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★以和貴為★

1 ::2007/01/27(土) 00:01:26
平成七年五月のある日、三ヵ月程、三歳の娘とアメリカに里帰り
させていた妻が、離婚届にサインして欲しいと言ってきた。理由は
僕との生活に疲れ、里帰りしている間に知り合った男性と一緒に
なりたいとの事だった。僕は離婚は構わないが幼い娘の事を考
えて欲しいと話してみたが、彼女の決心は変わる事はなかた。同じ
月に、店長として勤めていた六本木の『古志』と言う日本料理店も
経営不振で閉店する事になっていた。その当時、住んでいた一軒
家は、店で借り上げていた社宅で、店が閉店する五月いっぱいで立
ち退かなければならなかった。家庭消滅と勤務先の倒産、住居の立
ち退きと、泣きっ面に蜂と言う状況で僕は泣くに泣
けずやむ終えず、離婚届にサインをした。友人から借金をし、用意
した金で妻と娘の次の住まいを確保させたが、自分の寝泊まりする
場所は確保出来ないまま社宅を出た。離婚の時の約束で、娘とは、
毎週土日に会える事になっていた。手元に残った僅かな金で、友人
や知人の家を転々としながら、週末になると、娘の住む新居に迎え
に行き、娘が好きだったデニーズに連れて行くのが唯一の生き甲斐
だった。離婚、失業と同時に重なった出来ごとのショックで、頭が
真っ白のまま再就職も出来ず、数か月が過ぎた。ある日、いつもの
様に娘を迎えに行った。娘を手放したくないと気持ちが強くなり、
金も尽き、離婚した妻に内緒で、娘を連れ実家に向った。いつもな
ら日曜日の夜には娘を母親の元に連れて帰っていたのだが、この
日以来、娘と実家に身を寄せ匿ってもらう事にした。数日後、前
妻が娘探しに実家を訪ねてきた。

2 ::2007/01/27(土) 00:02:33
僕の母は玄関の扉も開けずに
、息子も孫も居ないから帰ってくれと、追い返した。玄関の外で、
娘を返して欲しいと泣く前妻の声が聞こえてきた。それを聞いた娘
は「あっ、ママだ!ママ来たんだ」と言いながら玄関に走って
行こうとしたが、僕は「ママなんか来てないよ…ママは今アメリカ
に帰ってるんだから…」と娘に嘘をついたが、娘の名前を叫ぶ
母親の声を認識していたのか、「ママだよ、ママだよ」と泣き始め
た。母親に会いたがり、泣く娘の姿に、僕自身も心で泣き始めてい
た。しばらくすると、前妻の声も聞こえなくなった。あきらめて帰
った妻は、数日後、弁護士を連れて再び訪ねて来たが、僕は法を犯
しでも、彼等の、娘を引き渡せと言う要望を無視した。数週間後、
東京地方裁判所八王子支部から、娘の引き渡し命令の通知が届いた
。離婚届の子供の親権を前妻にしてあったから、当然の事である。
それでも法廷で争う覚悟をし、裁判で不利にならぬ様にと、僕は国立
にある警備会社にガードマンとして職に就いた。話し合い解決
を勧める裁判所に数回出頭し、拉致の開かない話し合いに、いよ
いよ裁判の日がやってきた。

3 ::2007/01/27(土) 00:12:58
裁判は一時間少しで終わった。『父親、母親共に子供を養育するに、
不備はないが、四歳に満たない幼い子供には、親権者でもある母親を
必要とする。子供は閉廷後、即刻、母親に引き渡すものとする』という
様な判決が下された。法廷から出ると、警備員の様な格好をした
裁判所の
職員が二、三人、僕が取り乱したり、子供を連れ去らないようにと
ガードを固める中、所内に預けていた娘が母親と現れた。娘を抱い
た前妻の側に近寄ろうとすると、職員達の目に緊張が走った。
「取り乱したり、連れ去ったりしませんから、最後に娘を抱かせて
下さい」すると職員は「お父さん、おっしゃった通りの事を守って
下されば構いませんが、お子さんのお母さんに聞いて来ますから少
々お待ち下さい」職員が前妻にその旨を伝えると、彼女は不安そう
な顔を見せながら首を縦に振った。職員が戻って来て「どうぞ、と
おっしゃってますが、手短にお願いします」その言葉に僕は、娘を
抱き上げた。「これからは、ママの言う事をちゃんと聞いて、おり
こうさんにするんだよ…」その一言を娘に言うと、後は涙しか出て
こなかった。そして一ヵ月も経たないうちに、前妻は娘を連れて
アメリカに帰える為、日本から出国していたことが外務省に調べ
てもらった結果で分かった。裁判に備えて、始めたガードマンのア
ルバイトであったが、辛い思いを紛らわす為に、ひたすら働き続け
た。

4 ::2007/01/27(土) 00:14:53
その年の夏の終わりには、居候をしていた立川市の実家を出て、
八王子市の京王線山田駅と言う、駅から歩いて5分のところにワン
ルームのアパートを借り、空虚なガードマン生活の日々を送った。
その頃の生活と言えば、若いガードマンの仲間達と八王子駅前のカ
ラオケに行ったり、娘が一歳の時に、人の紹介で友達になった、フ
リーマンと言うアメリカの黒人に誘われて、横田基地のクラブや稲
城市にある米軍の保養所のクラブに踊りに行ったりする事くらいだ
った。フリーマンと親しくなったのは、彼が福生駅の側にある『J
UN』と言うクラブに、1980年代初頭によく踊りに行っていた
と言う話がきっかけだった。僕もまた、同じ時代に毎週末はそのク
ラブに踊りに行ったものだった。ある時、そのクラブの話題の流れ
から、フリーマンが僕に『エイミー シマダ』と言う女性を知って
いるかと質問してきた。僕は、何でフリーマンが『嶋田英美』の事
を知っているのかと逆に聞き返した。「1980年代初頭にJUN
に踊りに行ってた黒人なら誰でも知ってるさ」フリーマンはそう答
えた。僕も同じ時期にJUNで嶋田英美と友達になり、六本木や赤
坂のクラブに踊りに行ったりしてたことがあったので、「もちろん
、知ってると言うよりも、彼女は僕を弟の様に可愛がってくれたよ
。六本木とかで遊んでて終電がなくなったら富ヶ谷の部屋に泊めて
くれたり…もちろん、彼女が何とかと言う文学賞を

