前に立て。
堪へがたければわれ空に投げうつ水中花。
金魚の影もそこに閃(ひらめ)きつ。
すべてのものは吾(われ)にむかひて
死ねといふ。
わが水無月のなどかくはうつくしき。


   水中花と言って夏の夜店に子供達のために売る品がある。木の
   うすいうすい削片を細かく圧搾してつくったものだ。そのまま
   では何の変哲もないのだが、一度水中に投ずればそれは赤青紫、
   色うつくしいさまざまの花の姿にひらいて、哀れに華やいでコ
   ップの水のなかなどに凝っとしづまっている。都会そだちの人
   のなかには瓦斯燈(ガス燈)に照らしだされたあの人工の花の
   印象をわすれずにいるひともあるだろう。


544 :通りすがりの966:2006/08/23(水) 00:52:18
「すべてのものは吾(われ)にむかひて死ねといふ」。(にもかかわらず、
あるいはそれゆえに?)わが水無月の、なぜこれほどうつくしいのであろうか、
と作者は言う。
伊東静雄の詩作品には、このような、いわば「逆転の発想」とでも言う
べき詩句が随所にみられる。その強烈なインパクトはまったく無類である。

詩に添えられた水中花の説明文も忘れがたい趣がある。


545 :通りすがりの966:2006/08/23(水) 23:31:30
しかし、それにしても、夏という季節はなぜ、生、あるいは、死、
あるいは、「永遠」といった言葉もしくは観念と結びつくのだろうか。

強烈な太陽の光は、盛んな「生」を暗示する一方で、伊東静雄の詩に
みられるようにしばしば「死」と結びつく。
また、夏には、何かが起こる予兆というものを感じさせるものがある。
何かが起きなければならないような気がするのである。


546 :通りすがりの966:2006/08/23(水) 23:33:21
ドストエフスキーの「罪と罰」の冒頭が、蒸し暑い七月のある日の描写
から始まり、カミュの「異邦人」の出来事が夏を中心に展開するのも、
そういった夏という季節が人に与える感覚、感情と無縁ではないように思われる。

(たぶん、ガストン・バシュラールあたりを読めばそのあたりのことを書いて
いるような気がするけど、不勉強でまだ読んでいない)


547 :通りすがりの966:2006/08/23(水) 23:36:10
日本で言えば、伊東静雄の熱烈な礼賛者であった三島由紀夫にこのテーマ
に対する執着がみられるようだ。短編の「海と夕焼け」、「岬にての
物語」、「真夏の死」などなど。「海」、「死」、「永遠」、「恩寵」等を
キーワードに、その変遷を処女作の「花ざかりの森」から「豊饒の海」まで
跡付ければ面白い論文が書けそうである。

夏という季節が、何かが起きる予兆を感じさせながら、にもかかわらず
眼前の自然はただ黙して何も語らず、静かに時だけが過ぎてゆく。
次の作品はおそらくそういった感覚を背景にして生まれたのかもしれない。



548 :通りすがりの966:2006/08/23(水) 23:37:52


目に余る夏海なれば石なぐる   沢木欣一



549 :通りすがりの966:2006/08/24(木) 22:58:28
夏の海に関連のある名句をもうひとつ。



炎天の遠き帆やわがこころの帆     山口誓子


550 :通りすがりの966:2006/08/24(木) 23:03:24
詩で夏の海が出てくるものといえば、中原中也に次のような作品がある。
未刊詩篇に収められている詩で、知っている人は少ないと思う。


   「怠惰」

夏の朝よ、蝉よ、
砂に照りつける陽よ・・・
燃えている空よ!

今日は誰も泳いでいない、
赤痢患者でもあつたんだらう?
海は空しく光つている。−−− 風よ・・・

叔父(おじ)さんは僕にいふのだ
「早く持つたがいいぜ、
独り者が碌なことを考へはせぬ。」

それどころか、・・・夏の朝よ、蝉よ、
むかふにみえる、海よ、
僕は寝ころびたいのだよ、

目をつむつて蝉が聞いていたい! −−− 森の方・・・


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「海は空しく光つている」。
確かにそうで、夏の海は、ギラギラとして、空しく、静かに、いつまでも
光っている。


551 :吾輩は名無しである:2006/08/24(木) 23:23:32
お前らさあ
とっくに立秋過ぎて、昨日処暑だったってのに、何季節はずれの話してんの?
日毎に虫の音も増えてきてる時期だってのに鈍い感性だなあ

552 :通りすがりの966:2006/08/24(木) 23:59:28
>>551
>お前らさあ

俺ひとりです。
それと>>538を参照


553 :吾輩は名無しである:2006/08/25(金) 01:58:41
>>通りすがりの966
(551ではないが)
けなげだなあ。頑張れよ。時々見てやるからよ。

554 :吾輩は名無しである:2006/08/25(金) 09:18:54
>>553
応援してまつ
頑張ってください

555 :吾輩は名無しである:2006/08/25(金) 10:48:09
くだちゃい

556 :通りすがりの966:2006/08/25(金) 23:02:57
>>553
ありがとう。


557 :通りすがりの966:2006/08/25(金) 23:04:54
夏の独特な感覚、感情が見事に表現されている作品といえば、
最近こころに残ったものがある。

あずまきよひこ氏のコミック「よつばと! 」(特に第5巻)です。

漫画であり、スレ違いは承知だけど、ついこの間読んで忘れがたい
印象を受けたのでここで推奨しておきたい。

上記の沢木欣一氏の俳句や中也の詩と同列に並べて言及したくなる
ような漫画は昔はなかった。最近はあずまきよひこ氏の他まだ幾人かにも
微妙な季節感を捉え得た漫画の書き手を見出すことができる。
漫画は確実に進化しているのである。

(このことは別の見方をすれば、かつては詩や短歌、俳句などで自己
表現を行っていた人間が今では漫画でそれをやっているということで、
つまり文学界から漫画の世界への人材流出です。文学板のスレにも
それをテーマにしたスレがありますね)


558 :吾輩は名無しである:2006/08/26(土) 00:06:05
多分それは、比べてる詩歌の方のレベルが低いと思われる
短歌のニューウエーブとかって
はっきり言って漫画とかでやるべきことを定型詩でやってるに過ぎない
文学や芸術という意識で取り組んでないものを
安易に定型詩の世界に迎え入れるべきじゃなかったんだよ

オノマトペなんて、俺はどんな歌人よりうすた京介が一番才能あると思うし

559 :通りすがりの966:2006/08/26(土) 00:39:59
>>558
短歌のニューウェイブとか、そのへんは全然知らないので
コメントは控えさせて頂きます。^^


560 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 02:18:38
通りすがりの966さんはおいくつぐらいの方なのですか。
差し支えなかったら大体のところを教えてください。

561 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 07:58:43




短歌くだらねえーーーー






562 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 08:21:01
理解できないお前がくだらないのでは?

563 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 08:38:05
短歌ワロス

564 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 09:00:21
短歌くだらん

565 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 09:03:07
短歌あほらしいね

566 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 09:06:41
>>562
理解してるつもりのお前がくだらねえんだよ。

567 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 09:11:23


女子供のお遊びフォーーーーー!!!!



568 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 10:29:05
歌人さんも非歌人さんもこれ読んでね

「結社ひとり氏の短歌論」
http://hitoribotti.srv7.biz/

569 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 11:55:19
現代俳句一番くだらん

570 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 12:11:21
>>568
危険! 直リン注意。

571 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 12:16:03
>>570
歌人さん乙

572 :吾輩は名無しである:2006/08/28(月) 17:43:11
永井荷風も俳句やってるよね
百鬼園より好きだな

573 :吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 00:12:49
小林秀雄賞に荒川洋治氏
http://www.sankei.co.jp/news/060828/bun108.htm


574 :吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 00:18:24
>>568
ブラックタワー自演乙!

575 :吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 04:53:45
西城八十にはまったんだけど同士いる?
なんかかわいいよこのおっさん

576 :吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 06:29:37
>>574
どこが自演?

577 :吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 08:40:24
>>576
結社ひとりはマッチポンプ

578 :吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 09:05:42
歌人は言語障害者

579 :吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 11:00:21
結社ひとりとブラックタイガーの結論は>>562-565>>578だけじゃないか。

580 :吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 11:18:21
>>579
ここに載ってるヒトです
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1101944094/

581 :吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 13:02:25
詩に詳しい住民が多いポエム板では立てられないんだろ、こんな糞スレ。

582 :吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 13:45:33


女子供のお遊びフォーーーーー!!!!






583 :吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 19:14:32
死んだ振りときどき足ばらいw ここでは「お前は文学を知らない」とは言えないからねww

>>582
あんた間違ってるよ。女、子供、ジジババ、ニート、囚人のひまつぶしだ。

584 :吾輩は名無しである:2006/08/30(水) 07:24:25
仲間内の会話を2ちゃんでやるなよ。mixiでなら邪魔されずにやれるぞ。

585 :吾輩は名無しである:2006/08/30(水) 08:26:03

女子供のお遊びフォーーーーー!!!!



586 :通りすがりの966:2006/08/30(水) 08:51:42
>>560
単なる中年男ですが、何か?

587 :通りすがりの966:2006/08/30(水) 08:53:20
さて、夏のおわりの名詩歌をあげていこう。


「北の国では」 三好達治

北の国ではもう秋だ
あかのまんまの つゆくさの 鴉揚羽(からすあげは)の八月は
秋は夏のをはりです
ゆくへも知らぬ人のかず
かつて砂上にありし影
それらもやがて日が暮れて
鴉のやうに飛びさつた
去年の墓に隣して
一つの夏はまた一つ
憂ひの墓をたてました
何といふさみしい書割りだ
海は毎日まつ青で
白帆を天の末におく
砂の舞台へこれはまた
ロシナンテに鞍おいて
ふらりふらりと影のやう
ハムレットさまがお出ましだ


588 :通りすがりの966:2006/08/30(水) 08:54:18
さてもさても人の世は
何から何まででたらめで
さかしまごとの砂の山
砂の谷には紫の もろげな ゆかしい
ほんににげない五弁の花が咲きました
「馬鹿の花」だよ
河童どもがとへばさう
にべもなくこたへるけふこの頃
ああ何かしら
心のすみから一つ一つ
忘れともないものがまた
忘れられてもゆくやうな
八月は私の生れ月
あかのまんまの つゆくさの 鴉揚羽の八月は
北の国ではもう秋だ


589 :通りすがりの966:2006/08/30(水) 08:57:46

「まつ青」(まっさお)な海を前にした明るい光景を詠みながら、
そして軽やかな、おどけた調子でありながら、
「ゆくへも知らぬ人のかず」であり「かつて砂上にありし影」、
「それらもやがて日が暮れて鴉のやうに飛びさつた」、「去年の墓に
隣して一つの夏はまた一つ憂ひの墓をたてました」と、立て続けに
「喪失」について述べる。この喪失はもちろん個人的事情にかかわる
ものだが、それが「夏のおわり」という喪失感と響きあっている。
「明るい寂寥」とでも呼べるだろうか。この詩の軽やかな明るさと
淋しさの混交は忘れ難い印象を残す。

590 :吾輩は名無しである:2006/08/30(水) 09:03:48
あのー学校の宿題で短歌を五首考えるんですけど・・・一緒に考えてくれませんか?

・現代学生のものの見方

・生活感覚を呼び込んだもの

このいずれかで考えてください。お願いします。

591 :吾輩は名無しである:2006/08/30(水) 09:43:00
>>590
糞教師死ね!!

592 :通りすがりの966:2006/08/30(水) 10:04:31
(>>589の続き)
特に印象的なのは、

海は毎日まつ青(まっさお)で
白帆を天の末におく

の部分。海と空の蒼さの中にポツンと浮かぶ白帆のイメージ。
これはあの若山牧水の名吟

白鳥(しらとり)は悲しからずや海のあお空の青にも染まず漂う

と共通するところのあるイメージである。

ちなみに「八月は私の生れ月」とあるように三好達治の生まれた
のは八月二十三日。


593 :通りすがりの966:2006/08/30(水) 23:34:34
夏のおわりを詠んだ名詩歌。その2。



終着駅に酔客となり夏惜しむ     能村登四郎


594 :通りすがりの966:2006/08/30(水) 23:36:05

サラリーマンの経験をうたったものだろうか。
都心で酒を飲んで列車に乗り、つい居眠りして自分の降りる駅を
乗り過ごしてしまう。目を覚ませばいつのまにか終着駅である。
あたりはほとんど田舎といってもよいほどの環境だ。
ホームのベンチに座って酔いを冷ましていると、夜風が少し肌寒い
ほどなのに驚いて、夏もそろそろ終わりであるのに気づく。
遠くからは秋の虫の声さえ聞こえてくる・・・。


595 :吾輩は名無しである:2006/08/31(木) 00:55:26
良いね。

596 :吾輩は名無しである:2006/08/31(木) 07:39:09
>>594
あほ

597 :吾輩は名無しである:2006/08/31(木) 10:10:22
>>594
ポエム板でやれ。詩の解釈と鑑賞はこのようにするものだと言って共感を得ろ。

598 :吾輩は名無しである:2006/08/31(木) 16:07:59
中学生の感想文程度のものが俳句の世界では解釈鑑賞としてまかりとおるんだよ。

599 :吾輩は名無しである:2006/08/31(木) 16:58:40
俳句ぷぷぷぷぷ

600 :吾輩は名無しである:2006/08/31(木) 18:06:19
短歌ワロス


601 :吾輩は名無しである:2006/08/31(木) 19:02:49
俳人で今えらい人ベスト5を教えてください。
あと、俳壇はひとつじゃなくて三つぐらいに
分裂したという話をきいたのですが、本当で
すか。詩壇というものはありますか。

602 :吾輩は名無しである:2006/08/31(木) 19:44:01
俳句、盆栽、ゲートボール

603 :吾輩は名無しである:2006/08/31(木) 21:17:39
俳句界では妄想の垂れ流しを解釈とか鑑賞とか批評とか言うんだね。

604 :通りすがりの966:2006/08/31(木) 22:30:11
>>597
ポエム板は雰囲気があんまり好きじゃないので・・・ ^^

>>601
自分は優れた詩歌が好きなだけのディレッタントなので
そういう文壇事情とかはまったくわからないな。

ただ、現代俳人の中では、飯田龍太、飴山実、能村登四郎、沢木欣一、
などに注目している。優れた句あるいは俳人は他にもいるだろうから
自分の方が教えてもらいたい。

605 :通りすがりの966:2006/08/31(木) 22:31:36
夏のおわりを詠んだ名詩歌。その3。



わが夏をあこがれのみが駈け去れり麦藁帽子被りて眠る


606 :通りすがりの966:2006/08/31(木) 22:33:11

(わがなつを あこがれのみが かけされり むぎわらぼうしかむりてねむる)

寺山修司の初期の短歌。

場所は、東京ならば、多摩川の土手であろうか。
作者は日の沈むころ夏のおわりの土手に来て、寝転んで
麦藁帽子を顔にのせ、すぎゆく夏の日々を振り返っている。
夏の始まる前はあれほどやるべきことがあり、また、やりたいこと
もあったような気がする。いろいろなことがやれる気もする。
ところが、今振り返ってみると、たいしたことは何もやれずに
夏の前とほとんど変わらぬ自分がいるのである。
もう弱くなった陽射しの中でまどろみながら、悔恨が胸を刺すのに
まかせる。ただしそれはおそらく強烈なものではない。悔恨さえ
今は心地よいと感じられる、けだるい状態である。
疲れと淡い悔恨と陽射しの温かさとすぎゆく夏のさびしさと・・・
今はただしばらくこのまま寝転んでいたいのだ。


607 :吾輩は名無しである:2006/08/31(木) 22:37:05
糞スレ

608 :吾輩は名無しである:2006/08/31(木) 22:38:28
>>606
あほ

609 : ◆k2XT3HjFWw :2006/08/31(木) 22:44:19
>607-608
俺はこのスレ楽しんで見てる。荒らすのは止めてくれ。

610 :吾輩は名無しである:2006/09/01(金) 06:00:25
>>609
あほ

611 :吾輩は名無しである:2006/09/01(金) 08:32:19
俳句、盆栽、ゲートボール

612 :吾輩は名無しである:2006/09/01(金) 08:58:31
>>606
妄想乙

613 :吾輩は名無しである:2006/09/01(金) 17:29:58
しつもんしつもーん。これから出かけるので、
明日きいてもいいですか?

614 :吾輩は名無しである:2006/09/01(金) 18:13:36
>>606
小中学生の感想文とどこが違うのか。

615 :通りすがりの966:2006/09/01(金) 22:10:13
>>609
ありがとう。

でも、この人は放って置いてあげましょう。


616 :通りすがりの966:2006/09/01(金) 22:12:40
夏のおわりを詠んだ名詩歌。その4。

立原道造の作。
拾遺詩篇に収められた「夏の旅」と題する長詩の6番目のパート。


「VI 夏の死」

夏は慌しく遠く立ち去つた
また新しい旅に


私らはのこりすくない日数をかぞへ
火の山にかかる雲・霧を眺め
うすら寒い宿の部屋にいた それも多くは
何気ない草花の物語や町の人たちの噂に時をすごして


或る霧雨の日に私は停車場にその人を見送つた
村の入口では つめたい風に細かい落葉松が落葉していた しきりなしに
・・・・・部屋数のあまつた宿に 私ひとりが所在ないあかりの下に その夜から いつも便りを書いていた


617 :吾輩は名無しである:2006/09/02(土) 12:46:34
>>616
歌人俳人よ、この詩を短歌俳句のように「解釈」「鑑賞」してくれや。

618 :吾輩は名無しである:2006/09/03(日) 09:15:07
>>617
やだね。

619 :吾輩は名無しである:2006/09/03(日) 13:59:47
>>618
wwww

620 :吾輩は名無しである:2006/09/03(日) 17:21:57
>617
ぼくたちには先生が出す問題はむずかしすぎます。

そろそろタンカ侍に帰るけど、いいかな?

621 :吾輩は名無しである:2006/09/03(日) 18:50:22
>>620
この世から消えなさい。

622 :吾輩は名無しである:2006/09/03(日) 22:53:27
617は藁われてるのに気付かない厨房でしたw

623 :吾輩は名無しである:2006/09/04(月) 03:32:45
夕されば われは千鳥にあらねども 情悲しも サラダ記念日

624 :吾輩は名無しである:2006/09/04(月) 09:39:18
>>623
創作板にいけ

625 :吾輩は名無しである:2006/09/04(月) 10:22:50
>>623
この世から消えろ

626 :吾輩は名無しである:2006/09/04(月) 10:37:18
短歌はこの世から消えなさい。


627 :吾輩は名無しである:2006/09/04(月) 10:38:42
>>625
ワロタ

628 :吾輩は名無しである:2006/09/04(月) 19:11:57
面白いよ。読んでごらん。
http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_060904.html

629 :吾輩は名無しである:2006/09/04(月) 22:43:37
>>628
口語短歌
http://www.weblio.jp/content/%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E7%9F%AD%E6%AD%8C

630 :吾輩は名無しである:2006/09/04(月) 22:52:41
塚本邦雄
高橋睦郎

631 :吾輩は名無しである:2006/09/05(火) 12:57:19
◆◆ タンカ侍でござる!(その7)◆◆
http://game9.2ch.net/test/read.cgi/tanka/1154188999/612

612 名前:詠み人知らず[sage] 投稿日:2006/09/04(月) 21:54:43
て言うか高校教師なんてDQNが多いことのいい証拠だよね
あれは批判じゃなくて単に愚弄してるだけだ

二人で交代で書いてる批評欄で
必然性もなくわざわざ吉川の関係部分を引っ張ってきて
その表現を「グロテスク以外の何ものでもない」など
世間常識を弁えた社会人では絶対にありえない言動だ
ちゃんとした批判になってればまだいいが
どう読んでも露骨に嫌悪感を漂わせて感情をぶちまけているだけだ

以前から、大辻というのは何か生意気でいきがってる青二才という
印象があったが
とんでもない思い上がり野郎だな

黒田のおじさんはこれについて何か言うだろうか。是非感想が聞きたいところなんだが。

青磁社には抗議入れておいた方がいいかもな

E-mail: seijisya@osk3.3web.ne.jp

632 :吾輩は名無しである:2006/09/05(火) 13:01:01
620 名前:詠み人知らず[sage] 投稿日:2006/09/05(火) 00:12:53
↓大辻さんとこに来たこのジジイ誰?