5 ::2007/01/27(土) 00:21:29
受賞して有名になる前の話だけどね…」そんな話しをしていた頃か
ら、彼との付き合いは現在も続いている。フリーマンと知り合った
当時、僕は、まだかろうじて二十代後半で、彼は三十代後半だった
。その彼も今年、五十一の誕生日を迎え、今は厚木基地の郵便課で
『ボス』になったと言いう。僕はと言えば四十三になる少し前まで、
足立区のトラックターミナルでトラックの荷積みのバイトをして
いる。ガードマン生活を始めて一年が過ぎようとしていたバイト
帰りのある晩、いつもの様に駅前のコンビニで弁当を買い雑誌
を立ち読みしていた。『賞捕るマガジン』と言う、懸賞金品情報誌
が目に付いたので、開いて見ると色々な公募が掲載されていた。
新商品のネーミングや遊園地の乗り物に名前を付けて、賞品や賞金
を狙うものや、他にも数多くの公募情報があった。ガードマンと言
う職種は今まで勤めた仕事の中で一番楽で精神的ストレスがゼ
ロであった事から気持ち的余裕もあり、その雑誌を買って、冗談
半分で懸賞金を狙ってみる事にした。部屋に帰り、弁当を食べなが
ら、ペラペラとページを捲っていると、『香西堂プロダクション主
催 新人スター発掘オーディション』と言う見だしに、ページを捲
る指が止まった。『募集条件:年齢24歳まで…』と書かれていた
。僕はその年齢制限を信号を無視する程度に、その週の日曜日、当
時フリーマンが勤務していた、米軍のゴルフ場に、オーディション
の一次審査用に必要な写真を撮ってもらいに出掛けた。その数日後
、現像されてきた、自分の写真をコンビニで買った履歴書に添付し
、指定された宛先に郵送した。年齢は正直に三十一歳と記入した。

6 ::2007/01/27(土) 00:24:14
数週間後、香西堂プロダクションから、一時審査の合格通知が届い
た。年齢制限をゆうに超えていただけに、不思議だなと思って、何
度もその合格通知を見てみたが、間違いなく『おめでとうございま
す。あなたは、写真選考に合格しました…』と書かれてあった。
二週間後、二次オーディションが、赤坂にある香西堂プロダクショ
ンの一室で行われた。会場には、100人近い、二十歳前後の若い
男女が集まっていた。僕は、一瞬、場所を間違えたのかと思い、側
にいた少年に、オーディションの受験カードを見せて確認をしたが
、少年は「ここでいいんですよ」と教えてくれ、間違いない事が分
かった。オーディションが始まる前に、何クラスかに別れ、教室の
様な場所で、オーディションの説明がなされた。配られた紙には、
ドラマの台本のようなセリフがコピーされ、それを暗記してオーデ
ィションの際に芝居を付けて演じなければならないと説明を受けた
。生まれて一度も芝居などに関心を持った事のない僕の頭の中は『
ヤバイ…どうしよう…』で埋め尽くされた。周りを見てみれば、他
の若者達は、説明が終わる前から、その紙を

7 ::2007/01/27(土) 00:27:10
熱心に小声でモゴモゴと暗記し始めていた。
彼らには『余裕』がある様に見えたが、自分には『後悔』があった
。具合が悪くなったとでも言って、オーディションをキャンセルし
て帰ろうとかとも思ったが、それさえも言う決心がつかずに、刻々
と時間は過ぎていった。「それでは、今説明した通り、五人づつ呼
ばれた順にオーディション会場に入り、入った順に奥の席に座って
下さい。審査員に向かって一番左の人から、呼ばれたら、返事をし
て、立って、名前、年齢、出身地を大きな声ではっきりと話して下
さい。その後、審査員の質問に答え、セリフをどうぞと言われたら
、今持ってる紙の暗記したセリフに演技を付けて芝居をして下さい
」説明が終わり、オーディションで自分の名前が呼ばれるのを待つ
間に、若者達は自信ありげに何度もセリフを暗記し始めた。そこに
は一人、ポツンと焦りに溺れ、何も出来ない自分がいた。ピンチで
あった。このままオーディションで暗記すべきセリフを話せず、ま
してや芝居も出来ずに、審査員や他の受験者に冷ややかな笑いを買
うのが想像できた。すっかり挙動不審になった自分に、『離婚と娘
との別れに比べれば、この程度の事くらい何て事ないだろう。とり
あえず耐えろ』と、何度も言い聞かせ、今にも崩れそうな平静を装
ってみた。更に、張り詰めた緊迫感を和まそうと、隣りに座ってい
た青年に、落ち着いたふりをし、話しかけたりもした。青年と会話
している間だけは、気持ちも少しは和んだようだった。

8 ::2007/01/27(土) 00:30:18
『山田君、
田中君、板垣君…』とそうこうしているうちに、自分の名前が呼ば
れた。ここまで来たら後に引けなくなり、言われた通り、順番にオ
ーディション会場に入った。心臓はドクバクと唸り始め、手足は脂
ぎり、緊張のあまり口の中の水分はひえ上がり、絶体絶命に両足が
震え始めた。『ヤバイ…ヤバイ…ヤバイ…』を念仏の様に唱えれば
唱えるほど、状況は最悪化した。ちらちらと横目で、隣りに座って
いる若者を見てみたが、極めて涼しそうな顔をしていた。一番目と
二番目の若者は、キラキラ生き生きと、スムーズに課題をこなした
。ボーリングで喩えれば『ターキー』を取ったようであった。『そ
れでは、次の板垣君、お願いします』絶体絶命の瞬間、「はい」と
返事も出来ず、腰が抜けたようになり、何とか起立したものの、両
脚はガクガクとすくみ、足の震えを隠すので精一杯だった。目の前
には八人の審査員の、十六の目と、ビデオカメラの大きな目のよう
なレンズが僕に何かを期待するかの様に視線寄せていた。事前に説
明された事など、銀河系の果てに飛ばされ、『緊張』と『緊迫』の
末に「あ、あの…すみません…(汗)ぼ、僕…何すればいいんですか
?」僕のその一言に会場は騒然とし、審査員は呆れ笑いをし始めた
。すると、審査員の一人が「落ち着いて、落ち着いて。まず、自分の

9 ::2007/01/27(土) 00:33:33
名前、年齢そして出身地を言って下さい」と僕の非常な状況を察知
し、それをほぐす様に優しく、ゆっくりと話しかけてくれた。その
言葉に、いくらか張り詰めたものは緩み、緩んだ余裕の部分で氏名
、年齢、出身地だけを慌てて言い切った。審査員が「はい、それで
は…セリフ…出来るかな?大丈夫だったらやってみよう」と言った
が、大丈夫な訳がなかった僕は、喉に物が詰まった様に数秒間、固
まった。「はい、ではもう結構ですよ」別の審査員がそう言うと、
続けて「じゃあ、板垣君、履歴書の特技に書いてある、アメリカの
黒人と白人の真似?これやって見てくれる?」確かに、履歴書の特
技の欄に、そう自分で書いたのだが、その物真似は、アメリカ人を
笑わす時のネタの一つであり、アメリカの白人や黒人の典型的な発
音やジェスチャーの微妙な違いが日本人に分かる訳がないと思った
が、オーディションで何一つ、まともに出来なかった僕は、それに
全てをかけた。そして黒人の真似から始めた。もちろん英語でジェ
スチャーをつけながら『おい!オレのことは黒んぼとでも何とでも
呼んでもいいが、もう一度オレの母ちゃんのことを黒んぼだなんて
言ったら、お前の尻に蹴りブッ込むぞ!』そして同じ様に白人の真
似を『我が国の高犯罪発生率と終わる事のない人種差別問題は今の
アメリカ合衆国を象徴している…』と、かつてレーガンとカーター
が大統領選の際にディベートで語ったような話しの内容をやって見
せた。このネタを日本人にやって見せたのは初めてだった。『どう
せ分かる訳がない』そう思ったからだ。

10 :10:2007/01/27(土) 00:38:47
それでも必死に二つの物真似を始め、審査員の反応を気にしてい
ると中、一人だけクスクスと笑っている審査員が見えた。その違
いが分かって笑ってくれているのか、数十秒前まで凍り付いていた
僕と、阿呆のように外国人の真似をし始めた僕の変貌ぶりがおかし
かったのか、無事に済ませ「どうも、以上です…」と言うと、その
審査員は体を震わせて大笑いし始めた。彼が笑い始めると、他の審
査員や受験者達も、何かに堪えていたかの様に一斉に笑い始めた。
その笑いは、自分の阿呆さ加減に呆れた者達の笑いだと疑わなかった。
「はい、板垣君どうもありがとう。それでは次の人どうぞ…」その
言葉を聞いた瞬間、僕は『高野豆腐』を水に帰したような思いに
、足の指先から頭の天辺までふにゃふふにゃになった。呼吸困難の
様な状態からも開放され、何気なく周りを見回してみると、全体的
に漂っていた固い雰囲気も若干、和らいでいたようにも見えた。合
格する事など、当然、考えもせず、悪夢にうなされ、目を覚ますと
部屋の窓から朝日が差し込んでくるのが見えたかの様にほっとし
帰路への足取りは妙に軽く、晴々しい気分に包まれた。終わって
みれば、離婚以来、日々退屈なガードマン生活を送っていた僕には、

11 :11:2007/01/27(土) 00:46:36
良い刺激になった程度の事であったが、二度とそんな馬鹿な真似は
するまいと誓った。少なくても、写真選考の合格通知が届いた時に
は良い夢を見れた訳だった。良き夢は、悪夢で終わり、目を覚ませ
ば現実があった。一年もガードマンをやっているとそれなりにガー
ドマン仲間も増えていった。カラオケとファミレスにも飽き始めた
頃、米軍の保養所で働いているフリーマンに連絡を取り、保養所で
一番大きな4LDKの別荘の予約を取ってもらうように頼んだ。フ
リーマンは、既に自分のバーベキューパーティーをその週末に企画
しているので、それに参加すればよいとの事だった。同じ仕事のガ
ードマン仲間が10人くらい参加するが構わないかとの問いに、フ
リーマンは、女性もいるならよいと答えた。数日後の土曜日、日勤
を終え、ガードマン仲間を連れて保養所へ向かった。この、原生林
に近い山をまるまる占有した広大な敷地は、旧日本軍の弾薬庫であ
あったが、敗戦後、何年か経った後、米軍専用の保養所として、都
内でひっそりと利用されている。直接的な軍事施設がないせいか、
クラブなどの一部の施設は、一般の日本人にも開放される事もある
。18ホールのフルコース、ホテル、別荘、ログ調のキャビン、レ
ストラン、クラブの中には25セントコインでかける事が出来るミ
ニカジノもある。また乗馬も楽しめるが、これらの施設を利用する
には、軍属のスポンサーを要する。

12 :12:2007/01/27(土) 00:48:56
ガードマンの仲間達と車で別荘
に到着すると、庭の前に設置されているバーベキューグリルで焼か
れている肉がもくもくと煙をあげていた。連れ来た仲間達をフリー
マンに紹介し終わると、腹を空かした僕らはハンバーガーやステー
キに食いつき始めた。しばらくすると、仲間の一人が、保養所の敷
地内を見てみたいと言うので、何人かを車に乗せ、真っ暗な敷地内
を案内した。車を少し走らせると、将校専用キャビンがあり、その
前を彼らの車が道を塞ぐ様に駐車されていた。車の側で、小学生と
中学生くらいの黒人の子供達が遊んでいた。「すみません。お父さ
んか、お母さんに車を退かすように言ってきてもらえないかい?」
と僕は、その子供達に頼んだ。「ママもパパもここにはいないよ、
だから車は動かせないよ」「じゃあ君達の両親はどこにいるの?」
「下ののクラブに踊りに行ってるんだ」と子供の一人が答えたので
僕は「僕達はこの先に通り抜けたいんだけどな…」すると子供の一
人がクラブに電話して親を呼ぶからとキャビンの中へ入って行った
。数分後、彼らの親らしい黒人の男性と女性の四人が血相を変えて
やってきた。母親らしい女性が、いきなり「あんた達、私たちの子
供をなんで脅したのよ!」と怒鳴り始めた。「えっ!?脅した?誰
が?僕達は、ただこの先に通り抜けたいから、車を退かして欲しい
と言っただけだよ」「嘘よ!あんたは嘘つきよ!