青磁社HPにおける貴殿のエッセイについて 投稿者:西園寺龍之信 投稿日: 9月 4日(月)23時29分45秒

 余所で話題に上っていることを耳に致しました故、青磁社HPの貴殿のエッセイを拝読させていただきました。

 貴殿の主張の論旨は理解できるのですが、批評としての詰めが少々甘いように感じられました。特に、
貴殿と週替わりで執筆されている吉川氏の作品中の表現に対して「グロテスク以外の何ものでもない」と
指摘されている件につきましては、正直違和感を覚えました。あそこへ掲示されている文章は、貴殿の私
的なブログというような積りで読んでいた訳ではなかったものですから、かなり面食らいました。

 聞くところによりますと、貴殿は青少年を預かって社会や最高学府へと送り出す教育に携わる者である
由ですが、この狭い世の中で縁あって同じ仕事に携わることとなった同胞に対して、凡そ正当なる批判の
範疇を超えた個人的な感想に過ぎない言辞を臆面もなく披瀝されているあたり、これが健全なる青少年の
育成に携わるべき良識ある成人の言と受け取ることは全く叶いませんでした。

 他の知音からも「あれはいただけない。大人気ない」等々の言を耳に致しましたので、貴殿の今後の御仕
事のご参考までにと、一筆啓上仕らせていただいた次第であります。言葉の乱れを云々する以前に、まず
心の姿勢が大切であることを若い世代の方々に肝に銘じていただきたく、唐突に差出がましい苦言を呈して
しまいましたが、悪しからず平に御容赦被下度御願申上候。



http://6060.teacup.com/otsuji/bbs

633 :吾輩は名無しである:2006/09/05(火) 13:02:28
西園寺龍之信さま 投稿者:大辻隆弘 投稿日: 9月 4日(月)23時43分36秒
つたない文章をお読みいただき、
また
貴重なご意見をいただき恐縮しております。

ありがとうございます。

なお、
「グロテスク云々」は、あくまで、あの歌の表現について
述べているのであって、
吉川さんの作品の総体、または、吉川さん個人の人格などについて
述べたものではございません。

その点、ご理解賜れば、と存じます。



http://6060.teacup.com/otsuji/bbs

634 :通りすがりの966:2006/09/05(火) 23:03:03
夏のおわりを詠んだ名詩歌。その5。



火の山の裾に夏帽振る別れ 高浜虚子


635 :通りすがりの966:2006/09/05(火) 23:05:11

この句は厳密に言うと「夏のおわり」を詠んだ作品ではない
かもしれない。「火の山」のイメージからすれば、盛夏の方が
ふさわしいと言えそうだ。
しかし、「わかれ」のイメージを広く取ると、夏帽をふって
別れるのは人だけではなく、旅に別れを告げる、夏という季節に
別れを告げることまで含めてもいいような気がする。いずれにしろ
優れた句なので挙げておきます。


636 :通りすがりの966:2006/09/05(火) 23:09:42
夏のおわりを詠んだ名詩歌。その6。



晩夏光バットの函に詩を誌す 中村草田男

(ばんかこう バットのはこにしをしるす)


637 :通りすがりの966:2006/09/05(火) 23:12:16

バットはタバコの一銘柄。
最近はタバコをたしなむ人も減りつつある。この句の詩味もひょっとすると
わかりにくくなるのだろうか。


638 :吾輩は名無しである:2006/09/06(水) 07:27:06
くだらん

639 :吾輩は名無しである:2006/09/06(水) 07:46:09
新生、一回一服してみたかった。

640 :吾輩は名無しである:2006/09/06(水) 08:05:15
じゃあ代わりに藤村の…。

641 :通りすがりの966:2006/09/06(水) 22:20:41
そういえば「新生」というタバコもありましたね。

しかし、「晩夏光新生の函に詩を誌す」ではやはり句が台無し。
(といっても自分もバットというタバコ銘柄のイメージが充分掴めている
わけではありませんが)

イメージの問題は別として、この句が「バット」でなければならないのは、
改めて気づいたんですが、音韻上の効果ですね。

晩夏光のば、バットのバ、函のはで韻を踏んだ結果となり、また、
詩を誌すもそうです。晩夏光のこ、函のこも。
こういう場合ローマ字で書いてみるのが詩歌解釈・鑑賞上よく使われる手。

bankakou battono hakoni shioshirusu

母音の a 、o、i、子音の k 、n、s がそれぞれ微妙に組み合わされた
結果となっている様子がよくわかる。
このへんをどれだけ作者が意識したのか、それとも無意識になったものなのか
は判断できないけれども、名詩歌というものは一見無造作に見えて実は
このように音韻上巧妙な作りとなっている場合が多い。


642 :通りすがりの966:2006/09/06(水) 22:23:15
>>605 (>>606で解説) で紹介した寺山修司の短歌に添えるとちょうど
いいようなAAを2ちゃん内で見つけたので貼っておきます。



    ─=ニ二__   ̄ ̄ ̄
                      ̄ ̄ ̄"""'''''''''──
__
    ̄ ̄ ̄二二ニ=-                         
           -=ニニニニ=- 

                       
                     
                                            
                         ∧∧   _,,-''"
                       _  ,(ュ゚ /^),-''";  ;, '          
                      / ,_O_,,-''"'; ', :' ;; ;, ''
                     (.゙ー'''", ;,; ' ; ;;  ':  ,  '
                   _,,-','", ;: ' ; :, ': ,:    :'
                _,,-','", ;: ' ; :, ': ,:    :'


643 :通りすがりの966:2006/09/10(日) 17:20:03
夏のおわりを詠んだ名詩歌。その7。



遠き日の百足色なす晩夏かな 飯田龍太

(とおきひの むかでいろなすばんかかな)


644 :通りすがりの966:2006/09/10(日) 17:22:01

過去は「セピア色」と形容するのが定番。「セピア色の写真」〜などと
広告コピー等でよく使われる。
それを百足(むかで)色と表現するのは意表をつく思いきったレトリックだが、
それでいて句全体は落ち着いたおもむきを呈する。至芸である。


645 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 16:57:44
思い出の映像といえば単色で表されるものだ、という前提が
当たり前に共有されていないとわかりにくい。

646 :吾輩は名無しである:2006/09/12(火) 18:31:31
たのむからムカデはやめてくれ。

647 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 00:17:15
結局は日本語でいかした脚韻ふめないの?

648 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 09:56:26
この人達にききましょう。
http://www.weblio.jp/content/%E8%84%9A%E9%9F%BB%E8%A9%A9

649 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 10:51:28
>647
詩の本質とは関係ないことだからがんばってふんだりしなくてもいい
未開拓の分野だから功名を立てられると勘違いした馬鹿=歌人の一部
が挑戦するがどうしようもなくダサイ

650 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 13:22:44
葡萄踏むのも口噛み酒も。

昔の人も結構フェチだったんだなあw

651 :通りすがりの966:2006/09/15(金) 21:16:42
>>647
単発的な、短いものならなんとかなるでしょうが、長いものはやはり
難しいでしょう。日本語の性質からいってどうしても無理が生じるようです。

韻を使って長い作品を作るとどうしても不自然なもの、わざとらしいもの
、ときに滑稽なものにさえなります。

英語、フランス語、ドイツ語、中国語等と比較して日本語はその点不利な言語です。


652 :吾輩は名無しである:2006/09/15(金) 22:50:39
>>649
ひどい悪文だな。
韻を踏むのがダサイのか
発表された脚韻詩がダサイのかどちらだ?


653 :吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 13:16:03
夏のおわりを詠んだ名詩歌。その8。

花もてる夏樹の上をああ「時」がじいんじいんと過ぎてゆくなり  香川進
(はなもてるなつきのうえをああときがじいんじいんとすぎてゆくなり)

 季節は盛夏ですいませんが好きな歌なので
 おそらくお盆の頃のサルスベリを詠んだもの
 作者は昭和の歌壇の田中角栄。黒幕ね

654 :通りすがりの966:2006/09/20(水) 23:02:25
>>653氏が「夏のおわりを詠んだ名詩歌」の「その8」を書いてくれた
けれども、自分の方はそろそろこのシリーズをおわりにしようと思う。
最後に夏の旅をふりかえった詩をひとつ。

中原中也の、前回に出したものと同様、これも未刊詩篇に分類される
一篇で、知っている人はあまりいないだろうと思う。
名詩として喧伝するほどの作品ではないけれど。


655 :通りすがりの966:2006/09/20(水) 23:04:14

「夏の記憶」

温泉町のほの暗い町を、
僕は歩いていた、ひどく俯いて。
三味線の音や、女達の声や、
走馬燈が目に残つている。


其処は直ぐそばに海もあるので、
夏の賑ひは甚だしいものだつた。
銃器を掃除したボロギレの親しさを、
汚れた襟に吹く、風の印象を受けた。


闇の夜は、海邊に出て、重油のやうな思ひをしていた。
太つちよの、船頭の女房は、かねぶんのやうな声をしていた。
最初の晩は町中歩いて、歯ブラッシを買つて、
宿に帰つた。 ----- 暗い電気の下で寝た。


656 :通りすがりの966:2006/09/20(水) 23:06:41

念のため注を。
・俯いて(うつむいて)
・走馬燈(まわりどうろう)
・其処(そこ)
・賑ひ(にぎわい)
・襟(えり)
・海邊(うなばた) = 海辺、海岸

古きよき時代の若者のひとり旅である。
この詩のなにげない孤独は心に沁みる。
今の若い人は果たしてこういう旅をするだろうか。


657 :吾輩は名無しである:2006/09/23(土) 18:25:28
結社ひとり、更新されました
http://blog.livedoor.jp/beresit/archives/50632267.html

658 :通りすがりの966:2006/09/25(月) 23:40:19
秋の名詩歌シリーズ 序

さて、夏から秋への季節の移り変わりが詠まれた詩といえば、
最も有名なものはこれ。


やがておれたちは冷たい深淵のうちに沈むだろう!
おわかれだ、あまりにも短かかった夏の日の烈しい光!
もうすでにおれには聞える、中庭の敷石に、
不吉なひびきを立てて薪の枝の落ちる音が。

(中略)

この単調な物音に揺られていると、どこかで誰かが、
大急ぎで、棺に釘を打ちつけてでもいるかのようだ。
誰のためだろう?――昨日は夏だった、ところがもう秋!