13 :13:2007/01/27(土) 00:51:16
それとも、うちの息子が嘘吐いてるとでも言うの?」真相を確かめ
もせずに、いきなりそんな言われ方をし、腹を立てた僕は反論に出
た。「そうだね。あなたの息子は大嘘つきだから、嘘を吐かないよ
うにきちんと教育した方がいいよ」「俺のせがれが大嘘つきだって
!?お前、ここがどこだか分かって言ってるんだよな?脅しはアメ
リカでは犯罪だ…この保養所内はアメリカの法律が適用されるんだ
」と父親の一人が怒鳴り始めた。黙っていたもう一人の、母親らし
き女性が「MP(軍警察)に電話してくるわ」と急ぎ足で部屋の中
に入っていった。その電話で駆け付けたのは、MPではなく、米空
軍横田基地に雇われている、日本人の守衛であった。守衛と言って
も、軍に雇われているだけに、ガバメントらしき拳銃を腰に常備し
ている。「どうしましたか?」と守衛が日本語で僕に尋ねると同時
に、黒人の父親が「この日本人は、我々の子供達を脅した」と守衛
に言った。守衛は熱くなっているその父親を堪えさせ、僕の話しを
聴こうとした。「何があったのか説明してもらえますか?」僕は起
きた事実だけを全て話した。話している途中、黒人の家族達が守衛
に向かって「彼の言う事を信じるな!」などと罵声を飛ばしていた
。とりあえずと、保養所の入口のゲートに連れて行かれた僕の後を
、黒人の家族はぞろぞろと後を着いて来た。しばらくすると、騒ぎ
を聞き付けた、フリーマンと、クラブに遊びに来ていた他の黒人達
も見物に集まってきた。フリーマンが側によって来て小声で話しか
けてきた。

14 :14:2007/01/27(土) 00:53:10
「黒人は被害者意識が強いからすぐに謝れ。お前が子供
を脅す事などないのは分かるけど…しかも相手は現役の将校クラス
の連中だから」「冗談じゃないね!なんで俺が謝らなければならな
いんだ?」とフリーマンに言い返した。黒人の父親は、その男を今
すぐ保養所から追い出せ、さもなければ横田基地の軍警察をに引き
渡し、正式に告訴すると言い始めた。僕は、守衛に言った。「ここ
の保養所には五年近く遊びに来てますが、僕は今まで一度だって問
題なんか起こした事はありません。横田基地にも15年以上、知人
を訪ねに何度も行ったりしてきましたが、一
度だって問題は起こした事はありません」「板垣さん、我々は現場
居なかったので、何とも言えませんが、こちらの家族の方達は、横
田基地の将校なので、彼らが、追い出せと命令を出した場合、理由
はどうこうあれ、我々は任務として、それに従わなければならない
んですよ」ゲートとの外側には、守衛が呼んだらしい、日本の警察
がパトカーから降りてきて状況を伺っていた。「後は、我々の警告
に従わない場合、軍警察に引き渡すか、日本の警察に引き渡すかの
どちらかしかありません」酒に酔った関係の無い黒人の男が「おい
、そのジャップを逮捕しろ!」と叫んだ。言ってはいけないその一事

15 :15:2007/01/27(土) 00:54:56
に、さすがに腹を立てた僕は「ありがとよ、黒んぼ野郎!」と言い
返したた途端、大騒ぎになると察した守衛は、今すぐ出て行かなけ
れば、話した通りの手段を取りますよと言ってきた。米軍の将校を
相手に、治外法権である軍事関連施設の敷地内で勝ち目がある訳も
なく、仕方なく連れてきた仲間を残し、一人『自主退場』をした。
以降、入所禁止人物としてブラックリストに記された。納得のいか
ない僕は、すぐ近所に住んで居たフリーマンのアパートに車を走ら
せた。フリーマンは、日本は治安が良いと言う理由で常に部屋の鍵
を掛けてないのを知っていた。彼の部屋に入ると、風呂場に行き、
ジェルでオールバックに固めていた髪の毛を洗い流し、サラサラの
オカッパ頭に変え、揉み上げから生やしていたアゴ髭と口髭を、つ
るつるに剃り落とし、別人に変身した。着ていた服もズボンも、フ
リーマンの物を勝手に拝借し、側にあった汚らしいボロボロの革の
カバンを肩に掛けて、保養所に出直した。同じ車で行くとバレると
思い、千数百円を払ってタクシーでゲートの前に乗り付けた。ゲー
トにはさっきの守衛がいた。声を変え、片足を怪我している様な演
技をした。「フリーマンさんのパーティに呼ばれて来たんですけど
…ここでいいんですか?」少し東北訛り風にドン臭いしゃべり方で
話した。守衛は全くさっきの僕だとは気付いていないようだった。