(略)


ご存知、ボードレールの「秋の歌」です。(粟津則雄訳)


659 :通りすがりの966:2006/09/25(月) 23:45:31

「あまりにも短かかった夏の日の烈しい光!」

夏はいつも「暑くて長い夏」のように感じられるのに、さて
終わってみると必ず「あっという間だった」という思いにとらわれる。
そしてまた、秋の到来は常に不意打ち的であるように思われる。
上のボードレールの詩が日本人の心に沁みいるごとく実感されるのは、すでに

秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる (古今和歌集)

の歌を持つ日本の自然とフランスの自然の間にかなりの親近性が
あるからかもしれない。秋は人を驚かすかたちでやって来るのである。

ランボーのあの忘れ難い

もう秋か・・・

という詩句が身を切るような痛切さで迫ってくるのも同様の事情だろう。
イギリスの詩でこういう感覚を呼び起こしてくれるような詩はないように思う。


660 :通りすがりの966:2006/09/26(火) 23:30:33
秋の名詩歌シリーズ その1
前に挙げたボードレールの「秋の歌」に出てくる、感覚的に
人の心に突き刺さるような「薪の枝の落ちる音」、「棺に釘を
打ちつけてでもいるかのよう」な音と「秋」の組み合わせで
つい連想してしまうのは次の句である。



秋の江に打ち込む杭の響かな 夏目漱石

(あきのえにうちこむくいのひびきかな)


澄み渡った秋空と入り江に杭を打ち込む音が高く響き渡る。
ボードレールの「秋の歌」の凄絶な「宿命」の響きはない
けれども、これはこれで非の打ち所のない名句である。


661 :吾輩は名無しである:2006/09/27(水) 11:44:59
>658
一般教養の語学の先生が粟津則雄だった。あ・べ・せ・で、はい一緒に!
とちいちいぱっぱで教えてくれるこの人がえらい文学者だということを
知っていたのはクラスでおれだけだった。

662 :吾輩は名無しである:2006/09/27(水) 12:17:26
現代史の大半がクソ。
なんであんなになっちゃったの?

663 :吾輩は名無しである:2006/09/28(木) 19:35:48
キキダダマママキキって何

664 :吾輩は名無しである:2006/09/28(木) 21:23:33
>>663
その名前をきちんと書けるおまえって何

665 :通りすがりの966:2006/09/28(木) 23:23:22
>>661
>一般教養の語学の先生が粟津則雄

うーむ。なんて贅沢な・・・

666 :通りすがりの966:2006/09/28(木) 23:25:14
秋の名詩歌シリーズ その2

秋の到来を告げる花といえば曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。別名、
彼岸花(ヒガンバナ)である。あの毒々しいともいえるほどの赤い花冠を
まっすぐな茎にのせた花は、植物の名にうとい自分でも確実に見分けがつく。


「曼珠沙華」

静かに蜂がとぶ ゆっくり 落ちついて 足を垂れて 葉うらを 梢を
見まはりのお巡りさん さながらにそれはこちらへ帰つてくる
何をたづねて
秋だなと思ふ かの暑熱はどこへいつたか 短かい夏よ
水のほとりに 曼珠沙華が咲いている
湧き水のほとり池のほとり野川のほとり
堤防に藪かげに乾いた墓地に
六呂師の土饅頭に 土饅頭を燃えたたせてそれらの窪みにてつぺんに
帰らぬ日 遠い昔
いわけない少年の日の 記憶の深淵その暗い内臓その細かな脈管
それはもうこちらの側に手がかりもなく聳える城壁
城壁の向ふの 日あたりの寂しい庭にその花は咲いている
ああそれが私の苦がい予感であつた さうして私の過去 人生
窓さきを 蜂はゆつくり落ちついて 足を垂れて さて静かに空にあがる
秋だなと思ふ
曼珠沙華の 彼岸花 手腐れ花の 墓地の花よ
いまは二重の透影に まつ赤に燃えて咲いている


667 :通りすがりの966:2006/09/28(木) 23:29:42

三好達治の作。
「かの暑熱はどこへいつたか 短かい夏よ」は、「巴里の憂鬱」を
訳した達治のことだから当然前に述べたボードレールの「秋の歌」中の詩句
「あまりにも短かかった夏の日の烈しい光! 」を意識している。
だからどうだというわけではないけれど・・・


668 :吾輩は名無しである:2006/10/01(日) 15:41:44
過去の重みを味わう瞬間に、人生はその人固有の豊かな深みをみせるのだトオモ
この詩では、その深みの色は曼珠沙華の赤。

669 :通りすがりの966:2006/10/11(水) 22:39:59
秋の名詩歌シリーズ その3
特に秋の季節感を正面から取り扱った作品ではないけれど。


「殺人事件」 萩原朔太郎

とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃(はり)の衣装をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれている、
かなしい女の屍体のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いている。

しもつき上旬(はじめ)のある朝、
探偵は玻璃の衣装をきて、
街の十字巷路(よつつじ)を曲つた。
十字巷路に秋のふんすい、
はやひとり探偵はうれひをかんず。

みよ、遠いさびしい大理石の歩道を
曲者(くせもの)はいつさんにすべつてゆく。



・玻璃 = ガラス
・屍体 = 死体
・しもつき = 霜月。陰暦11月。

670 :通りすがりの966:2006/10/11(水) 22:43:17

晶玉の床、玻璃(はり)の衣装、真っ青の血、つめたいきりぎりす、
秋の噴水、大理石の歩道、などなど、いずれも秋の冴え冴えした
感触を伝える。

詩全体は一見ありえなさそうな世界を短い行数で表現しているにも
かかわらずこの詩の世界の実在性はゆるぎがない。
言語の完璧といえるほどの人工美は、はるかに時空を超えて
新古今和歌集の域に迫っている。

近代の詩人中、これほどの高さに到達した詩人は朔太郎の他に
ほとんど見出すことができない。


671 :吾輩は名無しである:2006/10/14(土) 00:18:48
>>669
これ面白いね。朔太郎読んでみよ

672 :吾輩は名無しである:2006/10/14(土) 07:05:48
結社ひとり更新されました
http://blog.livedoor.jp/beresit/archives/50648816.html
http://hitoribotti.srv7.biz

>>670
新古今好きか。話せるじゃん。

673 :通りすがりの966:2006/10/14(土) 23:03:36
>>671
「まだ読んでなかったんかいっ」
、とツッコムのはやめておきましょう。

「まだ〜を読むという楽しみが人生に残っているあなたが
うらやましい」というのがこんな場合の定番表現。
〜の部分を「朔太郎」に替えて送ります(笑)。

674 :通りすがりの966:2006/10/14(土) 23:05:41
>>670
詩歌を好きで読んでて、新古今を嫌いになるのは難しい。


675 :通りすがりの966:2006/10/14(土) 23:07:39
秋の名詩歌シリーズ その4


秋の航一大紺円盤の中 中村草田男


(あきのこう いちだいこんえんばんのなか)


676 :通りすがりの966:2006/10/14(土) 23:10:31

すがすがしい秋の青空のもと、海もさえざえと広がっている。
広い海原を「一大紺円盤」と表現したところがすばらしい。

大きな景観を一挙に把握する比喩の使い方は、例えば、与謝蕪村や
高浜虚子の得意とするところだった。


稲妻の一網打つや伊勢の海 与謝蕪村

(いなずまの ひとあみうつや いせのうみ)


天地のあいだにほろと時雨かな 高浜虚子

(あまつちのあいだにほろとしぐれかな)


短い五七五の詩形のなかに雄大な景色を収めてしまう驚きは俳句を
読む楽しみのひとつである。


677 :吾輩は名無しである:2006/10/14(土) 23:32:15
>>674
短歌好きで新古今好きは珍しい。

678 :吾輩は名無しである:2006/10/15(日) 07:34:37
>>676
蕪村のはいいけど虚子のはさっぱりだめだ。

679 :吾輩は名無しである:2006/10/15(日) 11:31:30
月にほえろ!

680 :通りすがりの966:2006/10/15(日) 23:27:21
おぎやあ、おぎやあ、おわああ


681 :通りすがりの966:2006/10/15(日) 23:30:15
>>677
そんなものですか。


682 :通りすがりの966:2006/10/15(日) 23:32:20
秋の名詩歌シリーズ その5


地と水と人をわかちて秋日澄む 飯田蛇笏



前述の、大観を一挙に把握する俳句の面白さもあるけれども、
これはその雄大さよりもむしろ句の格調の高さの点で心に残る。

飯田蛇笏は近代俳人中、格調の高い句を作ることにかけては
随一の存在だった。


683 :吾輩は名無しである:2006/10/16(月) 06:24:59
>>681
そんなものです

684 :通りすがりの966:2006/10/16(月) 23:04:05
秋の名詩歌シリーズ その6


廃運河水澄む秋をやゝ澄めり 水原秋桜子


(はいうんが みずすむあきを ややすめり)


685 :通りすがりの966:2006/10/16(月) 23:06:37

前述の蛇笏の句にもあるように、秋は水が澄んで冴え冴えとした
イメージが強い。
今は廃れた運河の水も、季節は秋を迎え、常よりも澄んで感じられるが、
運河なので清流の澄み具合というわけにはいかない。それを「やや澄めり」
と表現したところがこの句の面白み。
都会の片隅の今は人に忘れられた運河のほとりにたたずんで作者は
しみじみと秋を感じている。


686 :通りすがりの966:2006/10/19(木) 23:05:18
秋の名詩歌シリーズ その7


十棹とはあらぬ渡しや水の秋 松本たかし


(とさおとは あらぬわたしや みずのあき)