16 :16:2007/01/27(土) 01:01:50
「招待された方の名前をチェックするので、お名前と身分証明をお
願いします」「あ、あの、わたし、山田と申しますが…身分証明は
…持ってません」「身分証明がないと入れませんよ」「あのぉ、昨
日ぉ、フリーマンさんと電話で話した時に、身分証明がないって言
ったら、ゲートに着いたら迎えに来てくれて…スポンジ…だったか
…えぇ、あ、スポンサーとか何とかするから大丈夫だって言われて
来たんですけど…」「フリーマンさんがそう言ったんですか?」「
はい。でも無理でしたら結構ですよ…」田舎から出て来たドン臭
い人間だと信じ込んだ守衛は、守衛室の電話でフリーマンを呼び出
した。守衛が英語で「あぁ、フリーマンさん、なんか、山田さんと
言う身分証明を持ってない日本人の男性がゲートに来てますが…フ
リーマンさんがスポンサーするからと…あっそうですか。ではゲー
トで待っててもらいますので、すぐに迎えに来てあげて下さい」守
衛の会話の内容に耳を立て聞いていた僕は、ここまで来れば、別人
変身計画は半ば成功したと確信した。車に乗ってフリーマンが到着
した。フリーマンが僕だと気付く前に「おぉ、フリーマンさん、久
しぶりですね」と言いながら、彼の側に寄り素早く小声で「俺だよ
ケンだよ」とウインクで合図を送った。フリーマンは少し首を傾
げ、誰だろうと不思議そうな表情を見せたが目を丸くして、よくよ
く見ると、ようやく僕だと言う事に気付いた。


17 :17:2007/01/27(土) 01:08:16
「おぉ、ヤマダさん、元気ですか?」と下手な日本語で芝居を合わ
せてきた。「フリーマンさん、こちらでスポンサーのサインを…」
と守衛が言うと「ダイジョウブ、モンダイナイ」と言って守衛室の
受付の紙にサインをした。『やったね、ざまーみろ』とその瞬間、
僕は心の中でそう叫んだ。守衛に、有り難う御座いますと頭を下げ
、フリーマンの車に乗り込んだ。「おい、ケン…凄いな!俺でさえ
最初見た時はお前だって分からなかったよ」「うん、完璧に変身出
来たな」「ケン、お前どこで着替えて来たんだ?」「お前の部屋で
だよ。ほら、この服、このバック…この全部、下着以外…」「それ
全部、俺の物じゃないか!?」「何か問題ある?」「ないけど…ま
ぁ、とにかくお前って奴は凄い野郎だな!」別荘に戻ると連れて来
た仲間やフリーマンの友人達は和やかにくつろいでいた。大きな観
音扉の様なドアを開けて「今晩はぁ」と、別人のまま、部屋に入っ
たが、広い暖炉のあるリビングにいた仲間は、誰一人、僕だと気付
いた者はいなかった。僕は更に皆の注意をひくように、声色を変え
「あの、すみませんが…板垣さんって方はいませんか?」と、とぼ
けて聞いてみた。すると、仲間達は、事件が起きて、板垣さんが、
保養所から退去させられたことを話していいのかと、顔を見合わせ
迷っていた。自分の変身振りに、一考と気付かない彼らを見ながら
、我ながらアッパレと満足すると、僕は突然、目の位置までダラッ
と下げてた髪の毛を、両手でオールバックにかき上げ、

18 :18:2007/01/27(土) 01:12:16
元の自分の
声で「じゃあ、板垣さんって、こんな人だったんじゃない?」と言
ってニヤけると、彼らは目をパチクリさせ、一人が「あっ!?板垣
さん…?入って来れるようになったんですか?」とその疑問に僕は
「退去させられて、入所禁止のブラックリストに載ったのは板垣
さんでしょ?だから、板垣がダメなら、山田さんって人になって入
って来たんだよ」と答えると、彼らはやっと僕が着ていた見慣れな
い服と、髪の毛を下げ、髭を剃り落とした訳が分かったらしく、一
斉に大笑いし始めた。そんな事件が起きたパーティーの数日後、更
に別の事件が起きた。自分の部屋に、『一通の封筒』が郵送されて
きた。この『一通の封筒』が三十過ぎて家庭を失い、ガードマンと
言う気楽なアルバイトにつき、平穏無事な生活を送っていた僕の人
生に、新たなる『一章』を加えた。平成八年五月の末、
送られてきた封筒は、苦く、辛い思いをした、オーディションの主
催者である香西堂プロダクションからのものであった。

19 :19:2007/01/27(土) 01:19:28
既に忘れかけていた、数週間前にあった、あの忌まわしい、オーデ
ィションの主催者から何故、今更こんな物が届いたたのかと、どう
せ不合格通知だろうと、中身も見ずに破り捨てようとしたが、とり
あえず『不合格』を自分の目で確認して、過去の記憶から綺麗サッ
パリと抹消しようと思い、その封筒を開けてみた。封筒の中には数
枚の書類が入っていて、一枚目から順に目を通そうと、折り畳んで
あった書類を開いてみると『オーディション最終選考合格』と、赤
インクで印字された文字が目に飛び込んできた。そんな筈があるわ
けないと、続けて書面の文章を読んでみた。『おめでとうございま
す!あなたは、第〇回、香西堂プロダクション主催、新人スター発
掘オーディションに合格されました。今回、最終選考のオーディシ
ョンに参加した〇〇人の内、最終選考で〇〇人が合格者として選ば
れ、あなたは、その内の一人として…』「何だ?これ…」と、オー
ディションで何一つ正面に出来ず、募集対象年齢も超え、最後には
アホな事をやって赤っ恥までかいてきたと言うのに、合格だなんて
絶対に有り得ないと疑ってみたが、宛先や書類の中にも『板垣憲一
様』と書いてある事に間違いはなかった。「こんな僕を合格にする
くらいなら、きっとこれは、入学金や授業料を騙しとる詐欺だった
んだな…」と思い、書類を破り捨てようとした瞬間、オーディショ
ンの説明の時に聞いた話の一部に、香西堂プロダクションの所属タ
レントには、『上宮竜夫、安川力矢、小村旭…』