687 :通りすがりの966:2006/10/19(木) 23:12:52

前に格調の高さという点では飯田蛇笏氏が近代俳人中、随一と書いた。
その蛇笏氏に迫るのはこの句の作者、松本たかし氏だと思う。
すでに何度か取り上げたけれども、句のいわば「立ち姿」が非常に美しい
作品をつくる俳人だ。



688 :吾輩は名無しである:2006/10/22(日) 10:19:34
俳句好きで新古今好きになることは難しい

689 :吾輩は名無しである:2006/10/23(月) 10:22:41
芭蕉好きならともかく。

690 :吾輩は名無しである:2006/10/23(月) 12:05:34
>>689
芭蕉は俳諧師だ。俳句の祖ではない。

691 :通りすがりの966:2006/10/31(火) 23:31:06
秋の名詩歌シリーズ その8


はたはたと黍(きび)の葉鳴れる
ふるさとの軒端なつかし
秋風吹けば


石川啄木


692 :通りすがりの966:2006/10/31(火) 23:32:25

これはあまりに教科書的名歌だから、もうひとつあまり知られてない
ようなやつを。


岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる虫を何と聴くらむ



693 :通りすがりの966:2006/11/06(月) 23:03:06
秋の名詩歌シリーズ その9



木曽川の今こそ光れ渡り鳥 高浜虚子



694 :通りすがりの966:2006/11/06(月) 23:05:46

山々の谷深く、木曽川が細く長く流れている。
日の光が川面に反射し、細い白い筋となって浮かび上がり、空を渡る鳥が
それによってあやまたず進路を決めて進められればよい、というような意
だろうか。
細かい解釈は別としていずれにしても爽快な名句。
前にふれたけれども、これもまた虚子の壮大な空間把握力があればこその
句だ。


695 :通りすがりの966:2006/11/10(金) 23:23:47
書評誌「本の雑誌」10月号をパラパラ覗いてみたら、歌人の穂村弘氏が
面白いことを書いている。
自分はプロの歌人だが、現代の短歌を読んで自分が理解できるのは
大体60パーセントぐらいだ、と。俳句になると25パーセントの理解度。
現代詩に至っては10パーセントだと言う。

昔から現代詩の難解さは有名で、室生犀星や井上靖氏(ちなみに
井上氏には優れた散文詩集がある)、高見順氏その他いろんな文学者が
口にしている。

それにしても10パーセントしかわからないとは勇気ある発言だ。


696 :吾輩は名無しである:2006/11/13(月) 17:23:46
現代詩がさっぱり分からんって公言する文学者や知識人は、洋の東西を問わず多いよ。

697 :吾輩は名無しである:2006/11/15(水) 10:39:28
現代詩かあ。。。
なんか敷き居が高そうで、手を出した事ないなあ

698 :吾輩は名無しである:2006/11/15(水) 22:07:47
上田敏の岩波ワイド版の本って、旧字なのかな。

699 :吾輩は名無しである:2006/11/18(土) 17:58:09
波郷の直筆15句 初公開
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news001.htm

700 :吾輩は名無しである:2006/11/22(水) 23:06:16
先日出版されたこの短歌集変わってて、面白いと思うけど。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4779000963/ref=pd_rvi_gw_1/503-4519800-8148754



701 :吾輩は名無しである:2006/11/23(木) 00:11:48
尾崎放哉読み始めた。
久しぶりに本物に出会ったって感じ。
「鉦たたき」の随筆は魂が揺さぶられる。
しかし怖い俳人(というよりは詩人といったほうがいいと思うが)ではある。

702 :吾輩は名無しである:2006/11/26(日) 06:07:17
第11回若山牧水賞 俵、坂井両氏がダブル受賞
http://www.sankei.co.jp/news/061121/bun003.htm

703 :吾輩は名無しである:2006/11/26(日) 18:19:22
>>696
そうなのだろうが、エズラ・パウンドとジョイスみたいな例もあるからな...

704 :吾輩は名無しである:2006/11/26(日) 23:15:26
>>702
飯島耕一の本歌取りなのか?

705 :吾輩は名無しである:2006/12/04(月) 01:20:20
>>695
定家の頃からそんな感じじゃん。

706 :吾輩は名無しである:2006/12/04(月) 12:32:27
王朝和歌の場合は「飛鳥川」で「無常」だとか
「花橘」で「昔の恋人の思い出」とか
「淡雪」で「相手のつれなさ」を表すとか一種の暗号みたいなもんだろう。

707 :吾輩は名無しである:2006/12/04(月) 12:40:03
「淡雪」で「相手のつれなさ」は言い過ぎたかな?
まあありえない発想ではないだろうが...

708 :吾輩は名無しである:2006/12/04(月) 20:26:18
加藤治郎の歌の「ぼくたちは勝手に育ったさ制服にセメントの粉こすりつけながら」の歌意わかるかないませんか??

709 :吾輩は名無しである:2006/12/04(月) 20:32:30


女子供のお遊びフォーーーーー!!!!






710 :吾輩は名無しである:2006/12/04(月) 20:50:46
オオオ〜この懐かし感w

711 :通りすがりの966:2006/12/05(火) 23:47:56
>>705
もう少しきちんと文意を述べてもらいたい。


712 :通りすがりの966:2006/12/05(火) 23:49:03
>>701
尾崎放哉はあんまりよく知らないな。
「怖い」俳人というのはどういう意味ですか?


713 :吾輩は名無しである:2006/12/10(日) 04:10:59
西東三鬼と高柳重信が好き。

714 :吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 16:14:43
>>712
俳句の人ってわりと収まってる人多いでしょ。けっこう長生きだし。
放哉は破滅型の無季自由律の俳人。エリートサラリーマンから転落して
最後は小豆島の庵で骨と皮だけになって死んだ。
 咳をしても一人
 一日物云わず蝶の影さす
 口あけぬ蜆死んでゐる
 うつろの心に眼が二つあいてゐる
 墓のうらに廻る
 春の山のうしろから烟がでだした ←死の直前の句
など。
とてつもない虚無と死を凝視している眼を感じて怖くなる。
興味あったら読んでみて。

715 :通りすがりの966:2006/12/18(月) 23:12:08
>>714
なるほど。了解しました。

前から興味は持ってたんだけど積読状態の本が多くてなかなか
たどりつけない(笑)。


716 :通りすがりの966:2006/12/18(月) 23:16:37
冬の名詩歌シリーズ

ついでに、ちょっと前のレスで名前の挙がっている石田波郷の句をひとつ。



風雲の少しく遊ぶ冬至かな

(かぜくものすこしくあそぶとうじかな)


717 :通りすがりの966:2006/12/18(月) 23:18:12

波郷も近代日本の代表的な俳人。これまでこのスレで句が出ていないのは
まったくの偶然にすぎない。
これは冬至の冬晴れの日を詠んだ句。
晴れ渡った日で、風はほとんどない。したがって雲の動きも緩慢である。
そういう冬至の頃によくある天気をさらりと詠んだ秀句である。
酷寒というほどの寒さではないから気持ちにまだゆとりがある。しかし、
年の瀬を間近にひかえているせいか、どことなく淋しさが漂っている。


718 :通りすがりの966:2006/12/18(月) 23:32:51
冬の名詩歌シリーズ 続き

もうひとつ、前のレスで名前の挙がっている西東三鬼の句を。
この人はやや異色の俳人だ。


水枕ガバリと寒い海がある

(みずまくら ガバリとさむいうみがある)


719 :吾輩は名無しである:2006/12/28(木) 15:04:12
前ここに載ってた、中村草田男だったっけ。
バットの箱に詩を書くみたいな句、また載せて。

720 :通りすがりの966:2006/12/28(木) 23:42:36
「バットの箱に詩を書くみたいな句」といわれても・・・・・
それが一体どういう意味、ニュアンスのことを指しているのか。
詩の受け取り方は人によって微妙に違うから、そしてその微妙な違いは
決定的な違いと言ってもいいだろうから、そう言われても難しい・・・・・


721 :通りすがりの966:2006/12/29(金) 00:58:19
それにしてもこのスレを立ててから一年になるわけだ。
飯田龍太氏の

クリスマス指うつくしき囚徒おり

の句から始めたのだった。
多少の感慨なきにしもあらず、である。


722 :吾輩は名無しである:2006/12/30(土) 02:09:50
晩夏光バットの函に詩を誌す

723 :吾輩は名無しである:2006/12/30(土) 18:47:14
>>722
あ、それそれ。蟻が父さん。
晩夏光のbaの音とバットのbaの音が呼応していい句だと思った。
煙草のバットなんだろうけど、安い煙草なんだよね。そういうポケット
に入っていそうなありふれた煙草の箱にたまたま頭に浮かんだ詩を記す。
面白い句だと思って気になってたんだ。

724 :吾輩は名無しである:2007/01/08(月) 21:26:36
秋元不死夫

明日ありやあり外套のボロちぎる

三段切れ。今の俺に刺さる句だ。

725 :吾輩は名無しである:2007/01/09(火) 14:16:25
秋元不死男だ。

>明日ありやあり外套のボロちぎる

これどこが三段切れなの?