20 :20:2007/01/27(土) 01:23:23
などがいると、著
名人の名前があげられた事を思い出した。少し前にもガードマンの
仕事で、香西堂が主催する、大規模なゴルフトーナメントのゴルフ
場で、車両誘導をした事もあって、そんな有名な会社が詐欺行為を
する訳がないと頭に過ぎり、書類を破り捨てるのを止め、一応、全
てに目を通してみた。書類には、合格後の流れが書かれてあり、合
格者は、香西堂プロダクションが運営する、新人養成部なる部所で
、週一回のレッスンを受ける事になると書いてあった。養成部への
入会金、五万円、月々のレッスン料、二万円と、手頃な金額が書い
てあった。入会希望者は、平成六年六月〇日、〇時からの説明会に
、入会金の五万円を持参し手続きをして下さいとあった。「そうだ
!レッスンを受ければいいんだ。オーディションを受けた時の自分
は全く素人だったんだから…きっと、切羽詰まってやった、白人と
黒人の真似を、一人だけウケていた審査員の人が合格にしてくれた
んだ…レッスンだ…誰でも最初は素人なんだから…レッスンを受け
れば…」とポジティブに考え、入会を決意した。そこには、離婚と
娘との別れのショックで血迷い、ただ漠然とした希望と夢を抱いた、
三十二歳と六ヶ月の僕がいた。八王子の四畳半の寂しい部屋での
出来事だった。

21 :21:2007/01/27(土) 22:44:52
赤坂にある香西堂プロダクションの一室で行われる週一のレッスンを、二
十歳前後の若者と肩を並べて『かつ舌』のレッスンを受けている自
分は、さぞ浮いていたことだろう。いや、浮いていたに違いない。
下は十七歳と、教室の外で保護者が待っている様な年齢層の中で、
一人だけ、三十二歳の『オジサン』なる僕は、彼等と共に、一生懸
命『赤巻き紙、黄巻紙…』『生麦生米生卵…』などと、念仏を繰り
返すように『かつ舌』に励んだ。種々多様なレッスンの中には、ジャズ
ダンスなどもあり、その時だけは、場所を変え、バレー教室の様な
スタジオでレッスンが行われた。季節がら短パン姿の生徒が多く、
男子もスネ毛や脇毛の手入れをしていたせいか、皆、ツルツルの足
をしていた。タンクトップに短パン姿の自分はと言えば、胸毛に濃
いスネ毛を丸出しに、インストラクターの「ワン、ツー、はいター
ン…」の手拍子に合わせ、レッスンに挑んでいた。その様なレッス
ンを受け始め、数か月が過ぎて行った。ジャニーズ系の可愛らしい
顔した青少年や、アイドル系の少女たちに、ポツポツと、ポスター
のモデルの仕事や、テレビドラマの一生徒役の仕事などがまわって
来始めた。どの子達も、自分とは天と地くらいかけ離れたキャラク
ターであった。そんなある日、レッスンが終わると、養成部の部長
に呼び出された。「板垣、お菓子のCMで、お父さん役のオーディ
ションがあるんだけど、やってみないか?」

22 :21:2007/01/27(土) 22:47:42
「はいっ!是非、やら
せて下さい!」その瞬間から、頭の中は『お菓子のCMのお父さん
役』という言葉で埋め尽され、帰り道も、ガードマンのアルバイト
に行っても、
仲間達に『お菓子のCMのお父さん役』と九官鳥のように話回った
。オーディションと言う言葉にトラウマ的なものを感じてはいたが
、レッスンを受け、他の生徒達とも仲良くなり、次第にそのトラウ
マも消えかけていた時であった。いよいよ『お菓子のCMのお父さ
ん役』のオーディションの日がやってきた。青山の雑居ビルの一室
に出向いた。ジャンボ宝くじを買いに行くような気分に、胸を踊ら
せ、案内書に書かれている部屋に入り、オーディションの説明を受
けた。「河原でバーベキューをしている、数家族のお母さんチーム
が、旦那さん達の集まりに、この商品のお菓子を出し、それを食べ
たお父さんが、これは旨い!と言うのをセリフなしで表現して下さ
い」実際にそのお菓子は旨かったが、僕の演技は上手くなかったら
しく、数週間後、レッスンが始まる前に、部長から「板垣、今回は
残念だったな…」と知らせを受けた。ジャンボ宝くじも、これも、
当たる当たらないは別として、結果が出るまでの短い間に、大きな
夢を見させてくれるものだ…と思った。それから一ヵ月が経った。
レッスンの当日、また部長から声がかかった。「板垣、レッスン終
わったら、ちょっと事務所に寄ってくれないか?」

23 :22:2007/01/27(土) 22:54:57
レッスンが終わり、今度は何だろうと思いながら事務所へ行ってみ
た。事務所に入ると部長がいきなり「出演決定したぞ!ヤクザ映
画のチンピラ役だ…もちろん、やるだろ?」「ヤクザ映画のチンピ
ラ役決定…」その瞬間から僕の頭の中は『ヤクザ映画のチンピラ役
決定…』で一杯になった。「板垣、お前、プロフィールの宣材写真
は髭がなかっただろ…剃れるよな?」「はい、いつでも剃れます!
どんな人が出演するんですか?」「主役は松場浩二で、後は、柳波
さんや北野陽子とか、うちの上宮さんも出演する事になってるよ」
「松場浩二って誰ですか?」「お前、松場浩二も知らないでこの世
界に入ろうだなんて…勉強不足だぞ」と言われたものの、実際に部
長から聞いた出演者で分かったのは、上宮竜夫くらいだった。監督
は平泉聖次だと聞いたが、映画監督で知っているのは黒澤明だけだ
った。「来週の日曜日に大泉にある東映撮影所で衣装合わせがある
けど大丈夫か?」「はい、大丈夫ですが、衣装合わせって何ですか
?」「板垣…お前、本当に大丈夫かなぁ、衣装合わせって言うのは
、撮影の時に着る衣装を決める打ち合わせだよ。そのくらい覚えて
おきなよ」何がなんだか分からなかったが、他にも何人か、同じク
ラスの人間が出演すると聞いていたので、彼等に付いて行けばいい
かと、とりあえず「はい、分かりました」と答えておいた。

24 :23:2007/01/27(土) 22:58:09
平成六
年十一月中旬、僕は生まれて初めて『東映東京撮影所』という、今
までの人生において、限り無く無縁の地に足を踏み入れた。ふと、
我に返ると、過去の想いが頭の中を巡りはじめた。「思えば、赤坂
のホステスクラブのボーイ時代から、印刷会社、経営コンサルティ
ング、銀座のクラブのマネージャー、旅行代理店、電気工事屋、
宅急便のドライバー、タイル工事会社、六本木の居酒屋の店長と職
を転々とし…離婚…ガードマン…そして今、自分は何故、こんな所
にいるのだろう…この先、どうなって行くのだろう…」それは、自
分で強く望んだ事ではなく、離婚後の人生で、たまたま流れに乗っ
て着いたような所だったからだ。「板垣さん、もう来てたんですか
?」と後ろから同じクラスの若者達がやって来ると、声をかけてき
た。「うん、遅刻するといけないと思って、少し早めに来たんだよ
。君達は、衣装合わせって初めてなの?」そう彼等に訊いてみると
、何人かは、モデルの仕事などをしたことがあったので、初めてで
はないと答えた。「なんか、俺、こう言うの初めてなんで、よく分
からないんだけど…」「大丈夫ですよ、板垣さんなら。挨拶して、
言われた通りにやってればいいだけなんですから」「あ、そうだよ
な。何人もいるチンピラ役の一人なんだから…セリフとかある訳で
もないしね」実際は、『何人もいるチンピラ役の一人』ではなく『
何十人もいるチンピラ役の一人』であったのである。

25 :25:2007/01/27(土) 23:05:41
東映撮影所内にある、東京衣装と言う部屋で行われた衣装合わせは
、思ったより楽しいものだった。監督や助監督、その他大勢の関係
者の前で、着せ替え人形のように、何着かの衣装を着せられた。着
替える度に監督が「いいねぇ!それでいこう」と感激しているのを
見て、何か自分だけ特別な感じがしてきた。しかし実際に着た衣装
のどれもは、自分の本当のサイズとは違い、ダブダブであったり、
ブカブカであったり、フィットした衣装は、一着もなかった。ズボ
ンのサイズがブカブカ過ぎたので、自己紹介の時に紹介された、衣
装担当に小声で「あの、すみません、ズボンのウ
エストのサイズが目茶苦茶大き過ぎるんですけど…」と言うと、彼
女は「そんなもんベルトでギュッと絞めればいいだけでしょ!私一
人で何十人の衣装を見なければならないと思ってるの!?」と怒っ
てベルトを差し出した。その日、初めて、その世界に足を踏み入れ
た、超新人の僕は、超ベテランの衣装担当さんを怒らせてしまった。そ
してまた、『衣装担当の女性』は『怖い人』だと頭にインプットされた。何十人もいる撮影スタッフの中で、監督の
名前以外に唯一、覚えたのは、彼女の名前だけだった。十一月下旬
、初冬を思わせる様な寒い朝、『ヤクザ映画のチンピラ役』の板垣憲一
は、撮影現場である、都内の下町にある古い料亭に足を運んだ。

26 :26:2007/01/27(土) 23:09:50
映画のタイトルは『実録 新宿の顔 新宿愚連隊物語』といい、
戦後の混乱期の新宿を舞台に繰り広げられた、愚連隊とヤクザの縄
張り争いの話しであった。僕の役は、愚連隊に対抗するヤクザ組織
のチンピラの一人だった。不安とワクワクする気持ちを半々に胸に
抱き、撮影現場の料亭に入った。僕は元気よく「おはようございま
す!」と言って扉をガラガラと開けると、衣装担当の、あの鈴木ひろみ
という女性が出迎えた。殺伐とした雰囲気の中で、彼女は早口
で「廊下の奥の右側にメークと衣装を着替える部屋があるから早く
行って、衣装合わせの時の自分の衣装に着替えて…」と言いながら
「あっ、これ、黒い靴下を持っていてはいて…」衣装に合うように
自分で黒い靴下を持って来ていた僕は「あ、黒い靴下、自分で持っ
て来ました…」と言うと、彼女はニコニコしながら「板垣君、偉い
わねぇ!黒い靴下くらい、衣装に合わせて自分で用意して来ればば
いいんだけど、持って来てない人ばっかりで…助かるわ…板垣君は
偉い!」何と、鈴木さんは、何十人もいる出演者の中の一人である
僕の名前を覚えていたのである。そしてこの瞬間から『鈴木ひろみ
さんは優しい人』だと僕の頭にインプットし直されたのであった。
『怖い人』から『優しい人』と印象付けられた、この鈴木ひろみさ
んとの出会いも何かの縁だったのだろう。それを皮切りに、僕の脇
役人生で、鈴木ひろみさんとはよく仕事で一緒になった。

27 :27:2007/01/27(土) 23:13:35
似たような衣装が何十着も掛かっているラックから、自分の衣装を
探すのは大変な事だった。これだったか、あれだったかと、探して
いるうちに、やっとハンガーに『板垣』と小さな紙に書かれている
自分の衣装を見つけ出した。着替え終わると、メークさんが「着替
え終わった人からメークしますので、こちらでお願いします」と呼
び掛けた。僕は男が化粧するのは変だと言うことと、既にメークを
してもらっていたベテランの役者らしい人が、鏡の前に座っている
のを見て、エキストラのような新人の自分がベテランと肩を並べて
メークしてもらう事に恐れ多さを感じ、髪型は家で自分でセットし
てきていた事もあってメークはしない事にした。準備が終わり、部
屋の隅で僕と同じ様な新人らしい人たちと、しばらく雑談をした。
「自分も今日が初めてなんですよ」と言う人が何人かいて僕は、ほ
っとした。助監督らしい人が部屋に入って来て「〇〇さん、〇〇さ
ん、板垣さん…撮影の準備が出来ましたので二階の部屋に入って下
さい」いよいよか、と何か心地の良い切迫感を感じた。煌々と照ら
される照明は太陽を見るのと同じくらい眩しかった。主役と主演者
達が演ずる脇で怖い顔をして身構える『その他のチンピラ』が自分
の役であった。何回かテストが行われると、監督の「はい、じゃあ
本番いってみよう!」と言う掛け声に、それらしい芝居をしたが、
照明の眩しさと、目の前のカメラに緊張した僕は、本番の最中、何
度も瞬きをし、眩しい顔をした。