726 :吾輩は名無しである:2007/01/09(火) 21:03:51
明日ありや      …自問
あり         …自答
外套のボロちぎる   …季語(外套)と描写



727 :吾輩は名無しである:2007/01/15(月) 23:11:46
千葉日報は新年早々やってくれました。
お屠蘇で酩酊しながらの執筆だったのでしょうか?
一茶のおらが春の名句をあげて一休の骸骨杖の逸話を一茶がしたことと紹介・・・
一茶が冥土の旅の一里塚の意味であの句を詠んだと書いていた。
千葉日報はもう2chより先にさっさと廃刊したほうがいい。

728 :吾輩は名無しである:2007/01/16(火) 16:00:26
>>726
ありがとう。自問と自答でそれぞれ切れるのか。「明日ありやあり」で切れるのかと思ってた。切れってなんだろう・・・

729 :吾輩は名無しである:2007/01/16(火) 18:21:06
私が考えるに、切れとは、
詠み手が決めるようでいて、
実は読み手が決める、意味の飛躍点ではないか。

たとえば私>>726のように切れば、
自問と自答としての、
 句の主体(詠み手とは限らない。物語で言えば主人公)の心の変遷の瞬間として読める。
しかしあなた>>728のように切れば、
 「ありやあり」は、明日はあるものだよというふうに、諦念の軽みとして読める。

や・かななどの固定化した切れ字ですら、
切れ字として機能しない、と読むことすら可能になっているのだし。
(たとえばサイレントの問題もそう)。
 ※サイレント。
 書いてあるが、意味として読み込まない部分。
 音をそろえるために書いてある部分。漢詩でいう置字。
 多くは句末のや・かな。

730 :吾輩は名無しである:2007/01/16(火) 20:24:06
百鶏を放てる神や落椿   飯田蛇笏

鶏恐怖症の私は、山茶花の生垣を見ると、鶏の頭がいっぱい並んでるようで
気持ちが悪い。人に話すと変な顔をされる。
でも、蛇笏のこの句を見たら、椿の花が鶏に見える人が私以外にもいること
が分かって嬉しくなった。

731 :通りすがりの966:2007/01/21(日) 00:08:15
>>719-720>>722-723

なんだ、草田男の句をそのままもう一度載せてくれ、という意味だったのか。
過去ログを読み返せばいいだけのことだから、まさかそんな単純な意味だとは
思わなかった。
やれやれ・・・・・


732 :通りすがりの966:2007/01/21(日) 00:11:15
秋元不死男といえば、
この人もちょっと前に出てきた西東三鬼と同様、やや異色の俳人だ。
せっかくだから似た趣向の句をもうひとつ。



莨火をかばふ埋立冬一色

(たばこびをかばう うめたて ふゆ いっしょく)


733 :通りすがりの966:2007/01/24(水) 00:08:07
>>732の補足
近代の俳人の中には、従来の「花鳥風月」あるいは「雪月花」を
あつかうにとどまらず、新しく登場する時代の風物も積極的に俳句に
取り込む人間もいた。

何度かすでに句を引用した山口誓子氏などがその代表だ。
上記の不死男氏の句なども近代産業の勃興しつつある都会のはずれの
埋立地が舞台となっている。

そしてもともと荒涼たる風景に新しい「詩情」を発見していくことになる。
都会の溝川、鉄道、機関車、埋立地、煙突、溶鉱炉などが詩の題材となる。
「風雅」とは対極にあると思われる殺風景なものが、優れた詩に詠まれる
ことによってその相貌を新たにするのである。


734 :通りすがりの966:2007/02/01(木) 00:26:38
そういえば、上記の不死男の句をあらためて読んで、寺山修司の有名な短歌を
思い出した。



マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや


この短歌の「詩情」もまた従来の短歌にはあまりなかったものではなかろうか。

(もっとも寺山修司の短歌といえばこればっかり挙げられるのはややうんざりする)


735 :吾輩は名無しである:2007/02/01(木) 00:53:32
とりわけ成立過程ね。もうイイっちゅーに。

にしてもつくづく馬鹿げた歌だよな。
よくもまあこれ程までに、
歌というものの醜さをただの一篇に凝縮することが出来たもんだ。
国を、(ましてやそれが人として当然の前提であるかの様に)
愛国心なるものを謳い上げる、意味ありげに。

救い様が無い。

736 :吾輩は名無しである:2007/02/01(木) 02:52:24
詩→中村稔
短歌→太田一郎
俳句→金子兜太

これだけ押さえておけばおk

737 :吾輩は名無しである:2007/02/01(木) 09:48:03
>>736
太田自演乙

738 :吾輩は名無しである:2007/02/01(木) 09:58:26
>>735
寺山修司のこの歌は愛国心なんて謳いあげてないよ。むしろ逆だ。
>身捨つるほどの祖国はありや
の「や」は反語で、あるだろうか、いや、ない、って意味で、身を捨てるほどの
祖国はないと言ってるんだよ。
だからサヨに持ち上げられるんじゃない?



739 :735:2007/02/01(木) 10:41:08
先ずは前提としてあの歌、愛国心「なるもの」、“祖国”のため“身捨つる”行為
それ自体を否定したり、疑念を挟んだりしている訳では無いでしょ。そういった
心情は寺山、「人として当然」のものとし、その上で、果たして我が“祖国”たる
現代ニッポンにそれだけの価値があるのだろうかと彼奴はこう、意味ありげに
「謳い上げている」。

俺にはそれ(カギカッコ内の部分)がキモくキモくてならないんだっつー意で
>>735を書いたんだけど、ちと書き方が拙かったかもしんないね。ゴメン。

740 :通りすがりの966:2007/02/02(金) 23:52:09
たしかにこの一首だけでの解釈だと、「身を捨てる祖国」の存在が
前提となっていて、そのうえでそれを否定しているように取れる。

でも、他の短歌も含めて考えると、寺山修二はそもそも「祖国」という
感覚自体が自分にはないのだと言っているように感じられるのだけど・・・


741 :通りすがりの966:2007/02/02(金) 23:55:03
>(もっとも寺山修司の短歌といえばこればっかり挙げられるのはややうんざりする)

こう書いたからには、別の短歌も挙げておこう。



海のない帆掛船ありわが内にわれの不在の銅鑼鳴りつづく

(うみのないほかけぶねあり わがうちに われのふざいのどらなりつづく)


742 :吾輩は名無しである:2007/02/03(土) 05:43:43
一緒じゃないですか?
ここでも「存在」は、「不在」を謳う自分の、
ただの道具立てにすぎない。
趣向はあっても、そこに知性はない。

743 :吾輩は名無しである:2007/02/03(土) 22:38:48
 ん? あなたのいう「知性」ってどういうもの?

744 :吾輩は名無しである:2007/02/04(日) 06:43:24
…「精力善用」なのかな(笑 端的に云えばだけど。
世界認識。罪悪感。畏れることを知り、許されたいと願うこころ。

もっとも「卑近」な例を挙げるなら、戦争というものをどう捉えるか。
少なくとも俺は、それを念頭に置かぬ全ての思考には何の意味もないと
考えている。
それが例え直接的な暴力であれまた、言論の力であれ、人が人を
動かすということは本当に怖ろしい。

745 :通りすがりの966:2007/02/05(月) 23:48:43
>>742
論旨がよくわからないなあ。


746 :通りすがりの966:2007/02/05(月) 23:55:17
>>741の短歌を手ががりに、>>740で書いた点を少し説明しておきます。

「海のない帆掛船ありわが内に」

海のない帆掛船とは一体どんな存在か?
海がなければそもそも船は浮かべない、どこにも出発することができない。
そして、
「わが内にわれの不在の銅鑼鳴りつづく」

自分は「不在」であって、自分の帰属する場所はどこにもない。

すなわち、あまりに単純な解釈、あまりに図式的な解釈であるけれども、
寺山修司には
海(故郷あるいは祖国を象徴する)
という自分を支える核となるイメージが己の内には存在しないようなのだ。

どこにも帰属する場所がない、荒涼とした心象風景が彼に残された歌うべき
イメージである。↓

747 :通りすがりの966:2007/02/05(月) 23:56:35
このような寺山の短歌に、やはり「どこにも帰属する場所を見出せない」との
思いを抱いている人間が非常に心ひかれるものを感じるのも無理はない。

というか、この感覚自体がある程度普遍的なものであり、また、ある世代には
特に強く感じられる共有の感覚であったかもしれない。
ひょっとするとエリオットの「荒地」に始まり、日本のいわゆる「戦後詩」の世代
に共通する心情のひとつはこういうものだったのではないかという気がするけど、
自分は「戦後詩」とそれ以降の現代詩にくわしくないのでわからない。残念。


748 :吾輩は名無しである:2007/02/07(水) 17:29:51
>>745
「無い」を謳う(嘆く)我のため、それ自体は決して深く抉られることのない
「在る」(とされるもの)を配置するという操作が同じだなあと。
あと知性云々の段については>>744を。もちろん私見ですが。

それと確かに、たとえば三好達治の『郷愁』なんかを持ち出すまでもなく、
海=母=故郷のイメージの重ね合わせ、よく使われるものではあるけれど。
でも作品の中でハッキリと明示はされていないものに顔貌を与えるより、
自分としてはいっそ、比喩ばかりのこの歌における唯一の実在、「われの不在」
そのものにこそ、鳴りつづく銅鑼を叩かせてやりたいな。
小林秀雄の「疾走するかなしみ」の様に。

749 :吾輩は名無しである:2007/02/07(水) 17:59:18
ツッコミ(笑)が入る前に開いて云うならばこの歌、
デラシネの嘆き節として読むより、不在、というよりは非在か、
それ自体がドコドコと銅鑼を叩き続けるイメージで捉えた方が
面白くはないですかという提案を、自分はしてみたというww

750 :吾輩は名無しである:2007/02/07(水) 21:54:10
そういう歌じゃないんですか?