28 :28:2007/01/27(土) 23:16:12
「はい、OK」と言う声でそのシ
ーンが終わると、同じ事務所の仲間に「みんな照明が眩しくなかっ
た?」と聞くと、一人が「眩しいけど、眩しいのを我慢して演ずる
のが役者ですよ」と答えてた。「えっ!?じゃあ、みんな眩しいの
を我慢したの?」「板垣さん、もしかして…眩しい顔してたんです
か?」「うん、凄くまぶしかったから、ヤバイかな?」「えっ!?
ヤバイにきまってるじゃないすか!」どのくらい『ヤバイ』かを知
ったのは、その映画の撮影が全て終わった数か月後の試写会に呼ば
れ、完成した作品を見た時だった。そのシーンでみんな緊迫し凄ん
だ芝居をしているのに自分だけ、照明を眩しそうに、瞬きを何回も
しているのがそのまま映し出されていた。東映本社に隣接する映
画館で自分のそのシーンを見た時、初めてこれは本当に『ヤバイ
』と冷や汗をかいた。その映画の撮影は翌月、十二月にまたがって
続いた。寒さも次第に厳しくなる初冬、次の出番のシーンは、横須
賀の古い漁港で撮影された。その日は、朝から晩まで大乱闘を撮る
事になっていた。出演者と撮影スタッフを合わせると、総勢百人を
超える大掛かりなシーンの撮影日だった。師走に突入した漁港は、
潮風のせいもあって、非常に耐え難い寒さであった。平泉監督は、
乱闘シーンの撮影が大好きであると誰かから聞いていたが、確かに

29 :29:2007/01/27(土) 23:18:45
朝から吐く息も真っ白になる、厳しい寒さにもかかわらず、意気揚
々と張り切っているように見えた。大人数による大乱闘のシーンの
撮影の為、午前中は細かい動きのリハーサルで終わった。昼食に入
るとロケ弁当が配られ、冷たい潮風が吹き荒れる中、他の仲間達と
雑談を交わしながらそれを食べた。ロケ弁当を食べ終わり、人気の
ない防波堤で立ち小便をして戻って来ると、前方から監督が助監督
と歩いて来るのが見えた。擦れ違いざまに「今日は寒いですね」と
監督に言うと「午後からの乱闘シーンで、誰か海に落ちてくれる奴
いないかなぁ…」と、周りには他の役者もいたのにもかかわらず、
僕の目を見ながら、少し困ったような表情で尋ねてきた。「誰か…
」とは言ってはいるものの、どちらかと言えば「お前、やってくれ
ないかなぁ」とその目は僕に訴えていた。状況的にも、人から頼ま
れると、『やだ』と言えない僕は、無視する訳にも、断る訳にもい
かなくなったので「あ、自分でよければ、やりますよ」と答えるし
かなかった。「そうか!お前やってくれるか!?」と監督は言うと
、嬉しそうに喜んだ。僕も監督が喜ぶ顔を見て嬉しくなった。「お
前、名前、何て言うんだ?」「自分は板垣憲一と申します」「分か
った、板垣だな」と言うと隣りにいた助監督に「水落は板垣でいく
から覚えておけよ」とメモとらせた。

30 :30:2007/01/27(土) 23:22:36
「じゃあ、板垣、午後の撮影
頼むな。お前は、柳波と絡み合って、海に投げ飛ばされると言う美
味いカットをやるから頼むぞ」と言い残し、監督と助監督は、探し
物が見つかって良かったと言う様にその場を去って行った。『柳波
に…美味しいカット…』と言われても、柳波さんを知らなかった僕
は、何が『美味しいカット』なのか分からなかった。それよりも、
嫌だと言えない状況で仕方なく「やります」と言ってしまった僕は
、この寒さの中で海に落ちたら、心臓麻痺で死ぬかもしれないと、
とんでもない事を引き受けてしまったと、恐怖心を抱えながら後悔
した。そんな事を考えているうちに、アメリカから帰国していた
娘にもう一度だけ会ってから死にたかった…と深刻な想いに心が揺
れ動いた。しかし、一度「やります」と言ってしまった手前と、監
督と助監督の喜ぶ姿を思い起こすと今更「辞めます」とも言える訳
も無く、自分に「ここまで来たらヤルっきゃないだろ」と言い聞か
せた。午後の撮影の準備が始まり、再びリハーサルを何回か済ませ
ると、本番前のテスト撮影が始まった。それまでは、取っ組み合い
で殴られ、僕を海に落とす一歩手前の芝居を柳波俊郎に代わって、
殺陣師がやっていたのだが、テストに入ると、柳波俊郎がやってき
た。その顔を見て、そう言えば以前、テレビで見た事があるような
気がした。監督がやって来て「次のシーンで彼がお前にボコボコに
されて海に落とされる役の板垣って言うんだ」と柳波俊郎に僕を紹

31 :名無し物書き@推敲中?:2007/01/28(日) 11:09:37
太宰スレの人と同じ……じゃないよなぁ

両方とも読んでないが

32 :名無し物書き@推敲中?:2007/01/28(日) 16:16:55
面白くもないし延々とageてるし、
ローカルルールも読めないようなゆとりは消えてなくなればいいのに
この世から

33 :kitty guy:2007/01/30(火) 21:26:55
 ゆーどーしてあげれば良いのに…。^_^;
>>1 さん、結構真剣にかかれている様子なので、どういった経緯でこちらに発表されたのか存じ上げませんが、
どこかに投稿されるか、サイトに上げてみては如何でしょう。
 因みに、こちらと関係が深いのは↓
http://ana.vis.ne.jp/  ここみたいです。(多分、いちばん無法、且つ人が多いです。)
 廃墟に近いですが投稿サイト紹介スレッドもありますよ〜。

サイトにも色々とあるので、あちこち廻って気に入った場所を探されるのも良いかもしれません。
 では。ノシ

34 :1:2007/01/30(火) 21:43:06
>>33
ローカルルールを見て(汗恥)でした。すみませんでした。
案内していただいたところを覗いてみます。ありがとう。


35 :名無し物書き@推敲中?:2007/03/05(月) 22:47:36
>>1
放置しないで、ちゃんとスレッド削除依頼だしときなよage

36 :名無し物書き@推敲中?:2007/03/05(月) 22:58:23
>>31おれも思った

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