751 :通りすがりの966:2007/02/09(金) 00:14:19
もう一度説明しておきます。

「〜身捨つるほどの祖国はありや」

は、くだくだしく解釈すると、
「世の中の人は(あるいは自分の周囲の人間)は、『祖国のために』だとか
『祖国のために身を投げ出す』だとか頻繁に口にするけれども、俺は
祖国という言葉に重みを感じることができない、「祖国」という言葉を聞いても
なにも心に響いて来ないのだ」

という風になるのではないかと自分は解釈した。(もちろんこの一首から
こういった解釈を導き出すことは問題がある点はすでにことわった通り。だから
別の短歌で補足した)

ここで「祖国」を当然視しているのは、だから、寺山修司自身ではなくて、
世の中の人(あるいは寺山修司の周囲の人間)なのである。


752 :通りすがりの966:2007/02/09(金) 00:17:58
「祖国」という言葉を使ったからといって、その言葉を使った本人が「祖国」を
肯定しているわけではない。

(念のため言っておくと、この議論で使用されている「肯定する」とは
「積極的な評価を与える」という意味のはず)


それから、ついでに言っておくと、「知性云々」がなぜ急に出て来るのかも
わからない。自分はもともと「知性」に関して何も言っていないのだ。

753 :吾輩は名無しである:2007/02/12(月) 01:28:54
寺山に、心底政治的な何かを歌いたかった心持ちはないよ。
谷山俊太郎に模して言えば、彼はかっこいい言葉を追っただけのただの子どもだ。
だからこそ、それは短歌として成立したんだ。
俳句にしても歌にしても、なんでもないことをかっこよく言うことができてしまう。
それが定型の魔力だ。

だから寺山の歌は、もっと素朴に読まれていい。
政治ではなく精神論でもなくましてデラシネの聖言としてでもなく。

754 :吾輩は名無しである:2007/02/12(月) 02:01:23
そうす。前半はまるっとどうい
だからこそ自分も、ああも憤っている。
ただのナショナリストなら馬鹿呼ばわりして終いだけど、寺山の場合はあれ、
単なる趣向、操作でしかないから。

やっちゃいけないこと、許されないことってのは確かにある。
謳うこと、物語ること。その結果として、人に、「機能してしまう」ことへの畏れ。

たとえばかつてこの国で、敗戦を跨いで活動した全ての表現者に
突き付けられたあの問題は、ただの一時の、「踏み絵」でしかなかったのか。

755 :吾輩は名無しである:2007/02/12(月) 22:24:10
>>754
 逆に「そういう捉え方しか出来ないのかよ」って意識も、わずかだけど
あるかもよ。
 「やっちゃいけないこと」なんて文学にあるんかよ、とか。

 まあ、今は逆にあの敗戦やそれに至る過程への反省を、古臭いだのいか
がわしいだのと言わんばかり論調が支配的になってしまったけど、当時は
まるで逆だったから。


756 :通りすがりの966:2007/02/13(火) 00:08:23
>>753
>寺山に、心底政治的な何かを歌いたかった心持ちはないよ。

これは私に言ったんじゃないですよね^^


>だから寺山の歌は、もっと素朴に読まれていい。
>政治ではなく精神論でもなくましてデラシネの聖言としてでもなく。

「素朴に読まれていい」とは、例えば上記二首の短歌をどう
読むわけですか。


757 :753:2007/02/16(金) 11:34:11
>これは私に言ったんじゃないですよね^^
うん、ちがうよ。
寺山にはそういうものはない、というただそれだけのこと。

>「素朴に読まれていい」とは
・マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

こっちは情景から読もう。
まるでマドロスさんの感傷のようなシチュエーションだ。
霧深い波止場で係船柱(ボラード)に片足のせて、パイプのたばこに火をつける。
そこで、のちの句を嘯く。
ただそれだけのこと。
「祖国とはなにか」とか「身を捨てるとはどういうことか」
というような過剰な意味を読み出すのは読者の勝手。



758 :753:2007/02/16(金) 11:34:45
・海のない帆掛船ありわが内にわれの不在の銅鑼鳴りつづく

 二句切れで歌がしまった。
 前半の「2つの不可能性」が読者を誘う。
 海がなければ船は進めない。風が吹いても帆の意味がない。
 不可能性は後半で音として形象化される。
 その形象化が歌を歌として機能させている。
 先の歌と同様「(われの)不在の銅鑼」とはなにかは、
 意味を見出すのは読者である。


両方とも読者の読みを操作するのが上手だ。
寺山の目指した虚構の歌というのは、
詠まれたシチュエーションを体験していないというレベルではなく、
シチュエーションこそが虚構だということだ。
どう読まれるかということそのものが、彼にとっての歌の骨頂だった。

もっともどちらもたいした歌じゃない。


759 :吾輩は名無しである:2007/02/16(金) 21:07:18
横からすみません。

細見綾子の句で

女身仏 春剥落の つづりをり

って句の意味をどなたか教えていただけませんか?

760 :吾輩は名無しである:2007/02/17(土) 03:26:51
細見綾子 女身仏に春剥落のつづきをり

だよね。引用は正確に。
これなら意味はそのまんま。

761 :吾輩は名無しである:2007/02/17(土) 21:01:33
寺山修司って奇行癖のある気持ちの悪い人ってイメージだったけど、
林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき
便所より青空見えて啄木忌
などの句を読んだら、いい句作ってるんだなあと見直した。
でも、便所よりは、尾崎放哉に、便所の落書きが秋になっている という句がある
ので、この句にヒントを得たのかもしれない。

762 :通りすがりの966:2007/02/18(日) 00:10:13
>>757>>758
>「祖国とはなにか」とか「身を捨てるとはどういうことか」 というような
>過剰な意味を読み出すのは読者の勝手。

うーむ。しかし、そういう言葉が使用されている以上は、この短歌一首から
>>735氏やそれに対する反論の>>738氏のような読みが出て来るのは無理もない
と思う。
ただ、寺山の短歌集一冊を読んだ上ではそういう解は無理ではないかというのが
自分の感想で、別の短歌を引き合いに出して補強したわけだけれども。

寺山の短歌の「シチュエーションこそが虚構」という>>753氏の読み方は
まったく「素朴な」読み方ではない(笑)。

しかし、自分の書いた寺山の何かの「不在感」あるいは「喪失感」は案外
根の浅いものではないかという気は確かにする。
(例えば三島由紀夫にとって「現実との接触感の不在」は三島を一生苦しめた
感覚であり、それが三島の生涯の文学的テーマだった。が、寺山にはそれほどの
切迫感はないかもしれない)


763 :通りすがりの966:2007/02/18(日) 00:12:54
果たして寺山の「不在感」は虚構なのか、天才が思いつきで身にまとった
擬態のひとつなのか、これを判断するには再度短歌集を深く読み込まねば
なるまい。出来れば、短歌にとどまらず詩や俳句、散文まで目を通して
全体像をつかむ努力がいりそうだ。
が、残念ながら、それは今のところ自分は気が進まない。
自分の「是非とも全体像をつかむために再度読み直さねばならぬ」詩人リストの
上位に寺山修司はないのである。萩原朔太郎や宮沢賢治その他の詩人が
大勢控えている。

というわけで、まことに申し訳ないけれども、自分の寺山短歌探究は
ここまでで打ち切らせてもらう。

こころざしある方はこれから議論を深めていただきたい。
なお、議論の続きは、寺山修司のスレが別にあることだからそちらで
進める方がいいと思う。

丁寧なレスを返してくれた>>753氏には感謝します。

764 :通りすがりの966:2007/02/18(日) 00:19:53
>>761
なるほど。「林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき」は悪くない。
俳句の方も一度読んでみようかな。
>>753氏は上記短歌二首を「どちらもたいした歌ではない」と言っているけれど、
自分は十分いい歌だと思う。
自分の「名詩歌認定基準」は広く浅いのかもしれない(笑)。

765 :吾輩は名無しである:2007/02/18(日) 20:01:32
細身綾子の俳句の仏は、奈良の西大寺の仏のことですね。いいお寺です。

766 :吾輩は名無しである:2007/02/26(月) 01:11:22
水原紫苑の『世阿弥の墓』を手に入れた。
おもしろい。

767 :吾輩は名無しである:2007/02/27(火) 15:07:33
四季派総合 I
http://book4.2ch.net/test/read.cgi/poetics/1172129268/l50

768 :通りすがりの966:2007/03/02(金) 23:40:11
ごく最近知ったんだけど、上に出てる細身綾子氏はこれまた著名な
俳人である沢木欣一氏の奥さんなんですね。

せっかくだから、沢木欣一氏の俳句をひとつ。


春近し雪にて拭ふ靴の泥

(はるちかし ゆきにてぬぐう くつのどろ)


769 :通りすがりの966:2007/03/06(火) 00:32:06
早春の名詩歌シリーズ


春の雪

みささぎにふるはるの雪
枝透きてあかるき木々に
つもるともえせぬけはひは

なく声のけさはきこえず
まなこ閉ぢ百(もも)いむ鳥の
しづかなるはねにかつ消え

ながめいしわれが想ひに
下草のしめりもかすか
春来むとゆきふるあした


770 :通りすがりの966:2007/03/06(火) 00:35:01

伊東静雄の第3詩集「春のいそぎ」から。
「みささぎ」は「天皇・皇后の墓、御陵」のこと。
けはひ = 気配
あした = 朝 (朝の意の雅語的表現)

仁徳天皇陵をはじめとして大阪の近郊には天皇の御陵が多い。
作者の住んでいた近くのそれに春の朝、雪が降っている情景を詠んだもの。

この詩の静謐、完璧はまったく比べるものがないほど。
前に朔太郎の詩を紹介した際、その詩の完璧な美は新古今集の高さに
迫っており、それほどの高さに到達した詩人は朔太郎の他にはほとんど
いないと書いた。このとき「ほとんど」と書いたのは、他にこの
伊東静雄がいたからに他ならない。
(その伊東静雄を朔太郎が弟子筋の三好達治をさしおいて激賞したことは
よく知られている)


771 :吾輩は名無しである:2007/03/07(水) 00:52:42
ごめん。寺山の話はもう終わったみたいなのに空気読まずに質問します。

煙草臭き国語教師が言う時に明日という日は最も悲し

みたいな感じの歌って寺山でしたよね?違ったっけ?

772 :吾輩は名無しである:2007/03/07(水) 10:46:43
煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし  寺山修司

773 :吾輩は名無しである:2007/03/07(水) 15:44:05
ありがとうございます。ググレばわかることでした・・・orz

774 :通りすがりの966:2007/03/08(木) 23:55:24
早春の名詩歌シリーズ 続き

さて、朔太郎が伊東静雄を誉めたために面子をつぶされた感の
ある三好達治だけれども、その達治にも伊東静雄の詩に負けず劣らず
の格調高い詩がある。例えば次の詩。


「山なみとほに」

山なみ遠(とほ)に春はきて
こぶしの花は天上に
雲はかなたにかへれども
かへるべしらに越ゆる路


注 : 「かへるべしらに〜」は「帰る辺知らずに」、
すなわち、「(自分の)帰るべきところがなくて」の意。


775 :吾輩は名無しである:2007/03/09(金) 00:27:18
女子供のお遊びフォーーーーー!!!!

776 :吾輩は名無しである:2007/03/09(金) 11:08:28
ここの寺山修司の議論は面白いね。
特に、757(753)の指摘は鋭いと思う。昨日たまたま寺山について書かれた
HP読んでたら、寺山ってのは言葉のパクリの天才だったらしい。誰かの詩や
句や歌の中から、気に入った言葉があると平気でそれを使って自分の作品を作って
しまう。
寺山については最近知ったばかりで、歳時記などに載ってる彼の作品見ると、
強烈に印象に残って、他のどれもみんなおんなじようなトーンの作品群の中では
光って見えるんだけど、彼に本当に表現したいものはあったのか、彼自身が呻いて
作り出した言葉があったのか疑問になってきた。
便所より青空見えて啄木忌
の句も、放哉の、便所の落書きが秋になってゐる 
と、啄木の、不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心
を彷彿とさせる。
寺山修司には小説は書けなかったんじゃないかな。

777 :吾輩は名無しである:2007/03/09(金) 14:58:32
>>776
「あゝ荒野」ってボクシング小説があるよ。
ただそれもオルグレンの「朝はもう来ない」を下敷きしてるらしい。

778 :吾輩は名無しである:2007/03/09(金) 22:02:12
>>776
彷佛とさせるけど盗作じゃないんだ。
最近のパクリ作家どもとは大違い。
http://book4.2ch.net/test/read.cgi/book/1101944094/

779 :通りすがりの966:2007/03/09(金) 23:48:49
>>774に関連して。

自分の帰るところ、落ち着く先を知らず、山また山を越えて行く
旅人の憂愁は、他にも若山牧水に次のような有名な短歌があった。


幾山河越えさりゆかば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく


(いくやまかわこえさりゆかばさびしさのはてなんくにぞきょうもたびゆく)


しかし、この歌では、旅人の憂愁とはいえ、「今日も旅ゆく」とあり、
むしろあえてその「寂しさ」を求めている気配が感じられる。

憂愁、孤独を極め尽くさんとする、味わい尽くそうという意気込みが
感じられるのである。
これこそ浪漫派の真骨頂ではないだろうか。

780 :通りすがりの966:2007/03/12(月) 00:23:52
早春の名詩歌シリーズ 続き

上記の>>774「山なみとほに」はたぶん教科書にも採用される
ことの多い名詩であろう。
しかし、三好達治で自分の好きな詩はどちらかと言えば次の詩。



わがわざは成りがたくして
こころざしほろびゆく日を
近江路に菜の花咲いて
かいつぶり浮き沈むかな


781 :通りすがりの966:2007/03/12(月) 00:26:40

「かいつぶり」は「にお」、「におどり」とも言う水鳥の一種。
琵琶湖の水面にかいつぶりが浮かんでいるのである。
辺りは菜の花が咲き誇ってまぶしいほどだ。
作者は「わがわざは成りがたくして」こころがたのしまない。
いわば「失意」の心境にあるわけであるが、周囲はあくまでも
明るい春の陽気なのである。

自分のやることが上手くいかず(大抵上手くいかない)、
やや気持ちが沈んだ春の日にはこの詩をよく頭の中で反芻するのである。


782 :吾輩は名無しである:2007/03/27(火) 11:27:59
「 ひとりさん観音 」
ttp://www.adobis.com/kinseal/hitorisan/imgs/kami9.html

783 :通りすがりの966:2007/03/30(金) 00:02:51
もう終わったと思ってる寺山の話をまたするのは気が進まないけど、
気になる点があるのでちょっと言わせてもらう。

>>776
>寺山ってのは言葉のパクリの天才だったらしい。誰かの詩や句や歌の中から、気に入った言葉があると平気でそれを使って自分の作品を作ってしまう。
>「便所より青空見えて啄木忌の句も、〜 啄木の、不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心を彷彿とさせる。」

これは彷彿とさせるのは当然で、寺山修司は「啄木忌」を歌っているの
だからここで読者が上記の啄木の短歌を思い浮かべるのを前提にこの
俳句を作っているはず。
この俳句から啄木の短歌を透かせてみせるのがここでの芸なのである。
すなわち、これは日本文学伝統の本歌取りの技巧に他ならない。


784 :通りすがりの966:2007/03/30(金) 00:04:40
念のため「便所より青空見えて啄木忌」の解

そういえば今日は啄木忌だと思う。
たまたま便所に行き、しゃがんでいる最中にふと上を見上げると
小さな四角い窓から抜けるような青空がのぞいている。
そういえば啄木にも「こずかたの〜」で始まる青空が印象的な歌が
あったっけ、と作者は感慨にふけるのだ。



785 :通りすがりの966:2007/03/30(金) 00:06:53
この俳句にはどの程度意識的にであるかはわからないが、元の短歌と
かなりのコントラスト(対照)が据えられている。

由緒ある公の建築物である「城」に対して個人所有の卑小な「便所」。
広々とした「草」の原に対して閉じた狭い空間である「便所」。
啄木は「寝ころんで」いるのに対し、句の作者はしゃがんでいる。
そして、啄木の歌は(思い出の中の)少年のみずみずしい感傷であるが、
寺山の句はおそらく現在の中年男の悲哀なのである。

もともと俳句は、貴族の専売特許である和歌に対するパロディーという
性格をになって出発した。
だから、この点においても、啄木の短歌の格調と感傷の瑞々しさに
対して、「便所」を舞台にしてやや滑稽感を醸し出し、中年男の悲哀を
配するのは、俳句本来の持ち味に忠実なわざなのである。


786 :吾輩は名無しである:2007/03/30(金) 02:51:52
結社に入って先生になれば月収どんくらい?

787 :吾輩は名無しである:2007/03/30(金) 10:02:20
>>785
「便所より」は寺山が高校生のときに作った句なのだが。

788 :吾輩は名無しである:2007/03/30(金) 13:13:27
俳句やる気持ちは高校生でも中年男、ってこと?

789 :吾輩は名無しである:2007/03/30(金) 14:31:13
>>786
俳句では先生になれば七百万円ぐらいの年収は確保されるらしいけど
(新聞俳壇の選者になると年収一千万円近いらしい)、短歌はなかなか
それだけでは食えない。もちろんカルチャーセンターの講座を持つとか、
新聞歌壇の選者になれば話は別だが。

790 :吾輩は名無しである:2007/03/30(金) 18:50:44
で、俳句ってなにが面白いの?
句としてはいい句がけっこうあるけど、句集でいっぱいまとめて読もうとすると
退屈なんだが。
最近は俳句界は中高年女性の天下みたいで、俳句やってるのは中高年女性が圧倒的に
多い。若い人は俳句に興味ないのかなあ。

791 :通りすがりの966:2007/03/30(金) 23:41:13
>>787
おや、そうですか。
いよいよ寺山修司は天才ですね。

(本質的な意味で自分の解釈は訂正する必要はないと思う)


792 :通りすがりの966:2007/03/30(金) 23:44:14
つい先頃、飯田龍太氏が亡くなられた。
氏の俳句についてはこのスレで何度か紹介した。いや、そもそも
自分はこのスレを同氏の句で始めたのだった。

おそらく現代の俳句において、現代詩の谷川俊太郎氏に匹敵する
ほどの(広い意味で)詩人であろうと思う。

これからも同氏の俳句は取り上げるつもりであるが、ここで一句
挙げておくことにする。合掌。



春暁や竹筒にある筆二本

(しゅんぎょうや たけづつにあるふでにほん)


793 :吾輩は名無しである:2007/03/31(土) 11:24:46
五月雨や大河を前に家二軒 蕪村

(さみだれやたいがをまへにいえにけん)

794 :吾輩は名無しである:2007/04/02(月) 00:28:42
ネットから拾って来たんだけど、
上が寺山さんの短歌で、下が俳句の本歌の例。
向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わずば自己なき男
・人を訪はずば自己なき男月見草(中村草田男)
わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る
・わが天使なるやも知れず寒雀(西東三鬼)
わかきたる桶に肥料を満たすとき黒人悲歌は大地に沈む
・紙の桜黒人悲歌は地に沈む(西東三鬼)
莨火を床に踏み消して立ちあがるチェホフ祭の若き俳優
・燭の灯を莨火としつチェホフ忌(中村草田男)
莨火を樹にすり消して立ちあがる孤児にさむき追憶はあり
・寒き眼の孤児たの短身立ちあがる(秋元不死男)

寺山修司という人をどう評価していいのか分からない。
最近の俳人の生彩のない俳句の中では彼の句は光ってるし、若い俳人の句でも
全然現代の句という感じがしないのだが、寺山の句はぴったり来るところがある。
しかし、彼の句や歌はコピーなんだよねえ。
戦後の日本の文化や価値はは欧米のコピーみたいなもので、村上春樹の小説でも
感じるけど、意味を求めるより、なんとなくフィーリングで感じるだけみたいな
ところがあるから、そういう意味では寺山の句や歌は現代的なのかもしれない。

 

795 :吾輩は名無しである:2007/04/02(月) 01:06:46
>>794
「本歌取り」といのは王朝和歌のサロンに於いて、人口に膾炙された本歌があるがゆえに可能な形式であり、
和歌の文化が衰微した近現代に於いては成立し難いものだろう。
ましてや、芭蕉の発句を独立させて明治以降に登場した俳句は全く別物といって良く、俳句から短歌への「本歌取り」
というのは感覚的にやっぱりおかしい。

この並びを見るとき、「剽窃」というのは厳しい言葉だが、歌人寺山の怠惰である、くらいのことは言っても良いと思う。

796 :吾輩は名無しである:2007/04/02(月) 01:51:42
訂正
×「本歌取り」といのは→「本歌取り」というのは
×人口に膾炙された→人口に膾炙した

スレ汚し済まない・・・

797 :吾輩は名無しである:2007/04/02(月) 07:44:06
若い頃の寺山が「剽窃小僧」と揶揄されたのは有名な話だったが
いまでは誰も言わなくなったなw 若い読者は知らないのかね?

798 :吾輩は名無しである:2007/04/02(月) 23:29:48
>>795
剽窃と言っていいだろうね。本歌取りというには無理があるね。

799 :794:2007/04/03(火) 10:06:37
>>797
全然知らなかった。そもそも寺山修司じたい、歳時記に載ってる彼の句が
印象に残るから、どういう人なんだろう、句集はあるのかなと思って、
ネットで調べたら、???な人なんだよ。

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